WHAT A WONDERFUL WORLD

 

 

「――緑の木々に赤いバラが見える。それは僕たちのために花開く

 僕はしみじみ思うんだ。なんて素晴らしい世界なのかと――」

 

 眼前に広がる漆黒の宇宙空間。無数に漂うデブリの他に見えるものといえば、底なしの暗い闇が無限に口を開けているだけのこの場所に、歌が響いていた。

およそ人が立ち入るには適さない場所で、場違いに色彩豊かな歌詞を、信じられないほどだみ声の男が、これでもかと己の全存在を搾り出すように歌い上げていた。音源は古く、音飛びこそないもののクリアとはとても言えない。

 ああ、しかし。

この男のだみ声は、何故こうも美しく聞こえるのだろう。

 棺桶より少しは快適といった程度の狭いコックピットの中。ゆったりとしたリズムに合わせて間断なくフットペダルを踏み、スラスターの出力を調節しながら、男はスピーカーから流れる数世紀前の音楽に耳を預けていた。

 余りに口が大きかったため『がま口(サッチモ)などと呼ばれた歌手の、代名詞とも言える曲であるという。物心つくかつかないかといった頃から、機関銃片手に戦場を駆けずり回っていた男は音楽史など良く知らず、興味もなかったが、この歌と、この歌を唄うだみ声の男についてだけは妙に気になって、その辺に詳しい同僚に熱心に話を聞いたものだった。だみ声の男は、片田舎のダンスミュージックをジャズと呼ばれる一大ジャンルへと昇華させた「偉人」なのだ。とその同僚はなぜか誇らしげに語った。

 無音の宇宙空間で人間が生きていくためには、音楽は必要不可欠だった。圧倒的な静寂に、人間の精神は耐えることが出来ない。ましてや宇宙船の壁一つ隔てた向こう側は、人間の生きること叶わぬ真空の闇が無限に広がっているのだ。宇宙開拓時代から現代まで、宇宙船に音楽を乗せなかった人間はいない。

そうまでして何故、人間は宇宙に出てきたがったのか。

男は宇宙開拓にまつわる歴史も、開拓を推し進めたイデオロギーもさして知らない。しかしこの曲を初めて聞いたとき、男にはその答えが、うっすらと分かるような気がした。或いは、この曲に問い自体を掘り起こされたのかもしれない。

 

眼前のモニターが敵機の接近を告げていた。モニターの右隅に拡大画像が表示される。人型のシルエットが三機。真空であるため遠近感の無い宇宙空間では見ただけではわからないが、いずれも全高十メートル程の機械人形だった。

GIGS(ギグス)と呼ばれる巨大な機械人形は、半世紀前に登場するや、瞬く間に世界中の戦場を席巻する存在となった。科学技術の発達がまず実感されるのは、何よりも戦場においてであるという。GIGSの汎用性の高さは、それまでの戦争のあり方を一変させるだけのものであった。何より男がこの宇宙空間で命を永らえていられるのも、それに搭乗しているおかげなのだ。

どうやら敵機もこちらを発見したらしい。文字通り尻尾のように見える機体背部から突き出したテール・スラスターの放出する燐光が、三本並んで弧を描く。モニターからの警告音は、敵機との相対距離が、最早戦闘を避けることの出来ぬほどに近づいてしまっていることを告げていた。

 

「――青い空や白い雲を眺める僕。

明るく喜びに満ちた昼、暗く神聖な夜。

そして僕はしみじみ思うんだ、何て素晴らしい世界なのかと――」

 

だみ声の男はかつて、戦場に赴こうとする兵士達の前で、この歌を唄ったのだという。

だみ声の男はおそらく、この世が美しくも素晴らしくも無いことを知っていた。この世には、どうしようもなく醜く、残酷な出来事が溢れている。だみ声の男がそれに気付いていなかったはずがない。気付いていたからこそ彼は、「この世界は素晴らしい」と歌わずにはいられなかった。歌わなければならなかった。

であるならばこの歌は、今この瞬間、どぶ泥の戦場のただ中でこそ、聴かれるべきではないのか。

 

相対距離が十キロを切った瞬間、それまで綺麗に横並びで接近していた敵機が、三方向に分かれた。と、同時に、こちらに向けて十数発のミサイルが放たれる。

明らかな敵意を持ちながら、熱源がこちらに向けて殺到してくる。前方のモニターはヒステリックなまで警報を鳴らし、回避行動を促していた。

やれやれ、たかだか一機に大仰なことだ。

男は一度深く息を吐き、両手に操縦桿を強く握り締めると、勢いよくフットペダルを踏み込んだ。目指すはしかしミサイルの安全圏ではなく、弾幕の只中である。

操対距離十キロの追尾ミサイルを避けることなど、GIGSには容易いことだった。テール・スラスターが発生させる疑似重力を主な推進力とするGIGSは、ジェット推進のロケットなど問題なく引き離す。だから戦場でミサイルを使う場合、敵を追い込み、包囲するためと相場が決まっている。

それ故、敵の裏をかき主導権を握るため、男はあえてミサイル群の中にその身を躍らせた。

 

 「――七色の虹が空に美しく映え、行き交う人々の顔を染めている。

  友人たちが握手をして『ご機嫌いかが』と挨拶する姿が見える。

  彼らは心から言うんだ『愛してる』と――」

 

 ミサイルが爆ぜた。爆炎が暗い宇宙空間を寸時照らすと、それは隣のミサイルを巻き込み次々と爆炎の花を広げていく。

 男はその熱量を背中に感じていた。ミサイル群を巧みにすり抜けると、爆風でさらに加速を得た。誘爆に巻き込んで、指向性の弾頭の大部分を潰したのなら上出来というものだ。そして男は時を移さず、モニターの真ん中に敵機のうちの一人を捉えていた。

 機械の巨人は、爆炎を脱け出してきた敵機を見て、何だか驚いているようだった。表情などあるはずもないのだが、実際に戦場で相対すると確かにそうとわかるのだから面白い。

 遠距離からミサイルで追い込み、三機で誘導して包囲しようとしていたのであろう。成る程、古来より狩猟の基本とされている方法ではある。しかしその初手がまず崩された。最初のミサイルで決着したとは思っていなかったにしても、もとより三機の連携を前提に戦術を練ってきた者にとって、突然の一対一に困惑するのは当然だった。

 しかしそれでも、相手の対応はまず冷静なものといってよかった。携行のライフルを撃ちながら距離を取ろうとする。そうして残りの二機が援護に駆けつけるのを待つ腹であろう。

 だが彼のその目論見は、早々に崩れ去っていた。後退しながらライフルを構え、射撃を行おうとしたその刹那、既に男の機体は彼の懐に飛び込んでいた。

男の機体が携えていた武器は、旧式の銃剣一丁に過ぎない。命中精度も威力も、相手とは比べ物にならない代物で、ついでに言うと弾丸が切れている。しかしそんなことは男の戦い方にはあまり関係が無いのだった。

 一瞬で零距離まで接近するや否や、間髪入れず胴体の装甲の隙間に剣を突きたてる。高周波ブレードが敵機を内部からぐちゃぐちゃに掻き回すと、時を待たずに背中から貫通した。

 

「――赤ん坊が泣いているのが聴こえる。

 あの子たちが大きくなって、僕よりずっと沢山のことを学ぶだろう。

 思わず感動してしまう。

 なんと素晴らしい世界じゃないか――」

 

 敵機はその一撃で完全に沈黙したが、男の目は既に残りの二機に向けられていた。

こと切れた敵機を蹴り飛ばし貫通した銃剣を引き抜く。力を失った巨人は、だらしなく回転しながら虚空に流れていく。男はその哀れな光景には一瞥もくれなかった。残りの敵が僚機の援護のために全速でこちらに急行し、遅しと見るや迷わず攻撃を加えていたからだった。男は、移動速度に緩急をつけてその攻撃を避け続ける。ほんの数秒ほどのやり取りであったが、残った二機のうち短気で、腕に覚えのある方が、焦れて接近戦を挑んできた。

 男は迎え撃つ構えを見せる。

 敵機が腰のアタッチメントからGIGS用のブレードを掴み取るのが見えた。男の用いる銃剣のものと違って、刺突のためでなく、斬撃を加える為のものだ。リーチは、敵機ものの方が長い。

 互いに剣を構え、急速に接近する。敵機が剣を振りかぶり、そのコンマ数秒後、二人の巨人は交差していた。

 おそらく敵機は何が起こったかわかっていなかったろう。それは後方で援護射撃に徹しようとしていた方にしても同じだった。

 敵機がブレードを振り下ろし、刃が左肩から袈裟切りにせんと迫るその瞬間、男は瞬時に銃剣を左手に持ち替え、右手で敵のブレードの横腹に触れていた。そのまま軽く刃を払うと、その余勢を駆って敵機を軸に一回転。完全に捉えていたはずの敵にバランスを崩され呆気に取られる敵を尻目に、後方に居るもう一機に猛然と襲い掛かっていた。

 この瞬間、男は完全に相手を呑んでいた。二度に渡る奇手。常人には為し得ない超絶技巧。三対一で数的優位を持ちながら、なお万全を期した戦術が無に帰していた。それも信じられぬことに、会敵してから二分と経っていないのに、だ。相手は最早、自分達が相対している機体に自分達と同じ人間が乗っているなどとはとても思えなくなっていた。

『化け物――』

 敵機の姿に、怯えの影がありありと見えた。なかんずく接近戦を仕掛けた方の機体パイロットは、完全に心が折れているのがわかる。崩れたバランスを取り直すのに必死で、今まさに襲撃されている僚機のことなど頭に無いように見える。

 男は、それでも最後の抵抗を試みたもう一機の攻撃を当然のようにかわし、やはり当然のように急所に銃剣を突き立てていた。

 こちらも完全に活動を止めるまで、それほどの時間はかからなかった。しかし刺さった場所が悪かったのか、銃剣を抜き取るのに若干手間取った。

 ようやくのことで引き抜くと、最後に残っていた一機、三機の中で特に勇敢だった一機が、戦場からわき目も降らずに逃げ出しているところだった。

 ああ、そうだ。それがいい。丁度今こっちも追いかける余裕のないところさ。だいたいこんなことは、人間がするようなものではないのだ。こんなところは、人間の居るような場所では……。

 

 ふと、振り向いた先に、野球ボール大の地球が見えた。

何だ、ここからでも地球は見えるのか。そんなことにさえ気付かなかった。こんなに遠く離れているのに。

手を伸ばせば片手で掴めてしまいそうな、小さな球体。しかし蒼く、蒼く、眩く、消えようも無く輝く地球光。いったい人間は、この光から目を背けることができるのだろうか。そう思わせられるほど美しく悲しい光が、男を照らしていた。

 

 「――そうさ、僕はしみじみ思うんだ。

  ああ、何て素晴らしい世界なのかと――」

 

 そして、歌が終わった。

 二分二十一秒。短い歌だ。

 だみ声の男の、祈りにも似た最後のフレーズ。余りにも優しい余韻。そして歌の通りに美しい地球光。

 宇宙に、再び静寂が訪れる。GIGSのエンジン音の微かな唸りだけが、操縦桿を通して伝わるのみである。

「…何て素晴らしい世界なのかと……」

 その静寂に耐え切れず、さりとて曲をリピートする気も起きず、男は擦れた声でつぶやいた。

 何かを吐き出してしまいたいのに、涙一粒流れない。

つまるところ男は、疲れていたのだ。

いっそのこと眠ってしまえば楽になれただろう。

しかし男の網膜に焼きついた、鮮やかに蒼く、煌々と輝き続ける地球の姿は、それすらも許さなかった。

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