敗者復活の歌

 

 

 今日、おそらく今後二度と頭から離れないだろう光景が増えた。これで人生二つ目。現に今も、昼間見た戦いの一部始終が頭の中を駆け巡っている。

あの女が「超絶技巧(ヴィルトゥオーソ)」と呼んだ機動。あれは一体何だったのか。ひょろりとして、いかにもやる気なさげなシモンという男は、どこでキャリアを積んできた。軍の操者専科では、間違ってもあんな乗り方は教えない。管理局でもそうだ。可能性があるならFGS操者だが、あれだけの動きが出来る操者が未だに無名というのはおかしな話だ。

となれば考えられるのは……。

男の素性に、馴染みのある名を思い出し、レスターは紙煙草を咥えたまま苦笑を洩らした。まさかな。だがもうしそうなら……。

(どうにも役者が揃い過ぎているな――)

 低い天井に向け、紫煙を吐き出す。時代錯誤の裸電球の光が陰り、レスターは対座している男の顔を見失う。男は少し咳き込みながら言った。

「それで、計画の進捗状況はどうなっているんだ、同士レスター・ディアス」

「……換気扇つけなよ。ただでさえ狭い部屋だ、空気も悪けりゃ頭も働かんぜ」

「できるものならとっくにやっている。それに、多少窮屈なのは覚悟の上だ」

 打ち棄てられた都市。人類が宇宙に進出するようになると、地球では当然のように過疎化が進み、多くのゴーストタウンがほぼ手つかずのまま放置されることになった。殊に北アメリカ大陸ではその傾向が顕著で、目の前にいる男が隠れ家としているのもその一つ。旧世紀に大繁栄した鉄筋コンクリート造りのビルの地下であるが、何しろ下手をすると世紀単位で人の手が入っていない場所だけに、住環境としてはすこぶる悪い。

「……そんなことはどうでもいい。問題は計画の方だ。どうなんだ、やれそうか?」

「ああ、目星は付けた。多少予定外の闖入者もいるが、まあ問題はないだろう。計画は変更なしだ」

「そうか。それは何より。此度の作戦は、革命の帰趨を占う重要なものだ。何としても成功させねばならん」

 男は偉そうにそう言うと、後ろに立っていた部下に何かを耳打ちして、部屋から出した。

 

 『ジョナサン・オウル』。

男はそう名乗った。

 その名に、聞き覚えのない軍関係者はいない。軍関係者ならずとも、少しでもGIGSに携わる者の脳裏に「悪夢」の二字をちらつかせずにはいられない、アルクスニス紛争時のトップエース。

 出身は不明。年齢も、本名も不詳。外見を知っている人間もほとんどいない。ただ一つわかっているのは、アルクスニスの率いる反乱軍の一員として、反乱が終息するまでの四年間で三桁をゆうに越える数のGIGSを葬った操者だということ。

(オウル)」の二つ名が示す通り、神出鬼没。強襲戦だろうが防衛線だろうが、ありとあらゆる戦場に姿を現し、神懸かり的な技巧を以って狂気じみたスコアを叩き出した。

というのが通説だが、レスターはそれをあまり信じてはいない。レスターはその男と戦場で遭遇したことはなかったし、まずもってジョナサン・オウルには関連する資料がほとんど存在しない。にも拘らず化け物じみた「伝説」だけは克明に残っているのだから不自然と言うほかなく、そもそもそんな人物が存在したのかどうか疑わしいという説すらある。

レスターは今でも、そんな化け物は存在のしようがないと思っている。『ジョナサン・オウル』なる操者は、アルクスニスのプロパガンダ戦略として創造された架空の人物なのではないか。

『ジョナサン・オウル』を名乗る人物が突然目の前に現れた今になっても、その思いに変わりはない。

この男は、「騙り」だ。間違いない。何より、痩身痩躯で顔色も悪いこの男には、戦士の雰囲気がまるでない。自分たちの英雄の名を騙り、もうとっくに終わったはずの反乱を細々と延命させているだけの、スケールの小さなフィクサー。

本来なら鼻で笑って吹き飛ばしてしまえばいいような相手ではあるのだが、レスターの事情がそれを許してくれなかった。

 

「……さて、ここからは君と私、二人だけだな」

「そりゃあぞっとしねぇな」

 部下を締め出し、小さな部屋で二人きりとなると、男の雰囲気は随分と砕けた感じに変わる。

「実際のところ、どうなんだ、基地の様子は?」

「軍のお偉いさんが来てるからな、まあ若干ピリピリはするさ。特に、クロード・エヴァンスは厄介だな」

「『大鴉(レイヴン)中佐か。確かに、昨年は月で決起するはずの同士がかなりの数あの人に捕まっているし、気を付けるにこしたことはないか

「逆にチャンスなんじゃないか? あの男の首を取れば、士気だって上がるだろうに……」

「駄目駄目! そんなことしたら本格的に軍に目を付けられてしまうよ。エヴァンス家はただでさえ名門なんだし、その嫡男が殺されたとなったら、復讐の対象になるに決まっているじゃないか」

「……お前らテロリストだろ。そんなことでビビってんじゃねぇよ」

「『テロリスト』じゃなくて、『革命家』って言って欲しいなぁ」

「同じだろ」

「全然違うよ。一過性のテロと違って、革命ってのは常に続けていなくちゃいけないんだ。我々みたいな弱小の地下組織が革命を続けるためには、あんまり軍を刺激しちゃいけないんだよ。『生かされず、殺されず』、中央権力とは適度な関係を続けていくのが、長持ちさせるコツなんだ」

「ハッ! 厄介だねぇ、『革命家』も」

 くだらない男だ。アルクスニスの革命なんて、もう八年も前に破綻している。この男がやっていることは、かつて見た夢の残骸をどうにかこうにか継ぎ接ぎし、体裁だけ保って、戦いの火種を申し訳程度に振り撒いているだけだ。

 どうしようもなく哀れな革命家のなれの果てを、それでも唾棄し捨てされないのは、自分もまた似たような存在だという自覚があるからだった。

 戦争の、戦禍の残滓。俺もこいつも、あの戦争で生きて残ってしまった。そして未だに、戦争から逃れ出ていない。それは、もうほとんど意識もないのに、管につながれ虚ろな目をしてベッドに横たわっている哀れな老人を連想させた。

 

「ま、クロード中佐がいてもいなくてもあまり関係はないね。ロースト大佐には話が付いているし……」

「ああ、一般の兵士はともかく、指揮系統は確実に掌握している」

「シキシマ重工にもうちの工作員が潜入して手引きすることになっているし、準備は万端だ。一つ気になるのは、さっき言ってた『闖入者』のことなんだけど……」

「ああ、それなら心配はいらない。よくわからん奴らってだけで障害にはなり得ない」

「そう、君がそう言うなら問題ないんだろうけど。こっちもいい加減行動を起こさないと、下の連中は暴発寸前だしさぁ。大変なのよ、実際」

 信頼してるよ、と男は言った。テロ屋に信頼されるとは、俺も堕ちたものだな。レスターはもうすっかり癖になった自虐的な笑みを浮かべ、煙草の灰を灰皿に落とした。

「では、我々の成功を祈って乾杯と行こうか」

 シモン・バレルという操者のことを、レスターは敢えて口に出さなかった。何故か。俺はあの男に、何か期待でもしているのか。だが、今も瞼の奥から剥がれない、シモンのあの機動を想えば、目の前にいる顔色の悪い男よりは、何かやってしまいそうな気がした。

 いや、しかしそれも詮のないことか。そもそも柄じゃあない。レスターは自嘲しながら男の差し出したグラスを受け取ると、一気に飲み干した。

 不味い。臭くて後味も悪い。安い合成酒だ。薄暗い地下室の黴臭さと相まって、何とも最悪な気分にさせてくれたが、それでもレスターの思考から、シモンの機動が消えることはなかった。

 

        *       *

 

 柑橘系の甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。

 その香りの主、クロエ・エヴァンスが、哲夫の部屋のベッドに腰掛けている。たったそれだけのことなのに、殺風景な宿舎の一室が華やいだような気がする。俺も単純だな、と苦笑しかけたところで、そのクロエと目が合う。カチリと合ったその瞳の、心地よいまでの真っ直ぐさに、苦笑したことすら恥ずかしくなる。

 まったくクロエという女は、男にとっては厄介なことこの上ない。一瞬でも隙を見せれば、即刻軽蔑されてしまうのではないかという恐怖に、気付けば襲われているのだ。特別惚れている自覚すらないまま、いつの間にか嫌われたくないと思ってしまうのだから、普段周りにいる男はさぞ辛かろう。

 実際、部屋に二人きりとなって、哲夫にしてみれば何とも気まずいのだが、クロエの方はさして気にもしていない辺り、もうほとんど嫌味と言って良かった。

「……それで少尉、これから、一体何をするんでしょうか?」

「別に階級で呼ぶ必要はありませんよ? あなたは軍属ではないのだし、年上なのだから呼び捨てでも」

 言いながら、てきぱきと自分の携帯端末と部屋に備え付けのテレビをケーブルで繋いでいる。

「じゃあ、あの、クロエ? ……まずいんじゃないのかなぁ、こんな時間に、俺の部屋に、ってのは……誰かに見られたらさ、いや、俺が色々言われる分にはいいんだけども、君の場合はほら、立場とか……」

「つまらないこと気にしますね。でもご心配なく、私にも立場より大事なものはありますから」

「いや、そういう問題ではなくてだね……」

「よし、出来た。ちょっとこれ見てください」

 あくまでもマイペースに、クロエはテレビのセッティングを終え、画面を見るように促す。流石にベッドに二人並んで座るのは躊躇われ、哲夫は窓際の椅子をテレビの前に運んで、そこに座った。

 画面には、GIGSのコクピット内と思われる光景が写っている。

「これってもしかして……」

「そう、〈ゼロ〉のコクピット。私のヘルメットに着いているカメラの映像です。多少、画像に修整かけてクリアになっているけど、だいたい私が見ている景色と同じです」

 そう言いながらクロエは映像を早送りする。そして、〈ゼロ〉のモニター正面に、ずんぐりとしたシルエットのGIGSが写ったところで、一旦停止する。見違えようがない、あれは〈プロキオン〉。ということは、これは昼間の模擬戦の映像か。

「フランチェスカ主任に無理言って借りてきました。もっとも、あなたと見るのは秘密ですけど」

「はあ……」

「あなたの意見を聞きたい。この映像を見てあなたなら何を感じるか」

「さっき、シモンが消えたって言ってたけど、もしかしてこの映像に?」

「……とにかく見てください」

 そう言って、意を決したようにクロエは再生ボタンを押した。

 

      *     *

 

 シモンのプレイスタイルは、はっきり言って古い。

 テール・スラスターを極力使わず、姿勢制御バーニアとステップをメインとした機動。これは、スラスターの連続稼働にエンジンが耐えられなかった二十年ほど前の時代の戦法で、エンジン、スラスター共に飛躍的に性能の向上した現代GIGS戦ではあまり使う者はいない。

 緩急が付けやすい、エネルギーの消費を抑えられるといった理由で、今でもこの戦型を選ぶ操者はいなくもないが、それもあくまで戦術オプションとして、限定的に使い分けるといった程度。現代のメインストリームはやはり、スラスターを常時稼働状態にしておいて、ステップなどは方向転換や急制動の為に用いるのが常なのである。

 それで最新GIGSの攻撃を避け切るのだからシモンの技量は一体どうなっているのかと、傍から見ていて哲夫は想っていたが、どうも実際はもっと恐ろしいことになっているらしかった。

 クロエの主観視点で観察して気付いたが、シモンは、極力どころか、最初に〈ゼロ〉に接近したとき以外は全くスラスターを吹かしておらず、姿勢制御用のバーニアすら完全にオフにしているのだ。つまりシモンはステップだけで、あの怒涛のような攻撃を凌ぎ切ったことになる。

 そしてそのステップが胆なのだ。コクピットから相対した視点で見ると、その異常性がわかる。 

 シモンの動きの中でも特徴的だった、あの蹴躓いたかのようなステップ。傍から見る分には、鋭くも早くもない、凡庸以下のステップにしか思えず、何故あれで避けられるのか誰もが首を傾げるところだったが、対戦している当のクロエにしてみればまさしく悪魔の所業と呼ぶに等しかった。

動きの、起点が見えない。

シモンは、動き出しの動作なしに回避の過程に入っている。足を強く踏み出すために後足を踏ん張る。敵の攻撃をかわすために腕を振って身をよじる。そういった予備動作が、シモンにはない。だから動きが読めない。

まるでそこだけ時間を切り取られてしまっているかのように、いつのまにか避けてしまっている。その動きに反応しようとした時には既に死角に入りこんでしまっているのだから、クロエが翻弄されるのも自然な反応だったのだ。

「どう?」

「……こんなふうに見えていたのか」

 気付くと、哲夫の背に冷や汗が流れていた。奇妙だ奇妙だと思っていたシモンの動きだったが、こうもまざまざと見せつけられると空恐ろしくなってくる。

「私が見ていたのとはまた少し違いますけどね。実際はヘルメットをかぶっている分、もう少し視界が狭い」

 つまり、これよりもさらに動きを追い難いということ。ここまで来ると、この動きに十分以上も心を折らずに付き合ったクロエに対して賞賛を送りたくなってくる。

「こんな動きがあるのか……」

「私も信じられなかったですよ。最初は古いタイプの操者だと思っていたけど、私たちが知っているのとは全く異質。完全な異能者……」

「オニごっこなのに敢えて近付いてきたのも、このステップの為だったのか」

「そうでしょうね。純粋に追いかけっこになったら、〈プロキオン〉で逃げ切れるはずがないから。でも……」

 クロエがその後の言葉を継げない理由が哲夫にはよくわかる。操者であるならば誰もが声を失うだろう。GIGSが開発されて約半世紀。数多の操者が現れては消えた。彼らが創意に創意を重ね、また多くの犠牲を乗り越えてきた現在、操縦技術は円熟の域に達したと言われていた。だが、まだまだ。思いもよらないところから、新しい世界が見えてくる。これもまた「超絶機動」。

「……あれから色々考えたのだけど、これはステップというよりは、単なる重心移動なんじゃないでしょうか」

 一旦映像を止め、巻き戻してスロー再生しながら、クロエが言う。

「と、いうと?」

「整備の人に聞いたんだけど、〈プロキオン〉のトラブル個所は膝だったらしいの。右膝のアクチュエーターがオーバーロードしていたんですって。普通、過度なステップで故障が起きるとしたら足首でしょう?」

「てことは、足首にはあんまり負荷がが掛かっていない……確かに強い踏み込みも、急なストップもない。ステップの技術でかわしているんじゃないのか。負荷が掛かっているのが膝だとすると、この動きは……もしかしてわざと重心を崩しているのか……でもそうだとすると、これでよくバランスが……」

 ふと我に返ると、クロエが哲夫の横顔をじっと見ていた。思わずたじろぐ。

「な……何すか?」

「いや、やっぱり流石だなぁと思って」

「何が?」

「管理局のレンジャー部隊出身なのでしょう? 流石の観察力です」

「……いや、俺なんて、左遷された身だし、大したことないよ。君も聞いてるんだろう? レスター大尉とのこと……」

「ええ。五秒でやられたって聞いてます」

 そう、そうなんだよ。哲夫は自嘲気味に笑って見せた。

「大尉にもクロード中佐にもボロクソに言われたよ。ポンコツ操者だって……。観察力なんてのもさ、昔からFGSが好きでよく見てたから、それだけだよ」

「そんなことないと思いますよ」

 別に気を遣うふうでもなく、当然のことのようにクロエが言う。

「基本的に、ベテラン操者が強いのは当たり前です。何より経験値が違うのですから。それに慣れない機体で、いきなり勝負を挑まれたら、戦術もなにもないじゃないですか。レスター大尉はそういうの全部わかってたんだと思います。わかってて、最初に一発かましておこうと考えたんじゃないでしょうか」

 クロエは画面を見ながら、淡々と喋っている。その眼は余りにも凛々しく、今の哲夫には少々眩しい。

「あんまり情けないこと言わないで下さい。何しろ最終日には私と対戦しなければならないのですから、不甲斐ないのは困ります。それに……」

 クロエの凛々しい眼がふと、ばつ悪げに伏せられる。ああ、俺は、本当はこの眼をきちんと正面から見据えなければならないのだろうな。

「正直、私はあなたのことを見下していたんです。初日辺りは、特に。でも私も、結局あなたと同じだったんですよ。若手の操者の中では有望とか言われてましたけどね、手も足も出なかったんですよ、シモン・バレルという操者には。皆の見てる前で、最新鋭機に乗って、あそこまで完膚なきまでにやられれば反省も自己嫌悪もしますよ」

 自惚れていた、ということだろうか。対戦相手もシチュエーションも違うのだから、一概に同じということは出来ないだろうが、それでも似たような立場には同情する。確かに哲夫も、どこかでこの仕事をナメていた。復職のチャンスだという根拠のない情報に勝手に期待し、それが当然だと思い込んでいた。

 そりゃあ、負ける。覚悟が足りなかったのだ。或いは、周りが見えていなかった。レスターやクロード、クロエ、そしてシモン。ここ数日で出会った人々に、哲夫はそれを思い知らされた。だが……。

「でも……」

 今度は顔を上げ、クロエが続ける。

「私は今、とても充実した気持ちでいるんです。何というか、全然思い通りにいっていないのに、楽しい……わくわくしているんです。世界が広がったっていうか、本当に好きだったことを思い出したみたいな……」

 クロエの表情が、輝きを増していくのがわかる。ああ、わかるよ。シモンの戦いを見たら、操者なら誰だって胸が高鳴る。誰だってあれを追いかけたくなる。一番最初にGIGSに出会った時のことを、思い出さずにはいられない。

「俺もだよ、クロエ。なんかさ、どうでもよくなるんだよな。シモンを見てると」

 もう、卑屈になることはなかった。クロエの眼を真っ直ぐに見つめ返しても、ばつの悪さはなくなっていた。

「そういえば、さっき『消えた』とか言ってたけど……」

「ああ、それは、これからです」

 その時、ふと漏れたクロエの頬笑みを、哲夫は素直に魅力的だと思った。彼女が普段見せる、シモンが「険が強い」と言った凛々しさとはまた違う。自然と人を共感させる、優しい笑顔。きっとこれが、クロエの素なのだろう。ああ、そう言えば、父親とやり合っている時もなかなか可愛らしかったよな。中佐の溺愛する気持ちもわかるというものだ。

 哲夫の心情も知らぬ気に、クロエは再びテレビ画面に注視し、目的のシーンまで画面を送っていた。

 

       *     *

 

 画面の中では、現在模擬戦開始から四分を超えるところ。クロエが本当に野口に見せたかったのは、ここから先だった。

 後手後手に回っていた序盤とは打って変わって、積極的に〈プロキオン〉に接近していくクロエの〈ゼロ〉。なかなか捉えられないのは変わらないが、それでも動きは洗練さを増し、あと一歩のところまで迫ってきている雰囲気があった。

 そして、運命の四分二八秒、フェイントから〈プロキオン〉の真横を獲った〈ゼロ〉の腕が〈プロキオン〉をついに捉えたかに思えた次の瞬間――。

 

「これが、『消えた』ってシーン?」

「ええ……」

「消えてないじゃない」

「でも、私の眼には、消えたように見えた……」

 

 画面に写っていたのは、さっきまでと同じように攻撃を外し、すぐ脇を通り過ぎている〈プロキオン〉の半身だった。確かに、この映像だけでは『消えた』ようには見えない。

クロエが野口に確認してほしかったのは、何度映像を見返しても消えたように見えないのに、『消えた』という実感だけが、どうしようもなく消えずに残っているからだ。

 

 実戦で、「目標を見失う」ということは、実はよくあることだ。巧い操者ほど、相手に自分の姿を見失わせる技術に長けている、と言ってもいい。いかに三六〇度全方位をカバーするモニターを採用していても、人間の視界に限りがある以上、どうしたって死角に入りこまれることは、ままある。

 要は相手を見失っても、一瞬前の相手の挙動とレーダーを確認して、すぐに目標を再視認すればよい。GIGS乗りの基本中の基本だ。落ち着いてさえいれば、一瞬目標を見失うことはそれほど致命的ではない。

 だが、シモンの場合は全く別だった。

 この瞬間、シモンにかわされたクロエは、「見失った」という感覚すら抱くことが出来なかった。

 一瞬前には確かにそこにいた。〈ゼロ〉に対して真横を向く形で、例の「重心移動」に入るところだったシモン。それが、〈ゼロ〉の腕が届いたと思ったその刹那、もうそこにはいなかった。

 勿論、今そこにあった物が突如として霧散するはずがない。クロエは初心者の頃から教え込まれた通り、普段からモニターとレーダーを同次元に見ている。たとえモニターから外れた目標であろうとも、レーダー上のマーカーさえ確認できれば、すぐに機首をそちらに向けることが出来るはずだった。

だが、もとよりほとんど零距離に近い位置にいた〈プロキオン〉のマーカーは、自機の位置を示す光点と重なり判別ができず、この時点でクロエはモニターからもレーダー上からも、一瞬、シモンを完全にロストしていたのだ。

 言葉にするのももどかしい。そんな拙い説明をどれほど尽くしても、実際目の当たりにしていない野口には伝わるはずのないこともわかっている。だがそれは、確かに「消えた」としか表現のしようのない現象だった。その感動を、クロエはとにかく誰かにわかって欲しかったのだ。

 

「うーん、消えている……もしそう見えているんなら……あ、いや見えていないのか、どっちにしても、そうだとするとこれは結局、フェイント……ってことになるのか……?」

「……信じるの?」

「信じる?」

「『消えた』って」

「ああ、まあ信じるっていうか……消えたんでしょ? 実際」

 少なからず、驚いた。長く続いた接近戦に集中を切らしていたと思われるのが関の山と思っていたのに。

「ていうかね、なんか段々、消えない方が不自然のような気がしてきた。シモンならそれくらい、空気を吸うようにやるね。間違いない。どうやっているのかはわからないけど」

「……どういう人なの? シモンさんって」

 野口はひとしきり唸った後、「よくわからない人」というわかりきった答えを口に出した。

 それにしても不思議だ。対戦相手の人となりが気になるなんて、今までのクロエにはなかったことだ。技量、タイプ、得意な戦法、苦手なシチュエーション……今までクロエが接してきた操者の情報は、皆GIGSに乗った時どうか、ということだった。漠然とでも、その人物がどういう人間かといったことは考えたこともない。私は、変わってきているのか、それとも、あまりに手掛かりが少ないから、そんな情報にすら縋っているだけなのか。

「あ」

「何? 何か気付きました?」

 突然、野口が何かに気付いたような声を上げた。

「いや、あの、大したことじゃないんだけど……」

「ええ」

「本当に大したことじゃないんだけど、『重心移動』で……自分で重心を崩して移動するって、当たり前のことなんじゃないの?」

「はい?」

「あの、あれだよ、当たり前って言い方がおかしかったかもしれないけど、普通人間が歩く時って、重心崩してバランス取っての繰り返しじゃない? だからその、シモンのこの動きってのは、そのまま人間の動きになるわけで……」

「……成程、で、それが何か?」

「いや……それだけだけど……」

「…………」

「だから言ったじゃん! 大したことないって!」

 恥ずかしげに弁解をする野口に、呆れたような視線を送ってみる。憮然として眼を逸らす野口の顔を見ていると笑いが込み上げそうになった。ああ、そうだよね。わかるよ。思わず声を上げてしまった気持ち。

シモンの機動は、新しい発見に満ちている。圧倒的に異質でありながら、どこか懐かしい……とでも言うのか。野口の言うとおり、余りにも人間そのものの動きに原因を求めるなら、それはおそらく人間の根っこの部分に沁みついている何かを、思い起こさずにはいられなくなるからだ。

「……本当に不思議な人ですね、シモン・バレルという人は。高機動GIGS全盛のこの時代に、敢えて人間の動きだけで勝負する操者がいるなんて……。ふふ、さしずめ『人間復古(ルネッサンス)』ってところかしら」

 かつて暗黒時代の闇をくぐり抜け、フィレンツェを中心にヨーロッパで花開いた文化の極み。そこで綺羅星のごとき芸術家たちが目指したのは、誰も見たことのない全く新しいものの創出であると同時に、かつてそうであったはずの人間の根源への回帰であったという。

 動力、駆動機関、テール・スラスター、装甲、衝撃緩衝機構……。GIGSの性能はここ十年で飛躍的に向上した。そしてそれと並行して操縦技術も軒並み大幅な進化をしてきた。十年前には考えられなかった高機動戦闘が、現代では標準になりつつある。

 だが、GIGSの性能が向上すればするほど、操者の技術が進歩すればするほど、GIGSが人型である意味は失われていったのではないか。頭部はセンサーの集合体、腕は武装アタッチメント、足は方向転換軸、胴体は操者の収納スペース……。

 ではGIGSが人型である必然性は?

 シモンの機動には、その答えがあるような気がするのだ。たかが兵器が、人間と同じ姿をして生まれてきた意味。人間に為し得る動きだけで人間を越えたはずの兵器を斃せるのならば、間違いなくGIGSの世界は変わる。

 それが、シモンの『超絶技巧』。

 

「『人間復古(ルネッサンス)』ねぇ……そんな大層なこと考えるかな、あの人」

「あら、『人間の動き』のアイデア自体はあなたのものでしょ?」

「いや、単なる思い付きだし、それ。それに俺にはこの動き、ジャッキーの『酔拳』にも見えるんだよなぁ……。案外適当に動いてるだけかもよ?」

「……『ジャッキー』って誰ですか?」

「……まあいずれにしても、俺は明日からシモンと模擬戦だから色々聞いてみるよ。もしかしてまたシモンとやる気?」

「勿論。あなたとの対戦が終わってから再戦を申し込むつもりです。出来れば模擬戦の資料も見せて欲しいですけど……」

 流石にそれは無理があるだろうか。ミリオン社の最重要機密にかかわることだし、本当はクロエが持ってきた映像も持ち出し禁止なのだ。

「ああ、わかった。出来る限り持ってくるよ。明日もこういうことするんだ?」

「え? ええ」

 思った以上にあっさりとした答えが返ってきた。まあ、駄目でもともとなのだし、ここは野口に任せてみよう。

「でも秘密ですよ。こんな夜中に男と二人で会っているのが父に知れたらことです」

「ああ、だよね。実は俺もそれだけが心配だったんだ」

 そう言って、顔を見合わせて二人で笑う。こういうのは、どれくらいぶりだろう。楽しかった。素直にそう思う。

「あ、でもあくまで本命はあなたを倒して〈ゼロ〉を正式に軍の採用機にすることですから、あしからず。全力で戦って下さいね」

「ご期待に添えるように頑張るよ」

「期待してます。では」

 また明日が楽しみだ。善良そのものといった野口の笑顔を後に、クロエは周囲を警戒しながら自分の部屋へ向かった。

 

      *    *

 

 結論から言えば、翌日のシモンはあまり役に立たなかった。

 前日の酒が目に見えて残っており、典型的な二日酔いの症状を隠そうともしないシモンの操縦は終始精彩を欠き、〈プロキオン〉よりは遥かに高性能なはずの機体に乗っていたにもかかわらず、昨日ほどのパフォーマンスを見せるには至らなかった。

 哲夫は模擬戦の内容として前日のクロエ戦と同じく近距離でのオニごっこを所望したが、シモンは「消える」どころか、開始一分も保たずにあっさり捕まった。

 

「何やってんですか! これじゃ模擬戦にならないですよ!」

 模擬戦後のミーティングはシモンのみならずミリオン社のスタッフもやる気なく終わり、解散後には流石に耐えられず、哲夫はシモンを怒鳴っていた。その苛立ちは、哲夫ならずとも昨日のシモンのパフォーマンスを見たものにとっては共通の思いであっただろう。

「……ちょ…ごめん、怒鳴らないで。頭に響くから」

 ミーティングルームの机に突っ伏して、苦しそうに喘ぐシモンに少々は同情しないでもないが、プロの操者がこんなことでいいのだろうか。アナスタシアは、早朝こそそんなシモンを叱咤して部屋から引きずり出してきたが、流石に今日はもう諦めているようで、既にどこかに去っていった後である。

「ああ……気持ち悪い……。これでよく操縦出来たもんだと、自分を褒めてやりたい……」

「まともに動いてないじゃないですか!」

「乗っただけですごいじゃないか。あんなに飲んだのは久しぶりだったんだから。……吐かなかっただけでも奇跡的だって。むしろ何で他の人に頼まなかったのかが不思議だよ」

 昨日のシモンに対する歓待は、確かに度を超えていたかもしれない。GIGS整備員を中心とした職員が思い思いに酒瓶を持ち寄り、入れ替わり立ち替わりシモンに酌をしての酒宴だった。主役となったシモンはどうやら酒があまり強くなく、しかし律儀に杯を空けようとすれば早晩、潰れるのは必然ではないか。

「わかってます? シモン。あんたの仕事は昨日で終わりじゃないんですよ、むしろここからが本番なんです」

 今こんなことを言っても仕方がないとわかっていながら、哲夫は言わずにはいられなかった。

 クロエが「奇跡的」とすら評したシモンの機動。彼女の眼を明らかにそれとわかるくらい輝かせたそれと実際に相対すれば、ひょっとすると自分も、新しい視界が開けるかもしれない。戦闘前に抱いていた期待が霧散した。

 しかし何よりも哲夫を苛立たせたのは、こんな結果ではクロエもがっかりするだろうという失望であった。

「まったく、クロエ……クロエ少尉は昨日のあんたの動きを絶賛していたんだ。一瞬消えたって言ってたくらいなんですよ。それが何ですか、今日は!」

「……消えた? 一瞬? ……へぇ、そんな風に見えてんだ、アレ」

 特に興味もなさ気に、シモンが呟く。

「こんなんじゃ参考にもならない……聞いてますか、シモン?」

「……何だ、随分やる気に満ちているんじゃあないか」

 そう言って、気だるい態度を隠そうともせずにゆるりとシモンが立ち上がる。

「つまり君は、『消えて』欲しいわけだ、俺に。クロエ少尉と同じものが見たいんだろう?」

「……ええ」

「どうしたんだい? 昨日まではさっぱりやる気がない感じだったのに。それにクロエ少尉とも話をしていたみたいだし、何か心境の変化があったのかな」

 クロエの名がシモンの口から出て、少ししまったと思ったが、それで動揺するわけにはいかない。

「別にいいじゃないですか、何だって。そんなことより、もっとちゃんと……」

「ちゃんとねぇ……。俺の動きなんて、参考にはならないと思うんだけど……。まあただ、君がクロエ少尉と同じものを見たいというのなら……」

 シモンはよたよたとした足取りでミーティングルームの扉を出ていこうとしながら言った。

「俺を、きちんと殺しにくることだよ」

 本気でね。哲夫の方は見ずに何気なく放ったその言葉が、哲夫の胸に魚の小骨のように刺さった。本気でやれと言いたいのはむしろこちらであるはずなのに、「殺す」という言葉の持つ凄みに、何も言えなくなってしまった。

「ああ、そうだ」

 扉を出る直前に哲夫を振り返って、シモンは言う。

「やる気出たんなら丁度いいかもしれないけど、ちょっと気を張ってた方がいいよ。勘だけど、これから面倒なことが起こりそうだから」

「は?」

「ま、何か困ったらレスター大尉あたりにアドバイスを求めてみたら?

俺なんかよりよっぽど参考になると思うよ」

 じゃ、俺は部屋に戻って寝直します。最後に哲夫に手を振って、シモンは自分の部屋に戻っていった。

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