三、サービスディ

 

少し昔の話に成るけれども、僕がメイドさんと遭遇したのは雨の日、あの狭い路地での事だった。

だいたい幽霊が夜中の学校に頻発して出現するのと一緒で、主人のいない野良のメイドさんはこういうような場所によく転がっているものだと風の噂ではよく聞くけれど、それが本当になるだなんて全く思ってもみなかった事だったから今でも本当の事かどうか、自分の身に起こった出来事であるのに、ちょっと自信がない。

 

そうだ、そうだ、やっぱり文章として書き始めると頭の中が整理されて記憶も少しづつ具体的によみがえってきた。

確か、あれは買い物の帰りに街を歩いている時だった、急に降り出した雨から逃れるため僕は狭いながらもアーケードのある裏路地に入っていった。
 
そこは古い商店街の跡地で、今は風俗とシャッターの閉まった店しかない、昼でも薄暗い場所だから、この街の人間はよほどのことがない限り近づこうともしないし、無論僕もその一人だ。
 
しとん、しとん、アーケードの天井は劣化が進み雨漏りしている箇所も多い。ここを向こう側まで抜ければ駅前の商店街の外れまで行く事が出来るが、例え昼であっても寂れて暗く、そのうえ治安の悪いこの路地を一人で渡りきるには少々勇気が必要だ。

 
僕は後ろを振り返る。雨は全く止む気配がない。飽和水蒸気量を軽く超してしまった大気が重く僕を包み込む。関節がだるく全身があくびを始める。
 
この路地を迂回して駅まで行こうとすると、殆ど屋根のない道を歩かなければ成らない、傘がない以上、雨が止まない限り僕はここを通るより他ないだろう。思わずため息がこぼれる。
 
意を決して僕は歩きはじめた。雨漏りのある部分は既に水たまりが出来ているから、それを避けて進めば雨に濡れる心配はない、それにしても生憎の天気とはいえ、まだ昼だというのになんて薄暗い所だろうか、アーケードの天井に付いていた蛍光灯も明り取りの窓も、ろくにメンテナンスされていないせいで、路地内の光源は唯一ピンク色の風俗店のネオンぐらいだ。
 
しばらく歩くとアーケードの中腹部分にたどり着く、そこは少しだけ道幅も広くなりちょっとした広場のようになっていて10年以上前、まだそこそこ活気のあったこの商店街のイベント会場に使われていたといわれる場所だ。南北に流れるこの路地の広場の西側は小さな商店が何件かで構成されているのだけれど、西側は昔病院として使われていた大きめの建物がその面を独占している。

最近はよく遊園地に廃病院をモチーフにした、お化け屋敷などがあるけど、これは紛れも無い本物という噂をよく耳にする。路地の商店街が廃れると同時に病院も閉鎖し、その後に一度この建物は病院っぽさを残したまま、マニアックなラブホテルに改装されたものの、男女関係のもつれから一組の宿泊客が殺人事件を起こしてしまったのだ。それからここは幽霊が出ると噂が立って、その影響でラブホテルが潰れると、そのまま廃墟になり文字通り本当のお化け屋敷になってしまった。今でもよく、風俗帰りの客や、肝試しに着た若者が、お化けに化かされて財布の中身をすっぽり取られてしまうというから、なかなか強かな幽霊の住居になっているようだ。

「今じゃ、お化けだって、お金なしじゃ暮らせないんだな。世知辛い世の中だね。」何か喋ってみれば落ち着くとも思ったけれど、そうも行かなかった。なんせ、僕の目の前に現れた病院跡地は、いつの間にか綺麗に改装されてしまっているのだ。
 「
ああ、化かされているんだ」僕は漠然と思う。最近のお化けは芸が細かいな、芸は身を助けるって言うけれど、幽霊にはもう「身」なんて残ってないというのに……。

 
その建物の壁はクリーム色に塗られ、ピカピカに磨かれた窓ガラスからは中の光が漏れ出ている。病的なこの路地のど真ん中に、こんな健康的な場所があるだなんて、どう考えてみてもうかがわしいが、化かされているなとは思いつつも、少し興味を引かれて建物の前で立ちとまってしまう。
 
『メイドさんポスト』看板にはそう書いてある。僕はメイドさんが好きだから、その看板を見てちょっとだまされてもいいかなと思い始めている。幸い今日はキャッシュカードも免許証も財布に入れていない。中身が数千円だけしか入っていない財布なら、中を空っぽにされたところでそこまで困らないだろう。

僕は建物に近づき窓から中を恐る恐る覗き込む。廃墟特有のほこり臭さは全くなく、それどころかシチューのような良い香りが炊き込めている。匂いからして煮炊きしているせいだろう、窓ガラスは結露で曇って内部の様子を知る事は出来そうにない。

「あら、お客さんですか?」窓の中を覗き込むような体勢で急に話しかけられ、これでは何だか覗き魔が現場を押さえられた瞬間のようでバツが悪い。無害な笑顔でごまかしつつも、僕は激しく動揺していた。

 

僕に話しかけてきた女性は看護婦のように白衣を着ていて中々よいスタイルだ。ますますイヤらしい想像をしてしまう。彼女は主婦がアイロンを掛けるときのように落ち着いた表情で僕をなだめる様に「中でシチューを作ってるんですよ、よろしければどうぞ。」と続ける。

僕は少し混乱しながらも「ここの病院、再開したんですか?」と尋ねると女性は「いいえ、違いますよ、ちゃんと看板が掛かってるじゃないですか、『メイドさんポスト』って、ここは主人様から捨てられたメイドさんを新しい主人に引き取ってもらうまでの間、一時的に保護する施設なんですよ。もしよろしければ、あなたも一人でも構いませんからメイドさんを連れてってもらえません?もう施設が満杯なんですよ、最近、捨てられるメイドさんが多くて街には野良メイドさんだってウロウロしてる始末でしょ。」慈善事業をを営むには派手すぎる顔立ち、やはり人を化かす幽霊は存在するらしい。

けれども、看護婦の言葉は僕にとってあまりにも魅惑的だ。どうやら今では世の中にメイドさんが溢れているって言うのは本当らしい。でもこれはラッキーだ、今までずっと欲しかったメイドさんがこんなところで手に入るのだから、少々怪しいけれど虎穴に入らずんば虎子を得ず、こんなおいしい話に乗らない手はない(少なくとも当時の僕がこの状態を怪しいと思い逃げ出すことは出来るはずも無かった)。僕は二つ返事でメイドさんの受け入れを承諾すると、白衣の女性はニッコリ微笑んで、建物の中に僕を案内する。

 

建物に入ると、やはりシチューを作っているのか、それらしい香りは更に強さを増して鼻を刺激する。病院の待合室を改造したロビーのガラスが曇るくらい湿気はきつく雨降りの外気よりも、室温が高いせいか更に水っぽく感じられる。辺りを見回すと奥の診察室やら病室の跡地と思われる小部屋からは、大量の湯気が立て付けの悪い扉と壁の隙間から溢れ出している。

「まず、そこに座ってください。」白衣の女性は僕を待合室の長椅子に座らせ、受付から大きなファイルを持ってきて僕に手渡す「この中からお好きなメイドさんを選んでください。」僕は、あまりにもコロコロ変わる状況に少し戸惑いながらも「まずはシチューを食べさせてもらえませんか?」と牽制も兼ねて女性にとぼけたふりで尋ね返してみる「煮込み料理が好きなんですよ。だからどうせメイドさんを預かるなら、シチューを上手に作れる娘がいいかなって、味見させてくださいよ。」すると彼女はさっきも見せたあの微笑を浮かべて「そんな野暮な話は止しましょうよ。それよりメイドさんとの相性診断の方がずっと大切だって、お客さんも気付いてるんでしょ。」そう言い終わった彼女の笑顔の質は、最初浮かべたそれとはだいぶ変わってしまい、もう原型をとどめていない「ここのメイドさん達はみんな上手だから安心してくださいな、ルックスや体型で選んでもいいですよ。」

 どうやら雲行きが本格的に怪しい。ここは新手の風俗店か?僕がそう思い始めた時だった、今までも湯気が絶え間なく出ていた診療室のドアの隙間から、突然その倍以上の蒸気が噴出したかと思うと、勢い良くドアが開き、本当にメイド服を着た生物達が飛び出してきた。

「どうしたって言うの!」白衣の女性は人格が豹変したように声を荒げて、飛び出してきたメイドさんに訳を聞く、「お風呂の場のボイラーでシチューを作ったら、圧力釜の圧力値が どんどん上がっちゃって!」メイド服を着た生物の一人がそう答えると白衣の彼女は青い顔で「シチューなんて言葉の綾って言うか、お客さんを安心させるための言い訳みたいなものだって何時も言ってるじゃない!このままボイラーが壊れて、お湯が出なくなったらどうするの、お風呂場にお湯がないんじゃ商売上がったりよ。」

ああ、やっぱり、そういう商売の店だったのか、どうりで大金を取られて帰る奴が後を絶たないわけだな。さて、この騒ぎに乗じて、この場から退散しようかと思い席を立ったその瞬間だった。どかーんっ、と漫画みたいな音がしたかと思うと次の瞬間、部屋中に熱いシチューが巻きちらされる、ついにボイラーが限界を超えてしまったのだろう。中に居た僕を含めて白衣の女性もメイド服の生物達も一目散に外に駆け出し、暗いアーケードを走ってその出口を目指す。外はおあつらえ向きに土砂降りになっていて、皆ドロドロの白くて熱いシチューを駅前の広場を駆け回りながら洗い流す。僕も土砂降りを浴びながら必死に皮膚の熱を雨水に押し付けた。気付くといつしかメイド服を着た生物達は何処かへいってしまっていた、ああ、これでまた野良メイドさんが増えてしまったなと僕は漠然と思う。

「ああ、熱いよう、熱いよう。」白衣の女性だけは駅前の広場のベンチに一人うずくまっている。しばらくすると、爆発音を不信に思い誰かが呼んだのだろう、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。違法風俗の取り締まりはお客の方も捕まるという話を聞いたことがあったから、僕は怖くなって直ぐにその場を立ち去った。

 

ここからは後日談に成るけれど、次の日の新聞の地方版に知った顔が貼り付けられていたので僕は危うく口に含んだコーヒーを吐き出しそうに成ってしまう。

容疑者として写真が載せられていたのは、他でもない昨日の白衣の女性で、彼女はどうやら野良のメイドさんに不法就労させていたらしい。そしてそれが昨日の一件で暗いアーケードの下から、外の世界に爆発と供に明るみにでて、あえなく御用に成ったというわけだ。

もともと強力な繁殖力を持つメイドさんに風俗嬢をさせようとした彼女の目の付け所は良かったかもしれないが、いかんせんそこはメイドさんに対する素人の半端な知識の悲しさ。メイドさんは人間と違ってメイドさんしか出来ないように作られているのだ、だから他の仕事をさせていても、メイドさんとしてインプットされた本能を抑えきれるわけがないのだ。

そう、メイドさんは鍋で主人の帰りを待ちながらシチューをコトコト煮込むようにプログラムされている。そして鍋が無ければ、他のものが標的になるのは時間の問題なのだ。

ああ、それにしてもと僕はため息を付く、昨日シチューのかかった首筋はまだ軽い火傷でヒリヒリするし、それ以上に悔しいのは、あのドサクサにまぎれてメイドさん達を捕獲できなかったことだ。うまくやれば今頃は念願のメイドさんを手に入れられたというのに、パトカーのサイレンから逃げて、シチューを洗い流すのに必死でそれが出来なかった自分に後悔してもしきれないそんな気分だった。

ノートにまだ若干の余地がある為、メイドさんのシチューのレシピを此処に書き記しておこう。

●材料(四人分)……鳥胸肉300グラム、牛乳400cc、水400cc、固形ブイヨン2個、ジャガイモ23個、玉ねぎ2個、ニンジン1本、ブロッコリー1本、バター30グラム、小麦粉30グラム、ニンニク・コショウ・パセリ・メイド酸、各少々。

●作り方……肉、野菜を一口大に切り油で調味

料を加えながら炒める。具に火が通り柔らかく

成ったら、水、ブイヨンを加え10分ほど加熱。

小麦粉とバターをレンジで加熱し溶かしたもの

に牛乳(メイドさんが授乳期の場合はメイド乳

を入れた方が更においしい)を加え混ぜ、更に

レンジで加熱したものを、野菜や肉を煮込んで

いる鍋に投入、弱火で煮込みながら木ベラでゆ

っくりかき混ぜる。十分とろみが出たらメイド

酸(メイドさんの体液に含まれる化学物質なの

で、唾液や愛液)を加え一煮立ちしたら完成。


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