四、メイリッシュ・ウイスキー


 

「よく来たね、君とは一度ゆっくり話がしたかったんだ。」そう言って彼は僕を応接間のソファーへ座るよう促した。

 「自分も前々からここにお邪魔しようと考えていたのですが、最近本職の方が忙しくて……つい延び延びになってしまい申し訳ありません。」

 「気に病まないでください、仕事なら仕方ありませんよ。晴れて研修生を卒業されたそうじゃないですか、もう一人前の社会人だ。」

 「そうでもありませんよ、自分なんてまだまだ半人前です。」

 「いやいや、私なんて組織の中で仕事をしたことがあまりないから、あなたみたいな立派な勤め人には感心しちゃいますよ。」それだけ言うと彼は一度、失礼と席をはずし給湯室らしき部屋の中に消える。

 

 彼の事務所は小綺麗な内装をしており、居住環境としてもすこぶる良い印象を受けるのだが、商売上仕方ないのか壁には所狭しとメイドさん関係のポスターが貼られていて落ち着きが無い。

 『本年度初のメイドさん特売セール!!』

 『メイドさんと行く、メイドランド諸島周遊30日』

 『あなたのマイメイドに新しいエプロンドレスをプレゼント!!』

 『メイリッシュウイスキー独占販売開始!』

 『メイドさんビジネスのマネジメント教室、今期入塾生募集中!』

キャンペーンや料金プランが変わるたびに貼り替えているのか、綺麗だったはずの壁には既に無数の画鋲の痕が付けられている。

 

「いやぁ、お待たせしちゃってすみません、あなたは確か、お酒関係の仕事をされていたと記憶していたので、もし宜しければと思ってね。」彼は机の上にやや肩の張った小麦色の液体が収められた瓶と二つの氷の入ったロックグラスを置いた。

 「ストレートとか、水割りの方が宜しかったでしょうか?メイリッシュウイスキーはロックで飲むのが一般的でして。」

 「いえいえ、僕もウイスキーはロック派でして、特に氷が解けるに連れてフレーバーが代わってゆくところが好きですね。」

 「日常的に、ウイスキーを飲まれるんですね、若いのに流石にお酒で食べていってる人は違いますね。」

 「いやぁ、それほどでは無いです、趣味の範疇を超えるものじゃないですから。」

 「そんなご謙遜を、普段はどんなものをお飲みなんですか?」

 「アイラ島のモルトが好きですね、ああ、ですが最近はアイリッシュウイスキーなんかにも凝っていますし、バーボンならファイティングクックみたいに、力強い味のものがいいなと思います。」

 「すごいですね、本当にお詳しようだ。」

 「そんな事ありませんよ、現に今までこのメイリッシュウイスキーというものは知りませんでしたし。」

 「ははは、そりゃ無理もありませんよ。メイリッシュウイスキーは世界の五大ウイスキーにも数えられていませんし、殆どが生産国のメイドランド諸島で消費され外に出ることはごく稀ですからね。この国でも代理店として輸入してる所は、私の所ぐらいなもんですよ。」

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 彼は、おもむろにウイスキーの栓を抜く。彼が言うにはメイドランド諸島には未だにスクリューキャップというものはなく、こういった大型のボトルには専らコルクの栓が採用されている。(驚いたことにメイドランドには700750ミリリットルのボトルというものは一般的なものではなく、そこで日常的に飲まれているのは120ミリリットル程度の小型の瓶に詰められ、ビールのように王冠の栓によって封をされたものが殆どであるらしい。よって、このボトルは海外輸出向けに作られたものだという。) 

 

 彼は氷の入ったショットグラスに黄金色の液体を注いでゆく。コクコクコクと空けたばかりのボトル特有のいい音がする、僕はこの音を聞くたびにしばしば言いようもなく心が躍る。手に入れて初めて栓を開けた、いままで飲んだ事のない洋酒が目の前で注がれ味わってもらうのを待っている、これこそ最高の気分だ。

「これはなかなか貴重なお酒ですね、いいんですか頂いても。」

「ええ、どうぞどうぞ。」

 そう進められ口に含んだ液体は、スコッチウイスキーのようなピート香はしないものの日本の本格焼酎にも似た独特の穀物臭さのようなものがまず始めに口に広がるが、やはりブランスピリッツ特有のタンニンを含んだコクのある味わいも後から現れて、全体としては、上等なダークラムとアイリッシュウイスキーを合わせたような感じで、だいぶ甘めのウイスキーという印象があるものの、飲み終えた後の余韻は、口に含んだ時のような独特なものではなく、スペイサイドのスコッチのように優しいものだ。

 「どうです?」

 「とてもおいしいですよ。こんな貴重なものありがとうございます。」

 「いやいや、メイドさんの労働力は安いからね、原価は大した事無いんだよ。」

 「それなら、尚更いいお酒じゃないですか。安価で美味しいのですから。」

 「ああ、それもそうだね。ありがとう。」

 僕は続けて二口三口とその味に酔いしれる。甘美な味わいはメイドさんとの口付けのようだ、もしかしたらこのウイスキー、メイドランドで作られているぐらいだから、メイドさんに由来する様々な成分が含まれているのかもしれない。それならそれで、何か効能があるだろう、たぶん精力増強とか、そういうものだろうけれど、たとえそんな効能があったとしても独り者には少し酷だ。繁殖相手の居ない盛りのついた動物ほど惨めで滑稽なものは無いのだから。

 「で、どうだろう、この後だけど、メイドさんの荷揚げ場でも案内しようか?」

 「本当ですか、見せていただけるのなら是非。」

 「はは、それなら決定だ。少し準備をしてくるから、ここで待っていてくれ。おい、君、机の上の片付け頼むよ。」彼は応接室のついたての向こう側に話しかけてから、この場を離れる。

しばらくすると彼の秘書らしき女性が現れたのだが、さて、困った事にその女性、顔に確かに見覚えがある。そうだ僕はこの女性は何処かで会った事があるはずだ。でも上手く思い出せないし、もしかしたら人違いかもしれない、「あら、お久しぶりね。こんな偶然あるなんて、世間は狭いわ。」彼女からの助け舟のような台詞。僕はほっとする一方、彼女が誰であったか思い出せないことに焦りを覚える。「バーでもウイスキー飲んでたけど、本当にウイスキー好きなのね。」そんな彼女の言葉をヒントに僕もはっきりと思い出した。そうだあの時、夕方のバーで出会った女性だ。

「君の『恋人代理』って母親じゃなくて、メイドさんだったのか。」僕の話した内容をどうやらちゃんと覚えているらしい。「僕はマザコンじゃありませんよ、でも、ここで、働いていらっしゃったなんて以外です。」

 「ええ、色々あるのよ。それにしても彼とあなたが知り合いだったなんて……あの人もあの日からだいぶ変わったでしょ、やっぱり可愛がってた後輩が死んで淋しいのね。」

 「死んだっていうのは、あのオウムに殺されたって人ですか?」

 「そうよ。あの日以来、彼はすさんでしまったの。」

 「僕は、社長さんとは、あれ以降知り合って話をさせていただくようになったので、以前の事となどは解かりません。」

 「ああ、なるほど。ここ最近の彼には珍しく上機嫌なのはきっと死んじゃった後輩とあなたを重ねてるんだわね。」彼女は盆に飲み終わったグラスなどを載せて給湯室に向かう、そして最後に「できれば彼と良いお友達になってあげて、寂しがり屋なのよ。」と言い残して去ってゆく。余計なお世話だ、言われなくてもそうするつもりである。

 

 彼が背広に着替えて戻っきて、僕等は事務所を後にする。「留守番頼むよ、メイドランドの周遊ツアーの予約が今日からだから多少問い合わせが多いと思うけれど、」「大丈夫です。」秘書はふてくされたような口ぶりで短く答えた。「じゃあ、行ってくる。」「お邪魔しました。」「はいはい、サッサと行ってらっしゃい。」

 

エレベーターに乗って、一階へと下る。「気にしないでくれ、あいつの態度は。彼女はメイドさんの荷揚げ場が嫌いでね、しかも仕事を押し付けられたもんだから、ピリピリしてるんだよ、あと生理痛かな、丁度そんな時期なんだ。」どうやら社長は秘書の生理周期まで知っているような間柄らしい。

 再び、大人の玩具が立ち並ぶショーウィンドーの前を通る。1階がいわく付な分、家賃はこのあたりにしてはそんなに高くないのかもしれない。

 僕等は都営浅草線に乗り込み湾岸を目指す。乗車中に暇をもてあましても勿体無いので彼とメイドさんに対して意見交換を行うことになる。

 「ノートには目を通してくれたのかい?」

 「もちろんです。勉強になりました。」僕は鞄の中からメイドさんノートを取り出して彼に見せた。

 「嬉しいね、そのノートは私が学生の時に書いたんだ。経済学部の卒業論文の資料集めの一環としてね、論文のタイトルは確か『現代社会におけるメイドさんという労働力とその経済効果』だったかな。」

 「そちらも興味深いです。もし機会があれば拝見させていただきたいです。」

「いや、大学に置いたままだから、十何年も前のものだし、結局アカデミズムの中では受け入れられないものだったしね。」

「アカデミズムの中でのメイドさんの議論には誤りがあるとは僕も思います。彼等はメイドとメイドさんの区別すらしないでいい加減な議論に耽っているんです。」

「ふむ、何か思うところがあるんだね、そうだ、前から聞きたかったんだけれど、メールの中で君が時々使う『メイドさんは奴隷であって人ではない』いう定義。これは一体どういうことなのか、いい機会だから説明してもらってもいいかな。」
 「そんな、大した話じゃないですよ」確かに人前で胸を張って話せるような内容じゃない、酒でも飲んでいれば別かもしれないけれど・・・いや、もう飲んでたか。

「いいじゃないか、もったいぶらないでくれ。」

せっかく良くして貰っているので、あまり断りすぎるのも良くないかもしれないし、先ほどのメイリッシュウイスキーの酔いがいい感じで回っている。ここは腹をくくって話す事にしよう。

はい、例えば、よく漫画とかに出てくるアンドロイドのメイドなんかは、普通に人外であって人間ではありませんということは誰もが承知できる事です。しかし僕の言うところの奴隷としてのメイドさんはそういうものではなくて、言ってしまえばメイドさんの非人間性というものはアンドロイドのような『生物学的な人外ではなくて、文化的、精神的な人外』であって、かつて存在した奴隷制、つまり古代ローマの奴隷のように、生物的には人間だけれども、観念的には人としての範疇の外のものとして扱われていた頃の奴隷に近いのだと僕は考えています。そういう意味でメイドさんをヒトで無いものとして僕は認識しています。

ここで扱いが難しいのは奴隷という言葉の入る「肉奴隷」という言葉です。ここまでの事を理解していただければ後は解りやすいと思うのですが、結局メイドさんは先ほどの話を踏まえると世間一般で言われるところの「肉奴隷」とも違ってくるんです。「肉奴隷」比喩的な表現であって一応人間の範疇に入る存在ですから……肉奴隷は市民権のある女性が何らかの理由か嗜好でもって男の玩具に成ることをさしているんです。でもメイドさんは違います。確かにメイドさんは性処理の対象として使われる事が多いのですが、メイドさんはヒトでないのですから立場としては「血の通ったダッチワイフ」というのが適当であると思われます。

そう、メイドさんは生物学的には人間の女性ではあるのかもしれませんが、観念的にダッチワイフなんです、ダッチワイフが妊娠しないのと同じように、メイドさんが妊娠する事は、メイドさん自身がメイドさんでない事を証明してしまう事実ににもなってしまう。」
 「なるほど、だからメイドさんは、中に出されるのを極端に怖がるのだね。近代のメイドは妊娠が発覚するとだいたいクビにされたのだし。」
 「でも、話はそう上手くは行かないんです、メイドさんは何たって『「め」っちゃ「イ」ンラン「ど」れい』の略なわけですから、どうしても妊娠は免れないわけだし、まあ、そうだからこそ、女という性しか存在しない「メイドさん」が今まで生き残ってこれたのだとも思います。ああっ、話が二転三転してすみません、僕のメイドさんについての発想はどう思います?メイドさんの第一人者のあなたに伺いたいと、前々から思っていたもので。」

それを聞いて社長はほくそ笑む「ふむ、その答えは直ぐ見つかると思うよ、なんせ、これから生のメイドさんを見に行くんだからね。」

 

地下鉄が品川駅に近づき地上に出た、夏の厳しい日差しが社内をこれでもかと照らしている。そう、あせる事は無いのだ電車は刻一刻と目的地に近づきつつあるのだから。

 

これで、僕の病魔も上手く治まってくれれば幸いなのだけれども。

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