Silly walker   

 

 

「では、戦闘区域は既にそちらに送ってあると思いますが、ビーコンを中心とした半径十キロの範囲、武器の使用は禁止」

『禁止ったって、最初から装備されてないじゃない』

「まあ、そうなんですけど、念のため。ルールは……どうします、主任? 下手に傷でも付けられると整備の手間が……」

「何でも構いません。傷など付けられるはずがありませんから」

「しかし……万が一ということも……。接触事故の可能性だってあるし……」

「オオハシ君、あなた自分の携わったGIGSに自信を持ってないの?」

「……主任、〈ゼロ〉は我々の大事な商品ですよ。こんな模擬戦なんかでアクシデントを起こすわけには……」

『……何でもいいから早く決めてもらえないかなぁ。このパイロットスーツ、サイズがちょっと小さいんだよね。早いとこ終わらせて脱いでしまいたいんだが』

 

 無線から聞こえるシモンの声は、この期に及んで尚も呑気だった。空を眺めて欠伸などをしていそうな気配すらある。シモンが管制室を出ていくとき感じた、あの妙な寒気は何だったのだろう。この人ほど印象が一定しない人間は見たことがない。だからかどうかわからないが、この後控えている模擬戦の結果がどうなるのかも、よくわからない。シモンが勝てるとは思えないが、負ける姿も想像できない。

果たしてどういうスタンスで観戦したものか。哲夫はどうにも腰の定まらぬ思いで、管制室のカメラに映る二機のGIGSを眺めていた。

 

 シモンにあてがわれた機体は、ずんぐりしたフォルムが特徴の中量GIGS、〈プロキオン〉。十五年は前の機体で、現在軍では新兵用の練習機として使われているものだと、レスターが教えてくれた。現役時代は長距離砲を装備して後方支援に活躍していたというが、安定感と扱いやすさが初心者用に丁度良い、といった評価の機体ということであれば、時代の最新鋭であるモンスター・マシンの相手になると考える方がどうかしている。

 しかしそれでも、一般人であるアナスタシアが軍の機体を使わせてもらうこと自体がかなり無茶である。どういう交渉をしたのかは知らないが、その無茶を通したアナスタシアの力量をまずは褒めるべきだろう。

 

「では、こういうのはどうでしょう。『オニごっこ』、というのは」

 準備万端に待機している二機を前に、シキシマ陣営が揉めていると見るや、助け船を出すのもやはりアナスタシアだった。

「『オニごっこ』?」

「あれ、ご存じありませんか? 子供のころに遊びませんでした? 要は追いかけっこですよ。そちらの〈ゼロ〉がオニ。うちのシモンが逃げ回りますから、それに触れることが出来たらそちらの勝ち。どうです?」

 それはつまり、純粋に機動力の勝負になるということ。さらに言えば、制限時間を設けていないので逃げる側には「勝ち」がない。余計〈ゼロ〉の優位が強まるような気がしたが、いいのだろうか。

「成程、それならお互いにダメージは受けない。いいんじゃないですか、主任?」

「……わざわざハードルを上げて、何か秘策でもあるのかしら?」

「さあ、それは私が考えることじゃありませんので、ね、シモン」

『いきなりルール決められて、秘策も糞もあるわけないじゃないか』

「だ、そうです」

「馬鹿にして」

「じゃ、じゃあ、それで行きましょう。ええと、シモンさん、慣らし運転とか、大丈夫ですか?」

『あぁ、うん、大丈夫。サイトウ君も大変だね。おっかない上司でさ』

「いやぁ、いいんです。私はシキシマに来て日も浅いし、何とかして認められないといけないんで。あとシモンさん……私、大橋です」

 管制室で周りが引くほど火花を散らす女たちを尻目に、シモンは緊張感のかけらもない。それどころかアナスタシアの部下の技師と世間話まで始める始末で、ここまできたらもう何も言うまい、という気にもなる。

 

「大丈夫なんですか、シモンさん。何か、八年間引き籠ってたとか言ってましたけど。ブランクとか……」

 フランチェスカとの舌戦を終えたアナスタシアに、たまらず哲夫は聞いた。そう、哲夫も今の今まで忘れていたが、シモンは少なくとも八年間GIGSに乗っていない。シモンのキャリアがどれだけかは知らないが、八年前と今では操縦方も戦術も変わってきているはずだ。

「さあ。私は操者じゃないからよくわからない。ま、本人が出来ると言うのだから、出来るのでしょう」

「出来るといっても、制限時間もないんじゃシモンさんの勝ちはないわけでしょ? そこんところ、考えているんですか」

「馬鹿ね、向こうは制限時間なんて考えすらないわよ。確実に秒殺できると疑ってないし、早いとこ終わらせたいだけなのよ」

「いいんですか、それで?」

「いいのよ。だってこれは賭けだもの」

「賭け?」

「私の運がどれだけあるかってこと。あいつがどういう奴かも知っておきたいしね」

「アナスタシアさんは見たことあるんですか、シモンさんの操縦してるとこ」

「勿論今日が初めてよ」

誇らしげな顔でケロッとそういうことを言う。それでよくあの怪物に喧嘩を売ろうなどと思うものだ。勝手にGIGSを持ち出して強引に勝負に持ち込んだレスターすらまともに見えてくる。

『あ、アニー! 今気付いたんだけど、結局俺いつまで逃げてればいいの? 何分くらい?』

 そしてこの男だ。この一言でシキシマ陣営周りの空気が刺々しさを増した。自信があるのか、単に空気が読めないのか。シモンも〈ゼロ〉のパフォーマンスは目の当たりにしているはずだ。連合軍の現行機三機を三十秒で仕留めた機体と操者。少しでもGIGSを知っているものなら、自分があれと戦えばどうなるかがわかろうというものだが……。

「どこまでもよ、シモン! 何分でも、何時間でも、出来得る限りどこまでも!」

『わかった。ではそれで』

 わざわざフランチェスカに聞こえるように、殊更大仰に言い放つアナスタシアと、それに対して微笑一つで軽く返答するシモン。初めて会った時、シモンはアナスタシアを「嵐のような女」と評したが、高気圧と低気圧の気圧差が風を生み出すように、この二人が組むから嵐が生まれるのではないかと思う。

 哲夫は周囲の刺々しい視線を意にも介さず、腕を組んだまま微動だにしない女傑と、彼女の視線の先に屹立する、絶望的な戦いに近所に買い物にでも行くかのような軽いノリで挑まんとする巨人の姿を見比べた。

 嵐の気配がする。勝負がどう転ぶかはわからないが、確実に荒れる。妙な確信だけが、哲夫を支配していた。

 

       *      *

 

 冗談じゃない。「何分」も保つわけがないだろう。

荒野に相対する二体の巨人を、フランチェスカは冷ややかな目で見つめていた。荒野にはおあつらえ向きに風もなく、四本の尾を生やした黒い巨人と、それよりも随分小振りな一本尾のアライグマ(プロキオン)くっきりと見える。大人と子供ほどの体格差のある二機が向かい合っている姿はほとんど滑稽でさえあり、フランチェスカにしてみれば、あの機体と〈ゼロ〉を並べること自体が不愉快だった。

〈ゼロ〉は、模擬戦とはいえ火器を装備した現行機の〈ランパートU〉三機を三十秒で全機「撃墜」した機体だ。武装もなく機動戦仕様でもない旧型機と一対一で、手こずる理由などあるわけがなく、有効なデータが取れるとも思えなかった。

本来なら、勝負するまでもないと対戦自体断るところだが、それでも勝負を受けたのは、ここで一気にミリオン陣営の士気を削いで、〈ゼロ〉の優位を確固たるものにしておこうと考えたからだ。

アナスタシアとかいう女の挑発に乗せられた気もしなくはないが、軍人との対戦経験しかないクロエ・エヴァンスに多様な操者との経験を積ませることと、近接戦での格闘パターンを確立させる意図も含めて、利になり得ると判断した。

であるならばこの対戦は、やらないよりはマシ、程度の位置づけであり、スケジュールを圧迫しない程度に早く終わらせてしまえるのならばそれにこしたことはない。

気になることがあるとすれば、シモンと呼ばれた操者と、彼に対して絶大な信頼を寄せていると思われるアナスタシアの発言だったが、「器三分に人七分」の格言も既に古典となりつつある今、操者の技量一つで〈ゼロ〉と〈プロキオン〉の性能差を覆せるとも思えなかった。

そんなことが出来るとしたら、それこそ化け物だ。もし万が一、あのシモンという男が、アナスタシアの言うように本当に超絶技巧を持つ化け物であるなら、それこそ望むところというもの。フランチェスカは仕事柄、数々の操者を見知っているが、未だに本物の「超絶技巧」には出会っていない。

やれるものなら、やってみるがいい。私の〈ゼロ〉相手に何秒保つものか、大言を吐くだけのパフォーマンスくらいは期待しているぞ。

 

「では、始めましょう。用意はいいですね」

『はい』

『今、すごく背中痒いんだけど、パイロットスーツのせいで掻けない』

 どこまでとぼけているんだこの男は。いちいち気勢を削いでくれる。

「シモンさん、本当に大丈夫ですか」

『ああ、大丈夫、大丈夫。痔にでもならない限りちゃんと乗れる』

 ならつべこべ言わずとっとと始めろ。フランチェスカは、〈ゼロ〉を眼前に控えながらも一向に動揺の気配を見せない男に苛立っていた。

『痔はねぇ、辛いんだよ、操者にとって。致命傷だよねぇ。昔知り合いが切れ痔で……』

「シモンさん、と仰ったかしら」

『はい?』

 流石にこれ以上男の与太話に付き合っているわけにはいかない。フランチェスカはたまらず男の話を遮っていた。そうだ、ついでに少し興を持たせてやろう。

「このままでは面白くないので、ハンデを差し上げましょう」

『ハンデ?』

「ええ。あなたに十秒差し上げます。その間にお好きに逃げてくださって結構。クロエ少尉はシモンさんが動き出してから十秒後にスタートします。いいですね」

『私はそれで構いません』

『別にいいのに』

 まあ、どっちでもあんまり変わらないかな。男は尚も余裕を崩さない。自分がどれほど絶望的な戦いに挑もうとしているか、わかっているのだろうか。わからないのだとしたら、操者として重大な欠陥があると言わざるを得ない。わかっていてその態度なのだとしたら、それはそれで問題があるだろう。

 

「では、始めますよ」

 ああ、ようやく始まる。何だかんだで結構な時間を食ってしまった。午後からの予定が多少押すな。だがこの模擬戦で近接戦のパターンを見ておけば、明日以降の確認作業が減る。

「用意……始め!」

 十、九、八、七……。

 カウントダウンが始まった。だが、シモンは、最初に二、三歩前に歩いたきり、動くのをやめてしまった。

「ちょっと、何を考えているの? 折角ハンデをあげたんじゃない。もっとちゃんと逃げなさいよ!」

 六、五、四、三……。

『いいんだよ、これで。時間は有効に使ってるよ』

 相も変わらず呑気なシモンの声が、フランチェスカの逆鱗に触れた。アナスタシアもこの男も、結局は私を、〈ゼロ〉を馬鹿にしているのだ。

 二、一……。

「クロエ少尉!」

 一瞬で終わらせろ! あの男の根拠ない自信と、その男に対するアナスタシアのやはり根拠のない信頼を完膚なきまでに粉々にしてやるのだ! 並ぶ者なき圧倒的な力で、蹂躙し、制圧し、勝利する。それこそが〈ゼロ〉だ、世界最強のGIGSの存在意義だ!

 ……〇!

カウントダウンの終わりを告げるその数字がコールされるや、〈ゼロ〉は、中途半端に距離を取って漫然と突っ立っているように見える〈プロキオン〉に猛然と襲いかかっていった。

獰猛な黒い意志の塊が、獣の本性を剥き出しにして獲物に迫る。数秒の後には獲物が己の爪に掛かっていると疑いもせず。だが、彼はまだ知らないのだ。世界には、獣の理の外に立つ存在のいることを。己が獲物だと思っている眼前の敵が、理を越えたところから自分を見つめていることを。

 

         *        *

 

 膝はやや曲がり、腰も落ちている。加えて猫背。腕はだらりと垂らし、シモンの乗る〈プロキオン〉の姿は、杖こそ持っていないが背中の曲がった老人のようだった。マッシブで精悍な〈ゼロ〉とは比ぶるべくもなく、弱い者苛めに見えてしまうだけ哀れなのは〈ゼロ〉の方だとすら、哲夫には思えた。

 両者の距離は百メートル強。相手にタッチすれば勝ちの〈ゼロ〉が本気を出せば、何秒もかからずに終わる可能性もある。

 先刻、〈ランパートU〉三機を相手にした模擬戦を見ていて感じたことだが、〈ゼロ〉が怪物である所以は、加速力よりもむしろ減速力にある。四本の尾を束ね高速で接近してきたかと思いきや、突如として尾が十字に広がり機体に強烈なストップをかける。そのまま正面から突撃するもよし、横から回り込むもよし、さっきのように上空から背後を取るもよし。取り得る行動の選択肢が多いうえに、そもそものスピードが速いので、相手は次の手を予測し切れない。それがこの機体の最大の強みなのだ。

 いずれにしてもその急激な緩急で相手の攻撃をかわし、強引に近接戦に持ち込むのが〈ゼロ〉の基本的な戦術であろう。

 強襲、そして殲滅。もしも〈ゼロ〉が実戦配備されれば、そのような使い方をされることは想像に難くない。

 では、そんな機体を相手にした場合、どうやって戦えばよいか。

「俺なら迷わず近付くね」

 とは、レスターの弁。

「勿論こっちも向こうも火器を持っているなら、って前提があればだけどな。銃を撃ちながら接近して、中距離戦に持ち込む。付かず離れず、向こうの持ち味が発揮できないような状況に持っていく。あれだけの高出力の機体だ。エネルギー消費も激しいだろ。持久戦には向いてないんじゃないか」

「じゃあ、今のこの状況だったら?」

「十秒の間に出来るだけ距離を稼いで、ギリギリまで引きつけてかわしていく。それしかなさそうだな。まあ、実際の戦場じゃこんなシチュエーション無いから、俺にはどうでもいいけど」

「やっぱりそうですか……あれ、でも…動かないですね、シモンさん」

「……」

 カウントダウンが始まっても、シモンはあの老人のような姿勢のまま動かない。それどころか、一、二歩相手に近づきさえした。

 そして与えられたテン・カウントをほとんど微動だにせずやり過ごしたシモンは、砂埃を巻き上げながら猛然と襲い来る〈ゼロ〉の圧力を真正面に受けることになったのである。

 

 シモンは、ギリギリまで動かなかった。もっとも、〈ゼロ〉が接近するのもほんの一瞬のことだったから、実際には動く暇などなかったろうが、いずれにしても、〈ゼロ〉の腕が眼前に伸びるまで、シモンは微動だにしなかった。

 彼が動いたのは、暴風の勢いさながらに襲い来る〈ゼロ〉の黒い腕が、まさに触れんとするその刹那。

 誰もが勝負あったと思った瞬間、〈プロキオン〉が膝から崩れ落ちた。

 支えを失って倒れるように、傾いだ機体が腕を伸ばした〈ゼロ〉の脇をするりと通り抜ける。そのまま地面に倒れ伏すかと思われたが、すんでのところで態勢を立て直し、自分の横を通り過ぎて行った〈ゼロ〉に向き直る。

 避けた!

 誰もが初手で決着がつくと疑っていなかった。だが、いきなり目標を見失い、大きく腕を空振りさせた最新鋭のモンスター・マシンが、確かにたたらを踏んでいる。その光景を目の前に見せられれば、誰もが口を開けて驚愕するほかなかった。

 しかし、次の瞬間、彼らはその呆けた口をさらに大きく開くことになる。

 

 初手の攻撃をかわされた〈ゼロ〉だったが、その後の態勢の立て直しは見事だった。必中の一撃を回避されたショックなどおくびにも出さず、四本の尾を十字に広げ一気に減速すると、交差した敵機の姿を逃がさぬよう瞬時に向き直る。

 転びかけたような状態から立ち直りかけている〈プロキオン〉を正面に捉え、再び攻撃を始めようとした次の瞬間、〈プロキオン〉はスラスターを煌めかせ、〈ゼロ〉の手の届く距離まで肉薄していた。

 

(何だそりゃあ!)

 哲夫はそのあり得ない行動に目を疑った。おそらく、その場にいた誰もがそう思っただろう。

 捕まらないようにオニに近付くなどという蛮行は「オニごっこ」というゲームの文法上あり得ない。「逃げる」という行為は相手から遠ざかることを意味するはずだ。

 であるならば、何故近付く。

 〈ゼロ〉で実際にシモンと相対しているクロエも含め、その場にいる全員が「困惑」の二文字を脳裏に刻み込まれた気分だったに違いない。

 その困惑の中、近付いてくる〈プロキオン〉に咄嗟に手を伸ばす〈ゼロ〉。しかしシモンは、〈ゼロ〉が横薙ぎにするように伸ばした手をまたしてもすり抜ける。

 

 シモンの動きは、決して鋭いわけではない。鋭いのはむしろ〈ゼロ〉の方で、〈プロキオン〉はといえば、鈍重なイメージそのままに、どちらかと言えばのっそりとした動き出しだ。だが、〈ゼロ〉の腕が迫ると、前傾姿勢で膝から滑り落ちるように、腋の下をくぐり抜けていってしまう。

 くぐり抜けると、シモンは再び反転し〈ゼロ〉に迫る。そしてまた同じように、〈ゼロ〉の伸ばした手をぬるりとかわし、また反転。

 手を伸ばせば届く、という距離ではない。ほんの少し腕を動かせば軽く触れられる範囲に入りこんだ相手に〈ゼロ〉とクロエが指先一つ触れることが出来ないのだ。ここまでくれば誰もが異常事態が起きているのだとわかる。

 しかも〈プロキオン〉は特別なチューンを施したカスタム機でも何でもなく、シモンの方も特別なテクニックを使っているようには見えない。それどころか、〈プロキオン〉は終始、倒れ損ないながら何とかバランスを保っている状態である。傍から見ているだけでは、何故、あれでかわせているのかが全く理解できないのだ。

「彼は……シモンは、何者なんですか?」

 哲夫は思わず、アナスタシアに聞いた。多くの人間がだらしなく口を開けて呆けている中、アナスタシアは真剣な眼差しでこの「異常事態」を見つめている。白い肌は紅潮し、今にも込み上げてきそうな熱いものを堪えているようにも見える。

「……少し前、FGSにシモン・ホロヴィッツって選手がいたの、憶えてる?」

「ええ」

 憶えていないわけがない。「鉄人・ホロヴィッツ」。不屈の男。今から一四年前、「伝説」と呼ばれた操者。

 

 シモン・ホロヴィッツ。

二二歳でデビューするや、テンポの速い攻撃的なスタイルで火の玉のように攻めに攻め、若くしてタイトル戦の常連となった天才。三十三歳までに最優秀操者六回、マーシャンズ・カップ優勝三回、その他にもいくつもタイトルを持ち、間違いなく時代の最強操者の一人に数えられる。

 だが、彼が伝説と呼ばれるのは、それらの栄光を全て失ってからなのだ。

 三四歳、彼は病魔に侵された。それは医療の発達した現代においても不治の病と呼ばれる奇病であった。ホロヴィッツはそれでも諦めずに闘病を続けたが、幾度もの手術とリハビリの日々に、一度はFGSの舞台から消えていった。

 しかし三年後、彼は戻ってきた。頬はこけ、顔面は蒼白となり、痩せ衰えた姿に、誰もが病との凄絶な闘いの痕を想った。だが、彼の攻撃的なスタイルには一片の陰りもなく、否、それどころかより攻撃性を増したホロヴィッツは、圧倒的な戦績を以ってそのシーズン、マーシャンズを獲ってしまう。

 「悪魔的」とさえ評されるヒストリック・リターンを、人々は驚嘆と歓喜とで迎えた。しかし誰もが同時に気付いてもいたのだ。彼のその偉業は、生命の炎を全て燃やし尽くしてようやく可能になるものであることを。

 ホロヴィッツがマーシャンズ・カップを制した翌年、アルクスニス紛争が始まった余波を受けFGSが大会運営自体を休止すると、彼は糸が切れるように再び病に倒れ、今度はリターンの目処も立たず、そのまま息を引き取った。

ホロヴィッツは間違いなく伝説となった。その伝説の年を、哲夫はリアルタイムで目撃している。哲夫がGIGS操者を目指したのも、ホロヴィッツの影響が多分にある。

 

「ホロヴィッツが、彼と関係あるんですか?」

 シモンの戦いから目を離さずに、アナスタシアは頷いた。

「彼は、ホロヴィッツの生まれ変わりよ」

 生まれ変わり……? あまりの想定外の回答に、哲夫の思考が寸時止まる。

「いや、いやいや、流石にそれは。第一年代が合わないでしょう。プレイスタイルだって全然……」

「うるさいわね! いいのよ、私が認めるんだから。それにあいつはね、少し似てるのよ、ホロヴィッツに」

 北欧系のホロヴィッツと東洋系のシモンでは、どうひっくり返しても似るはずはないだろう、とは言えなかった。何よりアナスタシアの表情の真剣さは、冗談を言っている者のそれではない。

(何なんだよ、一体……)

 あの男に一体何があるというのだ。いや、何かはあるのだ。でなければ、圧倒的な性能差をものともせず回避し続けられるわけがない。

 

 三分が経った。

 管制室は静まり返っている。

それはそうだ。連合軍の現行機、〈ランパートU〉三機をわずか三十秒で「撃破」したモンスター・マシンが、旧型の演習機に三分、指先一つかすらせることができないのだ。誰もがぽかんと口を開け、信じられないものを見るような眼で、目の前で繰り広げられている異常事態を呆然と眺めている。

シモンは相変わらず同じパターン。あの妙な、転び損ねのロー・ステップで〈ゼロ〉の腕をひょいとかわすと、すかさず反転。何度も〈ゼロ〉の攻撃範囲内に侵入し、その度同じようなやり方で悉く回避してしまう。

 それが三分間も続けば、フラストレーションも溜まろうというものだが、〈ゼロ〉の動きはむしろ、より鋭敏に、より冷静になっていくように、哲夫には思われた。

 何より、パーソナル・スペースへのシモンの侵入に対し咄嗟に突き出されていた〈ゼロ〉の腕が、計画的に動くようになってきている。

 手数を出して〈プロキオン〉の移動範囲を制限し、相手が足を止めるタイミングで本命の一撃を繰り出す。ボクサーがジャブで相手を追い込んでから渾身のストレートを当てようとするように、次第に〈ゼロ〉が主導権を取り戻しつつある。

 だが、〈ゼロ〉の動きが鋭さを増せば増すほど、それに呼応して〈プロキオン〉の方も個々の動作の速度が上がっていくのだ。動きの方は相変わらずあの不可思議なステップだが、〈ゼロ〉の動きに合わせて段々と速くなっていく。

「集中し出したな」

 レスターが誰にともなく呟いた。

「……そうだ。よく見ろ。焦って手を出すな……よし、まず左で距離を測れ。そう、それは布石。次に右。当然かわされる。しかし避けた先に、いいぞ、それだ、左……ああ、やはりそれもかわす、か……」

 腕組みをしたままぶつぶつと呟いているレスターの横顔は、笑っていた。それも、あのうすら笑いではなく、満面の笑み。そこに狂気の色を見、哲夫は見てはならぬものを見てしまったような落ち付かなさを憶えたまま、尚も〈ゼロ〉の猛攻を掻い潜り続けるシモンの姿に目を戻した。

 

         *        *

 

 手元の時計を見る。

 開始から三分四二秒。

まだそんなものか。長いな。もう一時間はやりあっているような気さえする。

クロエは口の中に溜まった唾を飲み込み、もう何度目かもわからない〈プロキオン〉の接近に備える。フェイントも何もない、ほとんど不用意とも言えるようなぬるいステップ。しかしそれが何故か捕まらない。どう考えても避けられないはずの距離。こちらは囮の動きも駆使して、細かいステップでかく乱を試みている。

にも拘らず、伸ばした手の尽くが空振りになるのだから、あの男に何かがあるとしか思えなかった。

だが一体何が。何故避けられるのかがわからないのに対策など立てようもなく、クロエに出来ることはなんとかして主導権を奪われないように、避けられた後素早く反転することくらいだった。

 

始まる前、相手を甘く見ていたことは否めない。だがそれも無理からぬことだった。

 相手の実力を見誤る云々の問題ではない。これまでに全く対戦経験のないタイプの操者である。いや、『タイプ』と言うのも憚られる。シモン・バレルなる操者は圧倒的に異質だった。

 その独特のステップはもとより、テール・スラスター、姿勢制御用のバーニアすらほとんど使わず、ぱっと見た感じ蹴躓くようにしてクロエのパーソナル・スペースに侵入してくる。

 こちらは「オニごっこ」だと聞いているから、相手を追いかけるつもりで身構えていたのに、まさか攻め込んでくるとは予想もしていなかった。それも何度も何度も、間断なく繰り返し攻め込んでくるとなれば、クロエでなくても完全に未知の状況だった。

 これでよく集中が途切れないものだ、と我ながら思う。速度こそ話にならないレベルではあるものの、こうも間断なく動き回られれば動きを追うだけで一苦労だ。しかし少しでも気を抜けば、棒立ちで真横を通り過ぎられるという醜態を晒すことになる。或いは他の機体であればそれも甘んじて許していたかもしれないが、時代の最先鋭機である〈ゼロ〉に、そのような屈辱は許されない。

 自分の腕が悪いことの言い訳のしようがないとか、そういうことではない。これは〈ゼロ〉に対する信頼の問題なのだ。ここでクロエが諦めてしまえば、〈ゼロ〉はこの程度のことで操者に心を折らせてしまう機体ということになってしまう。

 油断するとベソをかいてしまいそうなほど信じ難い事態に直面してなお、クロエを突き動かしていたのは、操者としての意地と〈ゼロ〉への愛情だったと言ってよい。

 

 だがその一方でクロエは、「なぜ、この人はこんなに私のことをわかっているのだろう」という、ある種の感動が滾々と湧きあがってくるのを抑えることが出来ない。

 何しろ、いかなる手を講じても避け切られてしまうのだ。完全にこちらの動き、考えが読まれているとしか思えなかった。いや、果たして読まれていると言えるのか。向こうの思うがままに動かされているだけなのではないかとさえ、思う。

そして、不思議なことに、シモンの動きに付いていこうとすると、自然にクロエの動きも鋭くなっていく。

シモンに必死になって追いすがる。当然のように避けられる。だが、それを繰り返していくうちに、段々と一つ一つの動作のクリティが上がっていく。まるで〈ゼロ〉の動きの最適解を導き出すように。「ほら、君の動きはここがダメなんだよ」なんてシモンの緊張感のない声が聞こえてきそうな気がした。

こんな手合いは初めてだった。

普通、対GIGS戦は、相手の自由にさせないことが基本となると教わる。いかに敵のパフォーマンスを最小に抑えるか。敵の行動を予測しながら、自分のパフォーマンスを阻害する要因を排除する。軍学校の教錬でもそう教わるし、クロエがこれまで対戦してきた軍のベテラン操者達もそういう戦い方をする。

だがこの男はどうだ。まるでクロエを枷から解き放つように、より自由に動かそうとしているようではないか。

 

次第に、集中力すら上がっていくような気がする。

模擬戦開始前後に付き纏っていた煩雑な思考は消え去った。相手が何者であるのかも、今は気にならなかった。さっきの模擬戦で感じていた自由とはまた違う。全く思い通りの展開になっていないにも関わらず、感覚はこれまでになく研ぎ澄まされ、より多くのもが視界に入った。

〈プロキオン〉の接近に、今度はクロエも応じる。お互いに近付きながら、すれ違いざま、引っ掛けるように右腕を出す。空振り。だが今のは良かった。また新しい引き出しを見つけた。私は、まだこんな動きが出来るのか。よし、次だ。次は捉えられる。

次はさっきの応用だ。動き出しのモーションは同じに、今度はフェイントを入れる。右腕を囮に、狙うはあの転び損ないのようなステップの入りしな。

移動方向を限定させておいて、地球の重力に従い落ち始める、その一瞬を狙う。

タイミングは完璧だった。

クロエのこれまでのキャリアの中でも会心のアタック。普通だったら接触の危険も考慮するところをさらに一歩踏み込む。

思惑は完全に当たった。〈ゼロ〉の機動力を最大に活かし、一瞬で敵の真横に回り込み腕を伸ばす。

届く! 今度こそ!

その時、〈ゼロ〉の腕は、間違いなく〈プロキオン〉を捉えていた。

 

次の瞬間起こったことを、彼女は終生忘れないだろう。

奇跡のような一瞬。それは間違いなくその後の彼女を変えた。

〈ゼロ〉の伸ばした手は、確実に目標に触れられるはずだった。だが、否、やはりと言うべきか、その手はまたしても虚空を掴むことになる。

その空振りを、クロエは得も言われぬ感動を以って受け入れていた。

超絶技巧(ヴィルトゥオーソ)……)

 彼女は確かに「それ」を見た。

 技巧だけではない。ありとあらゆるものを超絶した人間の極致。

 「それ」を見た瞬間、彼女の胸に去来したのは、「あれは何だ」という躓きと、そして「何としてもあれに追い付きたい」という心の高鳴り。

 「それ」は彼女の心をどうしようもなく支配したが、同時にこの上ない自由も与えた。

 「それ」を見た後も、クロエの操縦桿を握る手から力は抜けなかった。むしろより一層力強く握り直すと、クロエは決然と、踵を返してあの男の姿を追った。

 

        *       *

 

 戦いは唐突に終わった。

 ステップの最中「バキン!」と大きな音がしたと思うと、〈プロキオン〉がその場にへたり込んでいた。おそらくはマシントラブル。これまた予想外の事態に、管制室にいた誰もが、声なき声を上げていた。

 突然動かなくなった〈プロキオン〉の肩に困惑気味に〈ゼロ〉が触れ、ようやくオニごっこは終了した。開始から既に十分以上経過している。GIGSによる接近戦としては異例の長さである。

『ごめん、アニー、捕まっちゃった』

 戦いの前と何ら変わらぬ、シモンの呑気な声が響いた次の瞬間、管制室が沸いた。

 今度はクロードだけではなく、その場にいたほぼ全員が立ち上がり、歓声と拍手をシモンに与えた。

 ここにいるのは、立場こそ違えどGIGSに携わる人間だけだ。だからわかるのだ。シモンの挑戦がいかに困難なことであったか。そして、彼のやってのけたことがいかに奇跡的だったかが。ただ一人、フランチェスカ・ルジェッリだけは爪を噛んで悔しそうな顔を浮かべているが。

「恥じる必要はないわ。聞こえてる? シモン。この喝采が。みんな、あなたに向けられてるのよ」

 目に涙を溜めて、アナスタシアがシモンに言った。

『ああ……。なんだ、初めてだな、こういうのは』

 いかにも面映ゆそうに、シモンは呟く。この喝采が何故自分に向けられているのか、どうにも理解できないといった口振りだ。自分のやったことがどういうことか、わかっていない。

 不思議な男だ。シモンと出会ってから何度思ったか知れないが、改めて哲夫は実感した。

 おそらく、ここにいる誰も、自分もそうだが、シモンが何故〈ゼロ〉の攻撃を悉く避け切れたか、理解してはいないだろう。シモンの挙動は全く不可解で、少しでもGIGSを知っているものからすれば不合理にしか見えなかった。避けられるはずがないのに避け続け、マシントラブルが起こるまで止まらなかったのだ。シモンの機動は恐ろしいまでに不可思議だった。

 にも拘らず、今、そんなことを気にしている人間はいない。誰もが目の前で起こったことを素直に賛美している。頭の中の疑問符すら消し去るほどのインパクト。あの不可解極まる機動は、この場にいる人間の心を完全に奪ってしまった。

「これが、『超絶技巧』……」

 哲夫は思わず呟いていた。哲夫もまた、シモンの超絶技巧に魅せられた一人だった。

はたしてこれが『超絶技巧』と呼べるものかどうか、哲夫にはわからない。単純に技術的なものであれば、管理局のベテラン操者や、ジャン・バルトーク、ハキーム・ザーヒルといったFGS操者の方が巧いと思う。だが、巧いとか下手とか、そういう土俵の中に、そもそもシモンはいないのだ。比較対象が見つからない。技術の巧拙の基準が全く当てはまらない。

であるならば、或いはこれこそが正しく『超絶技巧』なのだろうか。

(あれを理解したい)

 鳴りやまぬ喝采の中、哲夫は唐突にそう思った。思わずにはいられなかった。

 あれと同じ地平に立つことが出来たなら、どんな景色が見えるのだろう。

 不思議なことに、昨日あれほどまでに刻み込まれたはずの敗北感と劣等感を、今はまるで感じなかった。

 子供の頃、初めてFGSでGIGSを見たときのような胸の高鳴り。思わず叫び出してしまいたくなるほどの言い知れない興奮が、哲夫の閉塞した心を塗り潰していた。

 

         *       *

 

 夕食を済ませ、明日に備えてのミーティングを終えると、哲夫のやることは早くもなくなった。

 本当はシモンに色々と聞きたいことがあったのだが、クロエとの模擬戦を目撃していた基地の整備員が興奮冷めやらぬといった面持ちで押し掛け、シモンを強引に酒宴に連れて行ってしまった。

どうも「カールスバットの味噌っかす〈プロキオン〉、シキシマの最新鋭機を完膚なきまでに負かす」のニュースは既に基地全体に知れ渡っており、その事件の主役であったシモンは技術者を中心に英雄視されているようだった。

あまり酒の飲めない性質らしいシモンは、酔っ払ってすぐに部屋に引っ込んでしまい、今日はもう会話が出来る状況ではないらしい。深夜というにも少し早い時間だが、明日に備えてもう眠ろうか。

哲夫がそう考えてシャワーを浴び、歯を磨いていると、突然インターホンが鳴った。

こんな時間に一体誰が。訝りながら急いで口をゆすぎ、応対すると、そこに立っていたのはクロエ・エヴァンスだった。

 

「あの……何の用ですか? 少尉……」

 つい不用意にドアを開けてしまったが、これはひょっとするとまずい状況なのではないだろうか。仮にも競合他社に雇われている操者同士なのだし、少なくともクロード中佐に見られるのだけは何としても避けなければならないことは容易に想像がつく。

「……あの男は、何者ですか?」

 しかしそんなことは特に意にも介さないのか、哲夫の困惑など知らぬ顔でクロエは聞く。

「『あの男』…って……」

「シモン……バレル」

 神妙な顔で、クロエは言った。確かに、それは気にならない方がおかしいだろう。何よりクロエはあの男との模擬戦を経験している。傍から見ていてもまるで理解できなかったが、実際に相対していたクロエの困惑は如何ばかりであっただろう。

「いや、俺も先日会ったばかりだから、よく知らないというか……。俺も知りたいぐらいで……あの人が何者なのか」

「そう……」

 クロエは少し俯いて、何か逡巡しているようだったが、すぐに顔を上げて言った。

「……消えたのよ、あの男」

「は?」

 消えた? シモンが? どういうことだ。

「あなた、これからちょっと付き合ってくれませんか?」

 クロエの言っていることが何一つ理解できぬまま、ちょっと待ってくれという声は、しかし出なかった。

 自分に対して、怖いくらいに真っ直ぐに向けられた眼差し。風呂上りなのだろう、生乾きの艶やかな黒髪。

「……いいですよ」

 息を詰まらせながら、思わずそう返事をしてしまっていた。

 ふわりと、クロエの髪からシャンプーの匂いがして、哲夫の脳髄を焦がした。



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