暗雲

 

 

 

 西部劇(ウエスタン)。開拓時代のアメリカ大陸を舞台に繰り広げられる、愛と銃撃の浪漫譚。

 現在はどマイナーなジャンルとなっているが、哲夫はいつだったか、ファンだった父親とともに観た記憶があった。

 とはいえ随分昔の話だから、ストーリーも役者の顔も、タイトルさえも覚えていない。しかしその舞台となった開拓時代のアメリカの風景は、幼心にたまらなく冒険心をかき立てるものがあり、鮮明に覚えていた。

 そのころには、まさか早朝、歯を磨きながらその風景を眺めることになるとは想像もしていなかったが、実際に目にした荒野は、浪漫をかき立てられるどころかあまりにも寒々しかった。

 基地の周りは三六〇度、見渡す限り茫漠とした荒野が広がっており、人工物は影も形も見えない。とにかくだだっぴろい荒野は、軍事演習にはもってこいなのだろうが、風通しが良すぎ、夜から早朝にかけては恐ろしいほど冷えこむ。

(『この世の果て』だな……)

 そう言えば、何年か前、アルクスニス紛争における反乱軍の残党が、北アメリカに潜伏しているという情報が流れたことがあったっけ。情報元が三流ゴシップ誌であったから、歯牙にも掛からない情報であったのだが、少しばかりの話題にはなった。何でも、先の紛争での反乱軍側の撃墜王、ジョナサン・オウルがリーダーとなり、新たにクーデターを画策しているとかしないとか……。

 噂の真偽は特に気にもならないが、この地が僻地中の僻地であることは確かだった。幸いなのは、哲夫たちにあてがわれた基地敷地内の宿泊施設が並のホテル程度には快適に作られていたことだったが、何しろここは軍事基地である。基本的には休みなどなく、夜半若干静けさの訪れる時間帯こそあれ、常にどこかしらが稼働している。GIGSや雑多な機械の作業音と振動、そしてそこはかとなく漂う殺伐とした空気が、哲夫が腰を落ち着けるのを許さなかった。

 とはいえ、毎回地球に降りてくるたびに感じていたあの不快感は、今回はあまり感じずに眠れたのも確かだった。昨日はとにかく色々なことがありすぎたからか、最近まともに寝ていなかったからか、会議のあと部屋に着くや否やベッドに倒れ込み、気付いた時には夕食の時間だった。夕食の後も関係者とちょっとした挨拶を済ませると、少々早い時間だったがすぐに部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。

 そのため、基地の喧騒に眠りを妨げられても、それほど寝不足には感じない。すっきりしたというほどではないにせよ、まともな仕事が出来そうなくらいには、心身が冴えている感じがした。

 しかし、そうしてひとまず冷静になって状況を整理してみると、どうにも腑に落ちないことがいくつも浮上してくる。

 まずミリオン社のスタッフの少なさ。シキシマ重工は設計主任のフランチェスカ女史を始めとした開発スタッフ、テストパイロット、セラピストなど、かなりの大所帯でやってきているというのに、ミリオン社の人間はといえば、整備員数人とメカに関しては門外漢と公言する役員。テスト操者に到っては外注で、しかもどういうわけか八年間引き籠っていた仮契約操者が一人だけなのだからやる気を疑う。

 聞いた話によると、シキシマ重工のスタッフは数日前に現地入りし、新型を組み上げ、既に最初の試験飛行も行っていたという。ミリオン社のスタッフが到着したのは昨日。哲夫たちより少し前だったというのだから、その出遅れぶりには首をかしげざるを得ない。

 それに、レスター大尉の登場以後気付いたことだが、基地の雰囲気が妙にピリピリしているような気がする。管理局と軍との合同演習などで何度か連合軍と交流する経験はあったが、この基地の雰囲気は少し異常な気がした。純粋に重要事であるトライアルが行われるからか、レスターの言った通り余所者が来ているからなのか、それとも普段からこんな雰囲気なのか。

 空は、やや白み始めた。陽が昇り、新しい一日が始まる。陽が昇る、という感覚自体、宇宙植民市で生まれ育った哲夫には馴染みのないものだったが、人生最大の大仕事が始まる朝にはしっくりくる表現だと思った。

 そうだ、考えたってしょうがない。哲夫は窓の外の荒野に背を向けると、洗面所で口内の歯磨き粉を勢いよく吐きだし、その勢いのまま冷水で顔を洗った。

 

         *       *

 

「ちょっとこのパスタ、茹で過ぎじゃないかなぁ……」

 眼の下に大きなくまを作ったシモンが、カルボナーラ・スパゲティを啜りながら言った。その眼の下には大きくくまが出来ており、怠惰にぼそりぼそりと呟かれる愚痴が、彼の寝不足を物語っていた。

「その前に、朝っぱらからカルボナーラなんて重いもの食べようとするのが理解できないわ、私は」

「だって、食べたことなかったから、今まで……」

 既にハムサンドを食べ終わり、コーヒーを飲んで一息ついているアナスタシアが、呆れ顔で言った。シモンとは対照的に溌剌と気合いを湛え、この後の仕事に向けて臨戦態勢といったところだろうか。

 シモン、アナスタシアと連れ立って、食堂で朝食を摂る。あまり食べ過ぎても気持ち悪くなるので、この後GIGSに乗る予定の哲夫は軽めに済ませたが、同じく搭乗するはずのシモンは腹に堪えそうなカルボナーラを注文した。

「ノグチ君……」

「なんですか?」

「食べないか、これ」

 うんざりした顔で、シモンは自分の皿を哲夫の前に突き出した。カルボナーラ・スパゲティはまだ皿に半分ほど残っている。

「遠慮しときます。気分悪いなら残せばいいじゃないですか」

「いや、何かそれも悪い気がして……」

 皿を自分の前に戻したシモンは、フォークに麺を巻き付かせたまま、口には運ばず延々と回し続けている。

「……昨日寝てないんですか?」

 流石に少し心配になって、哲夫はシモンに聞いた。

「まあ、体調は良くはないかな。ちょっと寝不足かも……」

「寝不足? 暇があれば抜け目なく寝ようとするくせによく言うわ。昨夜だってすぐに部屋に戻って寝たでしょう? それから携帯にも全く出なかったし」

皮肉な笑みを浮かべながら、アナスタシアが言った。

「それは確かにそうだけど、アニーが起さなかったらあと二時間は眠れてたんだよ」

 じゃあ結局、何時間眠ればあなたは満足なさるのかしら? アナスタシアの声に殺気が籠りだしたがシモンに動じる気配は見えない。

「いいじゃないか、結局起きてるんだからさ」

 などとうそぶき、再びカルボナーラ・スパゲティに没頭していく。心配して損した。

 

「あれ、中佐じゃないか?」

 シモンがカルボナーラ・スパゲティに悪戦苦闘している間に、食堂からはすっかり人が引けてしまった。みな、朝食を終え、それぞれの仕事に向かっていく。

 そんな中、たった一人でのたりと食堂に入ってきた大柄な男。シモンが声に出さずとも、遠目から十分に目立つ男、クロード・エヴァンス中佐。カウンターで料理を受け取ると、哲夫たちのテーブルに向かってきた。盆の上には、大盛りのカルボナーラ。

「やあ、君たち、おはよう」

 何の躊躇もなく哲夫の向かいの席に座って、満面の笑みでの挨拶に、哲夫はすっかり不意を突かれていた。確かに昨日、夕食時に軽く挨拶はしたが、立場があまりにも違う人間にここまでフレンドリーに接されるとドギマギしてしまう。

「お、おはようございます中佐……」

「元気がないなぁ! 野口君! 初日からそれじゃあ、先が思いやられるぞ!」

「は、はあ……」

 快活にそう言って、クロードは勢いよくスパゲティを食べ始める。この男の胃腸は朝夕関係なく快調そのものであるらしい。

「中佐ァ……」

「君は……シモン・バレル君だったね。何かな?」

「俺のも、食べてくれない?」

 もううんざり、といった顔のシモンの申し出を、快笑でもって却下すると、クロードはいかにも愉快といった風情で言った。

「いいねいいね、楽しい人材だ。これから二週間、よろしく頼むよ。君の主な仕事は野口君の模擬戦相手になると思うが……」

「まあね、頑張るさ。あんまり不甲斐ないと、社長に見捨てられちゃうからね」

「そう思うのなら、朝ぐらいはすんなり起きてもらいたいものだけどね」

 アナスタシアが苦笑し、それを見たクロードがまた笑う。連合軍の中佐にため口をきくシモンといい、それに対して愉快そうに頷くクロードといい、こんなに軽くていいのだろうか。

 しかしこの緩やかな空気はチャンスであるともいえた。

「あの、中佐に聞きたいことがあるんですが」

 意を決して任務拝命以来の疑問をぶつけてみることにした。

「何だい。レスター大尉といい、みんな聞きたがりだね。いいさ、何でも答えてあげるよ」

「今回のトライアル、航宙管理局の操者が必要だったというのはわかりましたが、その、それがなぜ、じ……自分だったのでしょうか?」

 哲夫が若干噛みながら聞くと、クロードは微笑を湛えたまま、哲夫を見据えてフォークを置いた。顎をなでて少し考えるようなそぶりを見せた後、言った。

「ふむ、……野口君が選ばれたのはね……」

 何故、溜める。哲夫は固唾を飲んでクロードの次の言葉を待った。テーブルの反対側から身を乗り出し、いかにも重要ごとのように声を潜めて言った。

「……実は、君以外空いてる人間がいなかったんだ」

「……は?」

「要するに、航宙管理局所属の若手の操者で、この時期一番暇だったのが君なんだよ」

 クロードの回答は、単純明快で飾り気もなく、それだけに哲夫には二の句を継ぐことが出来ない。

「ほら、管理局のGIGS操者って、就任して何年間かは、皆地方で研修してるだろ? 年末年始は実家に帰っちゃってるケースが意外と多いんだねぇ。こっちは何しろ急な話だから、何とか年始に都合のつく、若くて、テストを任せられるくらいに優秀な操者を捜しまわってね、そしたら何故か管材部に操者出身の人材がいて、暇を囲って燻っているって噂を聞いてね」

「よかったね、ノグチ君。暇で」

「暇……って、まあ確かに専門外の仕事ばかりやらされてましたけど」

「勿論、君の経歴は調べさせてもらったけどね。レンジャー部隊経験があるなんてすごいじゃないか。君を見つけた時は奇跡だと思ったね」

 レンジャー部隊は、管理局のGIGS部隊の中でも、選りすぐりのエリート組織だ。主に少人数での特殊任務を担当するが、レンジャー部隊に所属することは管理局所属の操者全ての憬れと言える。しかしそこに至るには、厳しい訓練と度重なる選抜試験をクリアしなければならない。弛まぬ努力と他人を押しのけてでも上へ行こうとする克己心、そして一握りの運を持ち合わせていなければ、栄光のレンジャー襟章を着けることは叶わない。

「へぇ、意外にすごい人だったんだね、ノグチ君。……どのくらいすごいかは知らないけど。ねぇ、社長?」

「私は知っていたわよ、最初から。レンジャー部隊といえば、各部隊のエース級で鳴らした操者が集まる部隊だし、生半可な実力では入れない所よ」

「…………」

 その栄光の頂きに、哲夫は確かに立っていた。半年前までは。レンジャー部隊の名を出され、持ち上げられても、哲夫の胸に浮かんでくるのは、誇りでも優越感でもなく、苦い記憶とどこにも行き場のない苛立ちだった。

「じゃあ、中佐は僕が何故管材部に飛ばされたのかも、知っているんですね……」

「……ああ、まあ、おおまかには」

 一度苦笑を浮かべたきり、うつむいて黙り込んでしまった哲夫の心境を察してか、クロードは先ほどまでとは打って変わって真面目な顔で言った。

「……あの事故のことは、君が気に病むことではないと思う。僕は資料を見ただけだが、あれは誰に責任があったわけでもないのではないか」

 「あの事故」とクロードが口に出した瞬間、哲夫の脳裏に病室の光景がフラッシュバックした。

「お前のせいじゃない」

 ベッドに身を横たえた男は、哲夫を諭すようにそう言った。しかし、男をこのベッドに追い込んだのは、間違いなく自分だ。哲夫を気遣ってか終始笑顔で接してくれた男に、哲夫は謝罪の言葉しか伝えられなかった。あの時俺は、どうすればよかったのだろう。どうすれば償えるのだろう……。

「それは、わかっていますが……」

思い出さないようにしていた記憶。逃げることなど許されるはずもないのに、出来るだけ頭の隅に追いやろうとしていた苦い経験を、無理やりほじくり出されたような気がして、哲夫は咄嗟にクロードから視線をそらした。

「……何があったかは知らないけどさ、ノグチ君」

 まだだいぶ残っているカルボナーラの皿を漫然と眺めながら、シモンは言う。

「胸張っていこうよ。結局やることは一つなんだし。要はGIGSに乗るだけだ」

「そう、その通り! 難しいことは考えることないんだ、野口君。私は君たちには期待しているんだよ。今回のトライアルも、君の操者復帰に役立てばいいと思っている」

 不意に、イスマイルが今回の仕事を「復帰のチャンス」と言っていたことを思い出した。今回の件が、直接復職には結びつかないにしても、クロード・エヴァンス中佐がそう言うのだ。なるほど、チャンスであることは確かなのだろう。

 操者として復帰できれば、理不尽な懲罰人事から解放されれば、あの暗くいじけた地下のオフィスから抜け出ることさえできれば……あの日のけじめがつけられるような気がした。そうでなければ、自分は前には進めない。この仕事は、そういうことなのだろうか……。

「いや、勿論、これは仕事ですから、過去のことは関係ありません! はい! 頑張らせていただきます」

 哲夫は自分を奮い立たせるようにクロードに向き直り、テーブルを叩かんばかりの勢いで、高らかに宣言した。

「うん、その意気だ。何しろ中々にハードなスケジュールだからね。それくらいの覇気がないとやっていけいよ」

「え? そうなの? 始まる前からげんなりさせないで欲しいなぁ。やる気なくなっちゃうよ」

「そういうことは少しでもやる気を見せてから言いなさいよ。さっきちょっといいこと言ったのに……」

 シモンは、もうカルボナーラ・スパゲティの完食を諦めているようだった。フォークを置き、椅子にもたれながら、すっかりやる気が失せているように見える。さっき哲夫を励ましたと思ったら、当の本人は気力が萎えている。本当によくわからない男だ。

「君の方は、本当に大丈夫かい、シモン?」

「大丈夫だよ、中佐。俺の分もノグチ君が頑張ってくれるから」

「いや、シモンさんの分は頑張りませんよ」

「そこはもう助けると思って精一杯頑張ってもらいたい」

「……あんたね、忘れてないとは思うけど、この仕事はあんたの本採用がかかってるんだからね。仕事の出来次第ではこっちも契約を考えないといけないんだから」

「そこはもう助けると思って精一杯大目に見てもらいたい」

 大の男が初仕事を前にしてここまでぐずるというのも情けない話だが、まあ、何しろ八年間引き籠っていたのだ。こういう反応も当然なのかもしれない。勿論、だからと言って手を抜かれるのは絶対に御免だが。

「いやいや、本当に面白いね、君たちは。何だか、本当に楽しみになってきたよ」

 いつの間にかカルボナーラ・スパゲティを平らげたクロードが、哲夫らの顔を順々に見ながら笑った。体格と貫禄に似合わぬ童顔の丸い眼が、好奇心と期待に満ちている。

「ご期待に添えるように、頑張ります」

「うん、頑張ってくれたまえ。だが、クロエ少尉は中々に難敵だぞ。何しろ私の娘だからね」

「ああ、娘さん、美人だよね。ぱっと見た感じ、あんた似かな?」

 シモンが何気なくそう言った瞬間、クロードの輪郭が、急に崩れたような気がした。目が細まり、口元がだらしなく緩んだかと思うと、余裕と威厳に満ち満ちていたさっきまでとは打って変わって、落ち着きなく喋り出した。

「そうだろう! 皆そう言うんだよ! 特に目がね、そっくり。あ、鼻筋がすっきりしてるところもかな。胸があんまりないのは母親の遺伝なんだろうけどね。でもそこも可愛いだろう、な?」

 満面の笑みで哲夫に同意を求める。その豹変ぶりに些か面喰いながらも、哲夫は何とか頷いた。

「え、ええ。とても、美人だと思います」

「だよね! でも手を出したら殺すよ」

 自分が聞いたくせに、笑顔のままさりげなく怖いことを言う。口の端を引きつらせながら、哲夫は聞いた。

「その、クロエ少尉は、GIGS操者としてはどうなんでしょう?」

「そりゃあ君、優秀も優秀。軍学校でも断トツの成績だったからね。実質的なキャリアは三、四年くらいなのにもう代表だし、次期トップエース候補、いや、何ならもう既にトップエース級の腕前と言っても過言ではないね。だいたいあの子は小さい頃から何やらせても一番だったんだ。ヴァイオリンを習ってた頃も……あ、そうだ! ちょうど今六歳の時に初めてコンクールに出た時の写真があるんだけど、見る? 見たい?」

「ああ、見せて」

 クロードが携帯端末の画像フォルダの中から写真を取り出し、シモンがそれに手を伸ばしかけたその時、クロードの後ろから細く白い手がすっと伸び、差し出していた端末を奪った。

「こういうの、やめてくれませんか、中佐」

 眉をしかめ、嫌悪の表情を隠そうともしない、クロエ・エヴァンスが、テーブルを見下ろして立っていた。髪は後頭部でまとめられ、ボディラインのくっきり見える操者用のパイロットスーツに身を包んでいる。これから早速機体に搭乗するのだろう。

「いいじゃないか、写真くらい。可愛いんだからさ」

「私は恥ずかしいの!」

「それに『中佐』ってさぁ……飯時くらい『お父さん』って呼んでも」

「私はもうこれから任務ですから! というか、ここに来た時点ですでに任務なんです! 変に馴れ馴れしくするのやめてください!」

「馴れ馴れしいも何も、親子なんだから。それに父親が娘の自慢をするのは当然だろう」

「だからって、会う人会う人みんなにに見せびらかさなくてもいいでしょう? 中佐の親馬鹿って、噂になってるんですからね!」

「俺が娘を愛する気持ちはその程度の蔭口などものともしないさ! だってそれは、事実だからね、実際この上なく愛しているんだから!」

「私のことを考えているんなら、そういうことを平然と口にしないで! はっきり言って迷惑なの!」

 テーブルの上で、思いもかけず始まった親子喧嘩。シモンはニヤニヤしながらそれを眺め、アナスタシアは苦笑している。

「それに……む、胸の話もするだなんて、信じられない! 言っておきますけど私のは……ふ、普通! 普通ですから!」

「別に馬鹿にしていたわけじゃないだろう! それも含めて可愛いねって話を……」

 胸の話になったとき、クロエがちらとアナスタシアの豊満な胸元に視線を向け、すぐに逸らしたことを、哲夫は見逃さなかった。なるほど、確かにクロエのそれは立派なものとは言い難いが……。

しかし正直、驚いた。クロエ・エヴァンスという女性がこうも感情をむき出しにする人間だということに。もっとクールなのかと思っていたが、口角泡を飛ばしながら父親に食ってかかるクロエには、昨日会議室で見惚れた、あの凛とした雰囲気は感じられない。だが、それが彼女の魅力を失わせることはなかった。哲夫は二人の口論に呆気にとられながらも、実はまだ幼さから抜け出ていないクロエの横顔を見つめていた。

「……もういい! 私これから任務だから、もう行くね!」

「お前が先に難癖つけてきたんだろうが!」

 任務の時間が迫っている割に、たっぷりと時間を掛けて父親との舌戦に興じたクロエが、そのままの表情で哲夫の方に向き直る。そしておそらく、もう取り繕う必要もないと悟っているにも拘らず、笑顔を作りながら言った。

「野口哲夫さん、でしたね。どうぞよろしくお願いします。対戦するのを楽しみにしています」

「い、いえ、こちらこそ……」

 椅子から立ち上がり握手を交わしたが、クロエの手には、必要以上に力が込められていた。

 宣戦布告、ということだろうか。

 

 

         *       *

 

 

 今から十二年前、大きな戦争があった。

太陽系の辺境、火星と木星の間に存在するアステロイドベルトから始まったその戦争、否、『紛争』は、当初、連合政府も問題にしないような小さなテロ行為でしかなかった。しかし、稀代のアジテーターであったアルクスニスという男によって、戦乱は太陽系全土に飛び火した。

 アルクスニス率いる反乱軍は、物量で圧倒的に勝る連合軍に対して直接決戦を避け、局地でのゲリラ戦に終始した。ただでさえ広大な宇宙空間でのゲリラ戦に対応しきれなかったことと、反乱軍のGIGS操者の錬度が思いのほか高かったこともあいまって、連合軍は反乱鎮圧にかなり手を焼く。結局、アルクスニス一派の内ゲバに助けられる形で、紛争終結まで四年の歳月を掛けることとなる。

 紛争勃発当時小学生だった哲夫は、紛争の詳しい背景などはわからない。戦闘行為は太陽系全土で行われていたとはいえ、何しろ宇宙は広く、紛争の被害の及んだ地域は太陽系に散らばる植民市全体の割合で見ればほんのわずかだった。ほとんどの人間は、他人事としてテレビの向こうにそれを眺めていたはずだ。

哲夫が戦争の惨禍を実感したのはジュニアハイスクールを卒業し、航宙管理局の操者養成機関に入る時のこと。ちょうどアルクスニスが死んで、紛争が下火になっていた時期だったが、紛争でGIGS操者が数多く戦死した影響がモロに出て、操者志望というだけで、ほとんど試験なしで入局出来てしまう始末だった。

 

さて、それはともかく、その紛争のさなか、一機の傑作GIGSが開発された。

〈G‐51 ランパート〉。七五年、ミリオン社製。本来の愛称である〈ランパート〉よりも、開発に携わっていた日系の技術者が、太古の蒸気機関車の愛称にちなんで呼んでいた渾名が何故か定着してしまい、一般的には〈ジゴイチ〉と呼ばれるが、紛争が始まって二年目、今から十年前にロールアウトしたこの機体は、連合軍に正式採用されるや否や各地の戦場を席巻し、反乱鎮圧の原動力になったと言われる。

 とはいえ〈ジゴイチ〉は、当時生産されていた他のGIGSに比べても、特別ずば抜けた性能を持っていたわけではなかった。〈ジゴイチ〉が「傑作機」と呼ばれる所以、それはとりもなおさず、「兵器としての取り回しやすさ」にあった。

 オーソドックスな単尾式(シングルテール)スラスターを採用し、内臓火器や電磁バリアなど複雑な機構は悉くオミット。簡素かつ堅牢なフレームと、さまざまな兵器を共有できる器用さ、戦場を選ばないシンプルな機体構成をもつ〈ジゴイチ〉は、シンプルであるが故に安価で、整備効率もよく、実際に戦地で戦う多くの兵士からの絶賛を得た。

 何しろ敵はいつ、どこで襲ってくるか定かではなく、戦術もその都度適宜対応しなければならないとなれば、求められるのはデリケートで扱いづらい超高性能機ではない。

長時間運用が可能で、操者も武器も使い回しが効き、滅多に誤作動を起こさず、少々やられても元気に動く機体。動かなくなっても共有パーツが多いから修理が容易で、出撃シチュエーションを選ばないから取り得る戦術の幅も広がる。

〈ジゴイチ〉ほど戦場を知っている機体はない。時が経ち、マイナーチェンジを重ねた〈ランパート〉シリーズだが、初代〈ジゴイチ〉はいまだに根強いファンを持ち、FGS操者の中には軍から払い下げられた〈ジゴイチ〉を使い続けている者もいるくらいである。

 

しかし〈ジゴイチ〉があまりの傑作機であったため、ミリオン社は後継の開発に苦慮することとなる。

〈ジゴイチ〉の後を継いで軍の正式採用機の座を射止めた〈G‐53 ランパートU〉は、双尾式(ツインテール)スラスターを採用するなど新機軸を様々盛り込み、確かに総合性能は上がったものの、先代〈ジゴイチ〉の長所であったシンプルさが失われる結果となり、現場の人間からははなはだ不評であった。操者によっては、〈ジゴイチ〉との交換を拒むものまでいる始末。

〈ランパートU〉の評価が高かったのは、はむしろFGSの操者の方だった。昨年のマーシャン・ズカップファイナリスト、ハキーム・ザーヒルの愛機〈ジェリコ〉も、〈ランパートU〉をベースとしたカスタム機であり、機体性能に対する信頼度はそれほど低いわけではないのである。

 とはいえ、ミリオン社の主な顧客が軍である以上、それを「成功」というわけにはいかなかった。

そこで、〈ランパートU〉での失敗を考慮に入れつつ、〈ジゴイチ〉の扱いやすさをそのままに、全体的な性能の底上げに挑んだのが、今回シキシマ重工とのトライアルに臨む〈G‐55 ランパートV〉なのであった。

 

 

          *         *

 

 

「どうですか、見た感じ。良さそうですか?」

「わかんないね。乗ったことないし」

「乗らなきゃわかりませんか」

「わからんねぇ」

「僕、今から乗るんですよ」

「うん、頑張ってね」

「ええ!」

 シモンの気のない返事にも苛立ちを憶えない程、哲夫の気分は高揚していた。

 薄暗い倉庫の中に、巨大な人影が浮かび上がっている。

 直線と面で構成された無骨とも言えるフォルムはミリオン社伝統の意匠で、質実剛健を絵に描いたような、均整のとれた中量級の機体。トライアルの一方の雄となる〈G‐55 ランパートV〉。テスト機として哲夫に託された最新鋭機である。

 

「今日は、えー……とりあえず慣らし運転ということで、まずは自由にですね、フリーフライトですね、やってもらって……」

「じゃあ今日は模擬戦とかやらないの?」

「えー……、そう、ですね。今日は単機での動きを見ようと思っていますので、模擬戦は必要ないです、はい」

「なら、俺はもう今日やることないね。部屋戻って寝なおそう」

「駄目よ! ちゃんと見てなさい」

 ミリオン社から出向してきたという男は、妙にぼそぼそとしゃべる陰気な男だった。目の前でアナスタシアに襟首を掴まれているシモンを見ても、無表情のまま説明を続けている。哲夫はパイロット・スーツに着替え、マニュアルの確認に余念がなかった。よく考えてみれば、これは自分にとって半年ぶりの操縦だ。GIGSの操縦は、機体ごとに劇的に違うということはほとんどない。自転車や自動車と同じで、一度乗り方を憶えてしまえばそうそう忘れることなどないのだが、大事な試作機で事故を起こすわけにもいかない。

 しかし突然ドスの利いた声がして、哲夫の集中は脆くも破られてしまった。

「よう、兄ちゃん」

 マニュアルから目を離し、顔を上げると、会議室でクロード中佐に果敢にも咆えていた男、レスター・ディアス大尉の姿があった。ニヤニヤと、口の端を歪めながら傲岸に哲夫の顔を見据えている。レスターはどちらかと言えば小柄な男で、背丈は哲夫の方が高いはずだが、鍛え上げられた両腕を組んだ髭面に目を合わせられると、不思議に見おろされている気分になってくる。

「調子はどうだい、兄ちゃん」

「え……っと、まあ、悪くはないですけど……」

「そうかい、そいつは何よりだな」

「……あの、何の用ですか?」

「ああ? 見学だよ、見学。今日は特に出撃もないからな」

「はあ……」

 おそらくテスト機の出来栄えが気になるのだろう。将来この機体が軍で正式採用ということになれば、真っ先にその恩恵に預かるのは、レスターらエース級の操者達なのだから。

「で、どうなんだ? この機体は」

「いいと思いますよ。まだ乗ってないから詳しいことはわからないけど、カタログを見る限り、現行機よりも出力は上だし……」

「なるほどな。だがいくら機体性能が良くても、操者の腕が悪けりゃあ戦力にはならねぇ。そうは思わないか。ほら、昔から言うだろう『器三分に人七分』ってな」

 レスターの言葉に、哲夫は少しムッとした。『器三分に人七分』というのは要するに、GIGSの総合戦力はGIGS自体の性能が三割、操者の技量が七割で決まる、という古典的な格言だが、ここでその話をするということは、端的に哲夫の技量が低いと言われているようなものだった。

「……何が言いたいんですか」

「そう怖い顔するなよ。俺はただ、急いで新型機を採用するよりも、軍全体で操者の腕を上げることに力を使った方がいいんじゃないかと思ってるだけだ。こんな金ばっかりかかるトライアルまでさせて……な、お前さん、正直なところおかしいなとは思ってるんだろう?」

「別に」

「そうか? 随分急な辞令だったんじゃないのか? 上司はなんて言っていた? 何も疑問を感じなかったのか?」

「感じたとしても、仕事ですから。あなただって軍人なら、上官の決めた方針には従うべきなんじゃないんですか」

 哲夫はつい、声を荒げて反論してしまった。

「クロード・エヴァンスか……ふん」

 レスターの眼が一瞬、凄惨な光を孕んだような気がして、哲夫の背筋が凍りついた。が、レスターの顔はすぐにあのうすら笑いを取り戻していた。

「あの男は、あんまり信用せん方がいいぞ。狸だからな。ま、それを言い出せば軍の人間のほとんどは信用に値せんか」

 レスターはそう言うと勝手に一人で笑いだし、「また後でな」と言い残して去っていった。

 

 トライアル初日、哲夫に与えられた訓練は、〈ランパートV〉の慣らし運転。

 まずは一回二十分のフリーフライトを、間隔を空けて三セット。これには、半年間のブランクがある哲夫の操縦勘を取り戻すという意図も含まれている。

 しかしいざ乗ってみると、ブランクはあまり気にならなかった。搭乗機体に対する予習は念入りにやってきたし、何より〈ランパートV〉は乗りやすい機体だった。

 シンプルな機体構成は初代〈ジゴイチ〉を踏襲しているようだが、推進機は〈ランパートU〉と同じく双尾式(ツインテール)を採用。結果、扱いやすさと機動力向上の両立に成功し、バランスも崩れていないように思える。

 衝撃緩衝機構も最高品質のものが用いられているらしく、操縦していてもまるでストレスを感じなかった。

 なるほど、これはいい。いい機体だ。

 管理局で採用されている機体と比べてみても頭一つ抜けている。

 単機で飛んでいる身軽さもあってか、哲夫は少々はしゃいでしまい、メニューにはないアクロバット・プレイを繰り返し、基地でモニターしている関係者一同をハラハラさせた。

 

 三セット目の飛行時間が終わり、基地に帰還しようとした時、異変が起こった。哲夫の無線に、突然割り込み通信があったのだ。

『よお、ノグチ。俺だよ、レスターだ』

「レスター大尉……何で……」

『ちょっと基地の方見てみ』

 何故レスターが……。疑問を感じながら基地をズームすると、これから着陸しようとしている滑走路の真ん中に、一機のGIGSが仁王立ちしているのが見えた。機種は、〈ランパートU〉。全体的に赤く塗装され、肩にはバイソンのマーキングが見える。

「何ですか……一体」

『これからさぁ、俺と模擬戦しようぜ』

「っ! どういうことですか! 今日は単機でのフライトのみにするって……」

『別にいいじゃねぇか、ちょっとスケジュールを前倒しするくらい。それに、あの眠たそうな兄ちゃんは『好きにしな』って言ってたぜ』

 シモン! なんて無責任な! 

「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ、管制室は何て……」

『ああ? だからいいじゃねぇか。気にするなよ、そういうのは。地の果ての荒野に男が二人、だ。勝負するだろう、普通。得物は無しでいいからよ』

 よくよく耳を凝らすと、レスターの無線の向こうから『何をしている!』『聞いてないぞ!』『大尉! 早く降りろ!』などの怒声が聞こえてくる。おそらく強制的に無線に割り込みを掛けて、こちらと管制室の通話を遮っているのだ。

『さあ! どうするんだ! やるのか! やらんのか!』

 レスターの身勝手な声を聞いていると、哲夫は腹が立ってきた。何なんだこの野郎。何がしたいんだ。こっちは真面目にやってんだ。この仕事に将来を賭けているんだぞ。

「いいですよ、やりましょう」

 そっちがその気なら、やってやろうじゃないか。あんたはさっきおれの技量不足みたいなことを言っていたけど、こっちだって元は管理局虎の子のレンジャー部隊。しかも今乗っているのは新型機だ。舐めるんじゃねぇ。

 哲夫は勢いよく滑走路に着地すると、待ち構えていたレスターの〈ランパートU〉と相対し、臨戦態勢を取る。

「随分お行儀のいいことだな。滑空からいきなり襲撃してもよかったんだぜ」

 レスターの、人を小馬鹿にしたようなうすら笑いが、機体を通してモニターに映っているように、哲夫には見えた。

 

  *          *          *

 

 モニターが一面、青色に塗り潰された。

 雲ひとつない鮮やかな青空。それを今見上げているのは、乗っていた機体ごと仰向けに倒されたからだ。

 何も出来なかった……。

レスター機と対峙してものの数秒。バイソンのごとく突貫してきたレスターに抵抗らしい抵抗も出来ないまま肩口を掴まれ、コクピットブロックの正面から膝蹴りを喰らった哲夫は、それで完璧にノされてしまった。

勢いに押されたわけではない。初手からの突進を読んでいなかったわけでもない。ただ、哲夫の講じた防御策はレスターに悉く打ち破られた。機体の性能差など吹いて飛ばす。これが操者としての技量の差か。

『……おい、頭打ってないか』

 無線から聞こえてくるレスターの声に、哲夫は何も言えなかった。正面きっての一対一で一方的にやられるなど、操者にとってはこの上ない屈辱だった。

哲夫は何も考えられずに、ただ仰向けになったまま空を眺めていた。哲夫を支配していたのは自らの過信への身を焦がすような羞恥心、そして何故か、数秒だけ見たレスターの挙動だった。荒々しく苛烈、しかしそれでいてどこか醒めている風でもある。それが、アルクスニス紛争の最前線を戦い抜いたベテランの戦い方だった。

強い。おそらく何度やっても同じ結果になるだろう。戦う前に哲夫が抱いていた芥子粒程の自信を、レスターは容易く磨り潰してしまった。

『……お前が今、俺との技量の差を感じているのなら、そいつは正しい。だがな……』

 視界の端に、哲夫を見下ろしているレスター機の姿が見えた。傲岸に敗者を見下ろすその姿を、つい格好いいと思ってしまい、哲夫は更に自己嫌悪に苛まれた。

『……それ以前にお前は腰が引けている。だから簡単に突破を許すんだ。お前程度じゃ、どんな高性能機に乗ってたって即撃墜、戦死だ』

 腰が、引けている? どういうことだ。俺はいつも通り……。

『まあいいさ。とにかく俺はこれで確信した。この催しものは、茶番だ』

「……どういう、ことですか?」

 ようやく、声が出た。しかしレスターに食ってかかるだけの気力はない。か細い、敗者の呻き声だ。

『ミリオンには、シキシマと争う気なんてはなからないのさ。派遣スタッフは少ない、操者は民間業者に委託、挙句お前みたいなポンコツを寄越してきやがる。勝つ気ないんだよ』

 レスターの言葉が、哲夫の頭の中で渦を巻いた。それは、つまりそれは……。

『出来レースだ。おそらく上の方で話はもう着いている。このトライアルは単なるお披露目会だろう。そしてお前は、中佐の愛娘の乗るシキシマの新型にボコボコにされる哀れな噛ませ犬ってわけだ』

「で、でも、中佐は管理局と軍との共同歩調のためって……」

『だから、あの男を信用するなと言ったろう。軍と管理局は縄張り争いの真っ最中なんだよ。紛争が下火になっている今、任務の内容が被る組織が二つも必要はない。要はどっちがより予算をぶんどるか、だ。管理局のエリート操者が、軍の最新鋭機に乗った若手に倒される、それはいい牽制になるんじゃないのか。中央官庁に対するアピールにもなる。そうだ、中佐の娘の株も上がって、あの親馬鹿も鼻が高かろう。ふふふ、そう考えると、あの中佐はかなりやり手だよなぁ』

 レスターのねっとりとしたもの言いが、哲夫の胸に沈んだ。確かに、そう考えるなら今まで感じてきた疑問も氷解する。してしまう。だが、そうすると俺はどうなる。何のためにここにいる。希望を抱いてここにやってきたはずなのに、惨めに敗北してハイさようならか。

 空の青さに、哲夫は唾を吐きかけたいほどの苛立ちを覚えた。いつまでも仰向けになったままの自分にも。

 哲夫は機体を起きあがらせ、カメラを管制塔の方に向ける。ズームすると、腕組みをしているクロード・エヴァンスの姿が見えた。

 聞かなければ。あの人に、本当のことを。

 望遠では彼の姿を捉えるのが精一杯だったはずだが、クロードの顔が薄ら笑っているように見え、哲夫はほぞを噛む思いで操縦桿を持つ手を握り締めた。

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