マン・ハンター
まだ夕方だというのに、酒場は既に人でごった返していた。
ぷんと匂うアルコールの香りとひしめき合う人間の熱気に、空席を探してうろうろするだけで当てられそうになる。
酒場の奥にあるカウンターで自分も酒を注文していると、大声で話す客達の声が自然と耳に入る。
「今度の遠征は大成功だったな」
「ああ、イヤンクックが二頭にババコンガだ。上々だよ。次はどうする、やはりテロスか?」
「いや、その前に次の遠征費用の工面をしなければ」
「ならラティオ鉱山で採掘でもするか? しかしどの道金は掛かるなぁ」
円卓に座った四人はハンターであるらしい。陽に焼けた顔を酒でさらに真赤にした筋骨隆々の男たち。狩りの間の骨休めといったところだろう。
ああ、羨ましい。
青年は素直にそう思う。大陸を所せましと駆け巡り、跋扈するモンスター共を薙ぎ倒す。栄光のモンスター・ハンター。自分もいつかは、と胸を膨らませる。
「ほらよ」
ぶっきらぼうなマスターがエールの注がれたグラスを寄越した。どうも、と受け取るが、宴は始まったばかり。まだ席は空く気配がない。
「……俺としちゃもっと静かに飲んでもらいてぇンだが」
そうマスターはぼやくが、ドンドルマに店を構えた時点でそんな望みは捨てねばならないのだ。何しろここはハンターのメッカ、シュレイド地方最大の都市ドンドルマ。遠征に出やすく、施設も整ったこの街を拠点とするハンターは二千を超えると言われている。
「お前もあれか、あの輪ん中に入りたいクチか」
マスターは青年に問いかける。
「ええ、もちろん。でも今はまだ」
「やめておいた方がいい。ハンター何ざロクでもねぇ奴らばっかりよ。何せ半分以上はツケを払いやがらねぇ」
ハンターは明日をも知れぬ職業だ。何しろいつモンスターとの戦いに敗れ、命を落とすかわからない。だから命あるうちに、飲み、食い、騒ぐ。明日のことなど考えないから、金が無くなるまで飲み食いして支払いが出来ないという場合も往々にしてある。
「まったくよぉ、どいつもこいつも……」
マスターがぼやくのもわからなくはないが、青年はそういうハンターの生き方が堪らなく眩しいのだ。一瞬一瞬に命を燃やす。そうでなければ、生きている意味がない。だから青年も、ハンターとなる道を選んだのだ。
「……ところで、例の噂聞いたか?」
酒場の中央テーブルで騒いでいた一人が、突然神妙な面持ちで語り始めた。
「『噂』?」
「ああ、俺も聞いた話なんだが、何でもフラヒヤ産地の『古龍』がついに討伐されたらしい」
「あの『鋼龍』がか? おいおいマジかよ! 誰がやったんだ」
「名前は知らんが、付近の村の常在ハンターらしい」
フラヒヤ山地の古龍といえば、近年彼の地に出没していた龍である。これまで何人ものハンターが返り討ちにあっている。詳しい姿かたちすらわからないのは、あまりに強力な龍であるため生態調査のしようがないからなのだが、それが討伐されたとなれば、研究も進むに違いない。
「しかし惜しいなぁ! あの古龍は俺が討伐するはずだったんだが」
「馬ぁ鹿! お前なんかが敵う相手じゃねぇよ!」
「やってみなきゃわからねぇだろうが!」
「運もあるんだって。遭遇することがまず難しいのさ」
「でも実際に戦った奴はいるんだ! 古龍は伝説上の生き物じゃねぇ!
ましてや災厄でもねぇ! 俺達にも殺せる獲物だ! そうだろう!」
そうだそうだ! と男の熱弁に酒場中から歓声が上がる。
どうやら「古龍討伐」のニュースは酒場全体に広がっていたらしい。男の熱気が瞬く間に血気盛んな狩人たちに伝播していく。
「一度ハンターを志したなら、世界中の龍という龍を狩りつくそうってのが本当だろう! なぁ若いの!」
と突然振られて、青年も驚くものの、
「その通りだ! 人間として生まれたからには、龍なんかに屈してはいけない!」
グラスを掲げ、目いっぱいの虚勢を張りながら叫ぶ。
おお、そうだ! わかってるじゃねぇか、見所あるぜ! などと囃し立てられれば、悪い気はしない。一端のハンター気取りでエールをあおる。
「……噂といえば」
熱狂のさ中、老境のベテランハンターがそう呟いた。彼のテーブルはどちらかといえば年かさの、落ち着いた面子が揃っていて、周囲の騒ぎにはあまり乗っていない。席の近かった青年は、ふと気になって聞き耳を立ててみた。
「この間、猟団がひとつ壊滅しただろう、ほら、デントのところの」
「ああ、そういやそうだったな。慎重な連中だったから意外だよな」
「奴らほぼ全滅だったんだが、一人だけ生存者がいてな。その男も重傷を負って診療所に運びこまれた。俺はたまたま診療所に居合わせていたんで聞いたんだが……妙なことを口走っていてな」
「妙なこと?」
「『ハンターにやられた』とか、なんとか」
「どういうことだ?」
「モンスター以外にやられた、ということらしい。奴は数日で死んだから詳しいことはわからないが」
「モンスター以外に……って、そりゃあれだろ、分け前を巡って仲間割れでもしたんじゃないのか?」
人間を襲う獣がモンスターであるから、モンスター以外に襲われるなどということは理解が出来ない。ましてやハンターがハンターを殺すなど、仲間割れ以外では考えられない。
「しかし仲間割れなら仲間割れだと言うだろう?」
「外聞でも考えたんじゃねぇの。もしくは、思いのほかモンスターが強くて全滅しちまって、一人逃げ帰ってきたのを誤魔化してたとかさ」
「……それにしては、その、様子がな」
「どうだったんだよ」
「酷く怯えていた」
「だからそりゃモンスターに酷い目に会わされて……」
「しかしそれにしちゃ異常な怯えようだった。うわ言のように『ハンターが』と。それに、人間を怖がったのだ……」
人間を狩るハンターがいるのではないか……。と男は深刻そうな顔で言ったが、連れには一笑に付された。
仮にそんなものがいたとしても、要は殺される方が悪いのだ。強ければ生き弱ければ死ぬ。弱肉強食。それがハンターの人生であり、この世界の理なのだ。一々狼狽するほどのことではない。
「よし、皆の衆! 古龍を屠った偉大なる同胞に乾杯だ!」
乾杯! 乾杯! ハンターに、人類に乾杯!
小さな噂話など吹いて消す程に、酒場はすっかり狂熱の坩堝と化していた。マスターはもう諦め顔でグラスを拭くのみである。
青年も大いに飲み、騒いだ。そうして、ハンターを狩るハンターの存在などという他愛もない噂話のことなど、記憶の片隅にすら残すことはなかった。
夜はまだ長い。人類の絶頂もまた始まったばかりだった。
*
ロッシは焦っていた。ここ一月ほど、まともに狩りに出掛けられていない。討伐依頼の掲示板には目ぼしいクエストが見当たらず、ロッシは思わず舌打ちをした。
時はモンスター達が活発に活動し出す春。ハンター達にとっては狩繁期である。まだ若く、ハンターとして駆け出しのロッシにとって、狩りに出かけることが出来ないことほど辛いことはない。自分がこうしている間にも、他のハンターが目ぼしい獲物を狩り尽くしてしまうのではないか。自慢の片手剣も錆ついてしまう。じりじりとした焦燥が彼の身を焼くが、かといってどうしたらいいのかも、よくわからなかった。
理由は簡単だ。
「金が無い」
それに尽きる。
ハンター稼業はとにかく金が掛かる。
まずハンターに無くてはならない武器、防具。加工、鋳造代はもとより、メンテナンス代も馬鹿にはならない。
次にかかるのが狩猟の準備費。食糧や医療品、調合素材に地図にトラップツール、砥石などは必須だし、狩猟するモンスターごとに用意すべきものは変わる。特に駆け出しのハンターにとっては事前準備が狩猟の難易度を決めるといっても過言ではなく、ここでしっかり金をかけておかないと死んでからでは遅いのである。
また、ロッシはハンターズギルドに所属するハンターである。ギルドに登録すると、仕事の斡旋と、狩猟をサポートしてもらえる代わりに、狩猟報酬の何割かと保険料を支払わなければならない。移動費、現地での支給品代は一部持ってもらえるが、重傷を負った場合に備えての治療費は契約金として事前に支払うことになる。
つまり狩猟に出かけるたびに金はかかるわけであり、まだランクの低い狩猟しか任せてもらえず、報酬もそれほど貰えないロッシのような若手ハンターは、例え狩猟が成功したとしてもそれだけでは赤字になってしまう。
これに下宿の家賃と日々の生活費が加わるのだから、とにかくこの街で生きていくだけで精一杯になるのも道理なのである。
(俺も農場持ちになれれば……)
とつくづく思う。聞けばここからさらに辺境の村々では、ハンターを雇う際に村の土地を一部提供し、農地を開墾させるそうである。なるほど、そこでならハンター業に必須の植物を自前で育てることもできるし、収穫物を売って資金を得ることもできる。
だが、そんな好条件が得られるのは、腕と運がいい一握りのハンターだけだ。多くのハンターは、資金難に喘ぎながらも、ランポスやファンゴといった、街の周辺にも出没する小物を飼って日銭を稼ぐしかないのである。
(きっかけさえ、きっかけさえあれば)
そう、きっかけ一つで、この状況は変わるのだ。例えば強力で、それ故成功報酬も高く素材も高価なモンスターを狩る、とか。
無論ロッシには自信がある。腕に覚えがなければハンターなどやっていられない。だが、まだそこまでの経験が無い。よってギルドもそのような依頼は回してくれない。
猟団に入るという手もある。だが今やドンドルマに居を構えるハンターは溢れるほどである。つまりは相当数ロクでもないハンターも混じっているということで、そんな連中とつるむのはむしろ危険。また、優秀な猟団の席などは既に埋まってしまっており、よほどに腕の立つルーキーでなければ入り込む余地などないのが現状なのだ。
「何か、新しい依頼は来てないすかね? こう……報酬をはずんでくれて、それでいて難度の高くないやつ。もしくは新種が見つかったとか」
「そんな都合のいいクエストがあるわけないでしょう。ハンター舐めてるんですか。……イヤンクックなんてどうです? 最近増えてるんですよね」
受付嬢に軽くたしなめられるが、イヤンクックの討伐は正直御免であった。
ここ最近異常発生しているイヤンクックだが、あまりに大量に出現するので素材の値が大暴落している。それほど強いモンスターでもないためハンターとしての実績が上がるわけでもない。労に比して功少なく、必然、ハンター達も敬遠する。
「気持ちはわかるけどイヤンクック狩りも大切な仕事ですよ。現に大量発生している地域では農作物の収穫量が明らかに落ちているんだから」
イヤンクックは土中の虫や農作物を食い荒らす害獣である。農家にとっては天敵だ。誰かが退治しなければならない。だが……。
「すいません、また来ます」
とにかくこちらは金がないのだ。イヤンクックは確かに「ルーキーの第一関門」と呼ばれる、難度の低いモンスターだ。ロッシも半年前に通過した、新米ハンターの試金石程度の扱いである。しかしかといって、ロッシのようなまだそれほど経験のない若手が、準備もせずに挑めるほど簡単な相手でもない。
例え倒しても諸々の準備費でトントン、といったところだろう。おそらくほとんどあがりは出まい。イヤンクック狩りなどは余裕のあるハンターがやればよいのだ。
しかしそうすると今度は本当に仕事がない。
「おう、兄ちゃん、不景気そうな顔だな」
溜息をつきながらギルドを後にしたロッシに、胡散臭げな男が声をかけた。
「なぁ、仕事が見つからないんだろ。わかるぜ、今は兄ちゃんみたいなハンター多いんだよ。そこでだ、な、兄ちゃん、いい話があるんだ」
男は髭面で目深に外套のフードを被り、如何にも怪しげな物腰であった。こういう人間には、関わらない方がいい。子供でもわかる真理である。
「儲け話だよ。なに、そんなに怪しい話じゃない。君がハンターとして優秀ならすぐに終わる仕事さ、どうだい、話を聞く気になったかい」
おそらく、結構な数の人間に声を掛けていたのだろう。男はあまりロッシ本人に拘りはないようだった。ロッシが無視を続ければ他のハンターを見つけ、同じように勧誘していただろう。
ロッシも、こんな胡散臭い話にホイホイ乗るほど世間を知らないわけではなかった。だが、ロッシの焦燥は最早限界を迎えていたのだ。馬鹿者と呼びたければ呼べ。とにかく何か切欠がないと、俺は一生浮かびあがれないのではないかと、その時のロッシには思えてならなかった。
「具体的に。報酬は」
気付けばそう、男に聞いていた。男は待ってましたとばかりににかと笑って、
「前払いで一万。成功報酬でさらに一万。出来次第でボーナスもある。どうだ、太っ腹だろう」
「内容は?」
「ここじゃ話せん」
「ギルドの玄関先では話せないような依頼なのか」
「まあ、そうだな。ビビったか?」
「まさか」
とロッシは努めて強気に言った。
「はは、いいねぇ兄ちゃん、そういうの嫌いじゃないぜ。そうさ、男には危険とわかっていても戦わなけりゃいけない時もある」
男はにやけながらそう言うと、ロッシに紙片を渡した。
「今夜、陽が落ちたら準備を整えてそこに来い。すぐに発つ。遅れたら置いてくぜ」
怪しい。明らかに怪しい。だがその怪しさが却ってロッシを駆り立てたと言ってもよい。確かにこれは蛮勇かもしれない。だが今第一線で活躍しているハンター達だって、駆け出しの頃は蛮勇の一つや二つ奮ってきただろう。
若者の決断は早かった。すぐさま部屋に戻ると装備を整え、足りない狩猟道具を買い揃えた。あとは陽が落ちるのを待つばかりである。後にして思えば、それは「決断」などと呼べるものではなく、単に熟慮が足りなかっただけなのだが、それをすら積極的に肯定できるからこそ若者は若者足り得る。分別の付いた大人にはとても真似の出来ない、特権である。
とはいえ、取り返しがつかぬ道に躊躇なく踏み込んでしまうのもまた若者特有の悪癖である。ロッシは後にこの決断を、心の底から後悔することとなる。
「紅い山脈亭」
ドンドルマの街のはずれにある何の変哲もない宿屋。そこが、男が指定した集合場所だった。陽は暮れかけ、山あいに築かれたドンドルマの街に深い影を落としている。
深呼吸して扉を叩くと、
「ああ、どうぞ」
と中から女の声がして、何とも呆気なく開いてしまった。
「ハンターさんね、話は聞いているわ。こっちよ」
女中と見られる中年の女に、奥の部屋に通される。部屋には昼間の男はおらず、ロッシと同じように装備を携えたハンターが三人、思い思いの場所で椅子に腰かけていた。
「君が最後の一人? 私の名前はルネ。宜しくお願いします」
真っ先に椅子から立ち上がって慇懃にロッシに握手を求めたのは、長身の女ハンターだった。ランプの暗い光ではよくわからないが、随所に龍麟を用いた、なかなか高価そうな鎧を身にまとっている。少なくともロッシより経験を積んでいるハンターであるらしい。
「あ、俺はロッシ。こちらこそ宜しく」
手を握り返すと、ルネと名乗ったハンターを眼が合う。ロッシよりやや高いところから笑いかける。如何にも生真面目そうでありながら、細面でどこか気品も感じられる整った顔立ちには、ロッシにはない余裕が浮かんでいた。
「え、と、あちらの方たちは……」
「ああ、そうだね……ホラ、君たちも挨拶くらいしないか!」
ルネがいらついたような声でそう言うと、ロッシに背を向けて座って本を読んでいた男が何とも面倒くさそうに二人に向き直った。
「ああ……俺は、ノウミだ。よろしく」
聞きなれない響きの名前だった。ノウミと名乗った男は三十路半ばといったところだろうか。ボロボロの外套を羽織った姿はハンターというより乞食に近い。しかし、無造作に伸ばされた縮れ髪の奥に光る眼の鋭さはベテランハンターのそれだった。思わず背筋がぞくりと震える。
「こっちはナダ。ナダ、お前も挨拶くらいはしといたほうがいい、らしいぞ」
ノウミが紹介すると、部屋にいた最後の一人が振り向いた。
瞬間、ぎょっ、とする。
白い。
髪が、まつ毛が、肌が、病的なまでに白い。その真白の中で、眼だけが赤い。まるでこの世のものではないかのような姿。思わず息を飲む。
「私も初めて見て驚いた。こういう病気があるらしいとは知っていたが。生まれつき体の色素が抜けている……」
ルネが小声でロッシに呟く。
「ナダ……びょーき?」
聞こえていた。ルネが申し訳なさ気に「すまない、そういうつもりで言ったのでは……」と謝ると、ナダは椅子から立ち上がり、二人の目の前に立った。
少女、それもかなり小柄だ。線も細い。この子はハンターなのか。いや、それ以前に「人間」なのか……。
出来の良すぎる人形のように表情を全く変えず、茫洋とした赤い瞳でロッシとルネを見比べる。顔のつくりもこの地方のものではない。それが尚更、少女を異形のものとして映していた。
「ナダ、げんきだよ、びょうきとちがう」
「ああ、違うんだ、君が病人だと言ったわけではなくてあくまでそういう事例があると……」
「価値観の違いってやつさ。気にするな、ナダ。お姉ちゃんが困ってる」
ノウミがそう言うと、ナダはこくりと頷いてもといた椅子に座りなおした。
「ど、どういう人たちなんですか?」
「私も先ほど会ったばかりだからよくわからない。普通じゃないことは確かだが……」
「ナダ、ふつーじゃない?」
「あ、ああ、すまないそういうつもりじゃ……」
「いいから座ってろ、ナダ。すまんな、こいつはまだシュレイド語が達者じゃないんだ」
どうも妙な雰囲気になってきた。この人たちと組むのか? 先行き不安だ、とロッシが思っていると、部屋のドアが開いて、男が一人入ってきた。昼間、ロッシを勧誘した男だ。
「揃ったな。じゃあ早速依頼の説明を始めるぞ。よぅく聞け」
男は部屋の中央のテーブルに地図を広げた。シュレイド地方南東部のものだった。
「今回の仕事は、ここ、アデレード台地のモンスター退治だ。名前は言えないがさるお方がここに農園を作りたいという。日当たりも水はけも良好な優良物件だからな。ところが測量も済ませいざ開墾、となった時、ランポスの群れが侵入してきやがった。それもかなりの数だ。普通じゃない。これを何とかしてほしい、というのが依頼だ」
「『何とか』とは具体的には?」
ノウミが男に聞く。
「『殲滅』だ。一匹残さず、とは言わんが。追い払った程度ではまたやってくるだろうしな」
「ということは、かなりの長丁場になるな」
ランポスは通常、二十〜三十くらいの群れで行動する。今回のケースはおそらくその倍の数が入り込んでしまっているという。その上ランポスは知能も高く、ハンターから逃げ隠れもするから、全滅させるとなるとかなり時間がかかる。
「そうだ。だからボーナスをやる。ランポス一頭につき五百、報酬に上乗せする」
「随分太っ腹だな」
「それだけ農場の収入が望めるってことだろう」
ここまで聞いて、ロッシは正直拍子抜けしたような気分だった。法外な報酬だからどんな危険な依頼かと思いきや、ランポス狩りとは。確かに時間はかかるかもしれないが、ランポス程度ならむしろぬるいくらいだ。その上ボーナスまで貰えるのだからラッキーと言うほかない。
ロッシが内心ほくそ笑んでいたその時、ふとテーブルの対角線上にナダの顔を見た。無表情というよりは無機質な顔。眉ひとつ動かしていないはずが、今は何だか悲しそうに写った。
「しかしこの仕事、どうしてギルドに依頼しなかったのでしょう」
口を挟んだのはルネだった。生真面目そうな顔で、眉間に皺を寄せている。
「それは俺の知ったことじゃねぇ。だが別に立ち入り禁止区域というわけでもない。問題はないだろう。ギルドの依頼だとここまでの報酬は望めないしな。それとも何か、疑問があると戦えないか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「よし、あと質問はあるか? ないな? じゃあ早速出発だ。ついてこい」
そう言って席を立った男も、ロッシ達と同様に鎧を着込んでいたので、ロッシは思わず声を上げていた。
「あれ、ちょっと待って、あんたも一緒に行くの?」
「そうだが、悪いか?」
「悪いっていうか、普通狩りは四人で行くもんでしょ?」
どんな狩りでも、基本的に参加人数は四人までである。それはギルドも公認のルールだ。「五人以上で狩りに行くと、全員生きては戻れない」というジンクスがハンター界にはあるからだが、
「は! お前なぁ、いまどきそんなジンクス信じる奴があるか! 今は狩りも効率の時代だ。数が多いに越したことはない。だいたい死ぬのはそいつが弱かったからだ。未だに狩猟人数に限度を設けているギルドが信じられん!」
と男は明快に一蹴した。
「ああ、そうだ忘れるところだった。俺のことは『ライール』と呼べ」
ライールはそう言って自分の荷物を担ぐと、先頭切って扉を開けはなった。
その姿は、まるで時代の最先端を行かんとする旗手のようで、ロッシにはひどく格好良いものに見えた。
*
「何か、おかしいと思わない?」
ルネにそう言われて、ロッシは曖昧に頷かざるを得なかった。確かにおかしい。現地に到着しライールと合流、ベースキャンプを定めていざ、と勇んでランポス狩りに繰り出したものの、肝心のランポスは一向に現れず、狩りを始めてから五時間ほど経っても、ルネの太刀がわずかに二頭仕留めたのみである。
ライールの話を信じるならばランポスはもうそこらじゅうにうじゃうじゃといるはずであり、三歩歩けば獲物に行きあたるくらいに考えていたところであったので、二人とも大いに出鼻を挫かれた。
「担がされたのかしら、私たち」
「ま、まあまだ初日だし、ランポスも隠れてるのかも……」
と言っては見たものの、ロッシの胸中にも既に不信感が芽生え始めている。いや、だがしかしたとえランポスを一頭も狩れなかったとしても報酬は合計で二万。ならばこの状況はむしろお得。そういう考え方もあるはずだ。
「……それって、本当に信用できるの?」
「……」
目的地のアデレード台地まではドンドルマから片道一週間の道のりだった。ひっそりとドンドルマを発って、鳥車に揺られながら一週間。その間、ロッシは今回生死を共にする仲間たちとの友好を深めるべく、メンバーとの会話を試みていた。
が、ノウミはほとんどの時間を寝て過ごし、ナダはシュレイド語が不自由なため満足に会話が出来ず、ライールに至っては「準備があるから」と一人先に行ってしまったため、会話をする相手は必然的にルネしかいなくなってしまった。
もっとも、それはルネとて同じであったらしく、狩りの話から始まり好きな食べ物、趣味、尊敬する狩人など、取り留めはなかったが話は弾んだ。
「私は、まあ何と言うか、武者修行中なのだ」
「武者修行?」
「ああ、強くなりたい。誰にも、何者にも煩わされない強さが欲しいと思った。それで何年か辺境を回って、猟団にも入っていたのだが、その、恥ずかしい話、喧嘩別れしてしまって……」
「それはどうして?」
「密猟に誘われた。私は当然拒否したのだが、ギルドに報告に行こうとしたら『もう貴様とは組まん』と言われて、なら私もこれっきりだ! と飛び出してしまって」
「そりゃあ、そうなるよ。タレ込みみたいな真似したら」
「何故だ! 違法行為だろう」
「そうなんだけどそうじゃなくて……えー、じゃあなんでこんな胡散臭い依頼受けようと思ったの?」
「それはだな、まあ私としても自分の性格が難儀である自覚はあるし、失敗の反省もしたのだ。こういった正規でない依頼を受け、こなしてみることで、より柔軟な人間となり、また豊かな人間関係を築けるようにだな……」
つまりこれも修行なのだ、とルネは意味もなく偉そうに言った。ロッシよりもいくつか年上のはずの彼女だったが、そうしているとまだ子供っぽさが残っているように見えるから面白い。
「でも、それじゃあ『おかしい』とか思わない方が、思っても言わない方がいいよね」
「う、む。そうだな、確かに。これは修行なのだしな。胆に銘じておこう」
そう言って笑って見せた彼女の顔が、狩りが始まると次第に曇ってきている。前の猟団のように癇癪を起さないことを祈るばかりである。
「おかしいと思いませんか?」
そう、ロッシはノウミに言ってしまった。今日はノウミと組んでランポスの捜索である。何か確信でもあるのか、ノウミはただ黙々と歩き、ロッシがその後を追う。そんな状況に、ロッシは焦れていた。ノウミは背中に細長い革袋に入った武器を背負っていた。(太刀か?)と思ったが全く抜く気配がない。
目的地に着いてからもう三日、まともにランポスを狩っていない。滞在予定は一週間。最後の半日は撤収作業に使うだろうから、実質もう折り返し地点なのである。そろそろ群れを見つけなければ。今のところ成果は二日で七頭。ロッシは一頭しか仕留めていない。
「もしかして……もしかしてですよ、群れはもうここから移動したとか、そういうことはないですかね? もしそうなら今やってることは無駄足だし、さっさと撤収した方が……」
「お前、無駄口が多いな」
見晴らしのいい高台に到着すると、今まで一言も発していなかったノウミがぴしりと言い放った。
「群れはいる。それもかなり大規模なのがな」
「そ、そうなんですか?」
嫌に確信に満ちたノウミの言葉に、思わず背筋を正す。
「足跡や糞の量を見ればそれはわかる。では何故見つからないのか。それは隠れているからだ。我々に見つからないように。おそらく昨日まで狩られた者は囮だろう。群れの本体から我々の目を逸らすための」
「鳥竜にそんな知性があるんですかね」
「あるさ。知性というより本能だがな。彼らは群れが生き残るのを最上とする。だから平気で捨て石にもなる。人間よりも賢いかもしれん」
ノウミはそう言うと、高台の上から一望できる林の一端を指差した。
「見てみろ」
指差した先には数頭のランポスがいた。木の陰から出てこないで周囲を警戒しているようだ。
「あれは見張りだ。ああして要所要所に仲間を置いて連絡し合っている」
「……つまり、あの奥に巣が?」
「奥ったって、範囲が広すぎるだろう。まだ特定は出来ないさ」
「じゃあどうやって巣の場所を……」
「だから今やってるんだ。場所を絞り込む作業ををな」
ノウミは背負っていた革袋を下ろすと、手際良く封印を解いて中身を取り出す。
「それは……」
と思わず息を飲む。ロッシが驚くのも無理はなかった。ノウミが担いでいたのは太刀ではない。
異形のボウガンである。驚くべきはその長さ。全長はノウミの背丈を超えるほどである。銃身は鉄製、ボディは木で出来ており、金属の装飾も見える。弦が無いので正確には「弩」ではなく、完全に火薬の圧力だけで弾を撃ち出すタイプである。
ギルド公認の、ドンドルマで一番有名な鍛冶屋でも、こんな代物は見たことがない。
「俺とナダは二日間この辺りを歩いて地形を把握した。わかったのは、この土地は以外と複雑に隆起している上に森林も多いので、群れを探すとなると骨が折れるということだ。だから教えてもらう。彼ら自身にな」
ノウミはそう言うと、地面にうつ伏せになった。何をするのかとロッシが訝しんでいると、長大なボウガンの銃床を肩に当て、トリガーに指をかける。これもまた、ロッシが見たことのない構えであった。
「え、ちょっと待って下さい、ここから狙うんですか?」
「黙れ、気付かれるだろう」
とはいえ、ここから高台の下のランポスまで、五百メートルはゆうにある。通常ボウガンの射程は長くて百メートル。しかもそこまで離れると竜の鱗を貫き通すことは出来ないから、大抵のガンナーは危険を冒してでも標的に近付かなければならないのである。
しかしノウミは寝そべったまま僅かに銃身を微調整すると、いとも容易く引き金を絞ってしまった。
火薬の炸裂する音が辺りに木霊し、硝煙の匂いが立ち込めた。
「……行くぞ」
呆気にとられているロッシに、ノウミは一言そう告げ、さっさと高台を下っていく。
「あ、ちょ、待って下さい!」
慌てて追いかけると、ノウミが向かったのは彼が狙ったランポスのもとだった。木陰に横たわるその死骸は、頭部がそっくり弾け飛んで、地面に鮮血の花を咲かせていた。数匹いた仲間は既に逃げ出した後で、頭部のない鳥竜の死骸は淋しくうち棄てられ、静かな木陰に惨めな姿を晒している。
「すげぇ……あの距離から命中させた……」
「これで彼らに、この場所が危険であることが知れた。見張りは場所を移さざるを得ない。こうやって段々と彼らの警戒網を狭めていく。そしてその中心に……」
「……巣がある」
「そう。……しかしこの警戒ぶりはただごとではないな。群れのボスもどこにいるのかわからないし、一度襲撃を受けて過敏になっているのか? しかしそれにしては……」
ノウミはぶつぶつと独り言を言いながら、手際良くランポスの死骸から皮を剥ぎとると、またロッシには眼もくれず次の狙撃ポイントに向かうようだった。
「なんか、妙だと思わねぇか?」
夕食を終え、川べりに設置したベースキャンプの焚火の前でひと心地ついていると、ライールが話しかけてきた。ライールもまた、何匹もランポスを狩れていない。今日に至ってはぼうずだった。
「確かに、妙……すね」
「だろ? 何者なんだあいつら」
「え? そっちすか?」
ライールは揃って武器の手入れをしているノウミとナダを顎で指す。
「どう考えたって異常だろあいつら……というか『そっち』って何だよ?」
「あ、いや、話に聞くよりランポスが出てこないし、ちょっと気になるかなって……」
「まあ、それも確かにそうなんだが……」
ランポス狩りが果々しく行っていないことを、ライールはそれほど気にしていないようだった。それよりも目下のところ、例の異質極まる二人組の方に注意が向いている。
「お前、あの男の得物見たか?」
「ええ、すごく長い……その、ボウガンでした」
確かにノウミの持つボウガンは異質な代物だった。基本的に、ボウガンというものはモンスターとの「接近戦」を想定して作られている。強力なモンスターは皮膚も鱗も堅いから、ある程度まで接近しなければ弾が通らない。そのため、銃身の上部には取っ手が付いており、モンスターの攻撃を避けて動きながらでも攻撃しやすくなっている。
しかし、人間の背丈ほどもある銃身はおそらくそんな状況では取り回しづらく、従ってギルドの武器の設計思想からは遠く離れているはずだ。
「そう言えば、撃ち方もすごく変でした。こう、銃床を肩のところにあてて固定して……」
「左手で下から支えて、銃口を目線の高さにまで持ってくるんだよな」
「そうそう、俺の時は寝そべって撃ってましたよ。それで信じられない程遠くの得物を射抜いちゃうんです」
「あんな撃ち方、ギルドじゃ間違っても教えねぇぞ。一体誰から習ったんだ。あの武器も、撃ち方も……」
人を、撃つものだ。ライールのその言葉の響きに、ロッシの背中に一瞬怖気が走った。無論ロッシも、この世界に戦争や殺人が存在することは知っている。だが、西シュレイドと東シュレイドはもう散発的にしか戦闘を行っていない。皆、モンスターを相手にするのに忙しく、人間同士で戦う余裕がないのだ。また、戦争を生業とする人間が狩人となることも、実は多くない。何故か。そう、何故か、人を殺した者はモンスターを狩ってはならないという不文律が、この世界にはある。
「……まあ、そう怖い顔なさんんな。あの男が人殺しをしたなんて根拠はないんだし」
古尾を強張らせたロッシを、ライールは明るく諭す。
「それに何より不思議なのは、アレの方さ」
アレ、というのは言うまでもなくナダのことだろう。ライールはより一層声を潜めて言った。
「正直最初にアレを見た時はぞっとしたぜ。気配が人間のものじゃねぇ」
「気配?」
「そう、気配だ。なんというか、纏ってる雰囲気というか、人間臭さというか、そういうものが感じられない。その場にいるようないないような、そんな感じだ。わかるか?」
「いや、よくは……」
とはいえ、全く理解出来ないこともない。ナダには、不思議な存在感があるのだ。決して希薄なわけではなく、しかし普通の人間のそれとはまた違う、透明な空気を纏っている。それを「神秘的だ」と思うか、「気味が悪い」と思うかは、個人の感性の問題だが。
「二人で何をこそこそ話しているのですか?」
口を挟んだのは、もう寝る準備をすっかり整えたルネだった。寝巻に着替え、テントに向かうところだったらしい。聞かれていたか。ルネはおそらくこういう陰口を好いてはいまい。だが、
「いや、なに、世間話さ」
とライールが誤魔化すと、そうですかとあっさり納得し、テントに歩いて行った。
「皆、明日も早いのだから寝ないとキツイですよ。ほら、ナダ、もうテントに入って」
ルネはまだ眠くないと言うように抵抗するナダを無理やり引っ張ってテントに連れていく。
「……あの女は、アレが気味悪くないのかね」
アレ……か。ライールの言うように、確かにナダは不気味な存在なのかもしれない。だが、少ないながらに言葉を交わしたロッシには、彼女が悪い人間だとは思えなかった。むしろその紅い眼は人間ではあり得ぬくらいに無垢で……。
その瞳と、ロッシの視線がかちりとぶつかった。ルネに引っ張られながら、恨めしげにこちらを眺めている。
その眼はまさしく、まだ遊び足りない、眠くないと訴える子供のそれだった。
「まあ、確かに変わった外見だけど、中身は普通なのかもしれないすね」
「なんだよ、お前も物好きだな」
「そういうわけじゃないですけど」
ライールは、何だか白けてしまったように、「寝るか」と言って、自分のテントに入っていった。
「…………」
「……あの」
ナダは歩くのが早い。背の高い樹が生い茂り、暗くて足元もおぼつかないこともまるで意に介さず、迷いなくすたすたと進んでいく。ロッシは付いていくので精一杯だ。
「ちょ、ちょっと、待って……」
早くも息が切れ始めたが、ロッシの体力が低いわけではなく、ナダのペースが速すぎるのだ。ほとんど子供にしか見えない体躯のどこにそんな力があるのか、ナダは息一つ切らしていない。
「……きゅうけい、するか?」
喘ぎながら声を出さずに頷いて、樹の根元にへたり込む。情けない。こんな女の子に気を遣われるとは。
「あのさ、もうちょっとゆっくり行こうよ。作戦の時間まではまだ十分あるし」
喉を鳴らして勢いよく水を流し込む。そうして息を尽くと、森は眠っているように静かだった。本当に、この奥にランポスの群れが潜んでいるのか?
「やすむか、すこし。ナダはつかれてない、が」
ナダはそう言うと、ロッシの隣に膝を抱えて座った。身じろぎせず、どこか虚空を見つめるようにじっとしているナダ。人形のようなその顔の白いまつ毛だけが、瞬きと共に揺らいでいた。
狩猟開始から五日目。
ノウミはとうとうランポス本隊の巣くう場所を特定したと言う。
「おそらく群れの規模は五〇から七〇。一部は斥候に出たり餌を取りに出かけるから、巣にいるのは常時四〇ほどと見る」
「なるほど、そいつらを一網打尽にするわけだな。決行はいつだ」
「今夜だ。夜の方が巣に戻っている個体は多いはずだし……」
「何より、寝込みは襲いやすいしな」
よくやった、ご苦労! とライールは上機嫌で武器の大剣の手入れに掛かる。
「作戦などは考えているのですか?」
きちりと挙手をして、ルネがノウミに質問する。
「隊を二手に分けようと思う。一方が狭い場所に追い込み、一方が殲滅する。追い込み役は派手な方がいいから、君と、ライールがやってくれ」
「了解」
ルネが返事をすると、武器の手入れをしていたライールも手を振って同意する。
「ということは、殲滅役は俺と……」
「ナダだ。まあおそらくほとんどナダがやるだろう。お前は見ているだけでいい。参加してもいいが、気を付けろ」
「どういうことですか?」
一端のハンター相手に、狩りに参加しないで見ていろとは随分ではないかと、ロッシはやや憮然として聞いた。
「見れば解かる。ナダの狩りは特殊だからな」
不意にナダと目が合う。相変わらずの無表情だが、出発前の宿屋で見せたあの悲しげな空気を、また纏っているような気がした。
「ところでノウミ、あなたは何をするつもりなの?」
「撹乱と狙撃、両方やる。眠っている個体が多いとはいえ見張りくらいはいるだろう。それは閃光玉で目を潰す。彼らが混乱しているうちにどれだけ倒せるかが重要だ。気付かれないうちに出来る限り数を減らす」
「なるほど」
「俺が閃光玉を投げるのを合図にしよう。眼を眩ませないようにな」
ノウミの説明は理に適っていた。ランポスは一頭一頭なら非力でそう手こずる手合いではないが、それ故、群れでの戦いを熟知している。必ず数的優位を保とうとするから、連携される前に倒すか、そうでないなら連携が取れない程に混乱させてしまった方が良い。ノウミの作戦はその両方をやろうというものだった。
(問題はその巣の場所が……)
遠いのだ。いや、地図で見る分にはそう離れていないのだが、地図には書かれていない複雑な地形が接近を困難にしていた。
「この地はおそらく、もともと平地だったのが、後背地のドミナ山が隆起した時一緒に盛り上がったのだろう。そのせいで河川による浸食が大きい。蛇行した川がいくつも分岐したり合流したりして、複雑な地形が形作られている。ランポスの巣があるのはそうやって出来た窪地の真ん中だ。外敵に見つかりにくく、また侵入しにくい。ということは、わかるか、彼らにしても逃げ出しにくい、ということだ。一度追い込めば、あとは容易い」
そう、ノウミは学者のように理路整然と言ってのけた。ロッシには理解しがたい話だった。と言うより、ロッシはそこまで考えて狩りに臨んだことなどなかった。聞けばルネもライールもノウミの解説をあまり理解できてはいないようであった。
何者なんだよあの男……。
「あのおとこ?」
我に帰ると、ナダがロッシの顔を覗き込んでいた。しまった、声が出ていたか。
「あの、おとこ……ノウミのことか?」
別に、ナダに敵意のようなものがあるわけではないのだが、その紅い眼で見つめられると射すくめられたように緊張感が走る。
「ノウミ、きらいか?」
「い、いや、そういうわけじゃ、ないけど……どういう人なのかと思って」
「そうか。なら、いい。ノウミ、きらわれる、おおい。ナダも、だが」
ナダの表情は変わらない。「きらわれる」と簡単に言うが、おそらくライールのような反応が大部分のはずだ。もしかすると、二人はこれまでに迫害を受けてきたかもしれない。
「ノウミは……」
とナダは続ける。
「いいやつ。いっしょいてくれる、ナダ、と。ナダ、イペタム、なのに」
「『イぺ…』…何?」
「イペタム、きずつける、ふれるものみんな。だから、ナダ、いつもひとり。でも、ノウミだけ、ちがう。ノウミ、チロヌップ。だからきらわれる、みんな、に。でも、いいやつ」
時折ロッシにはわからない言葉が混じるが、これがナダの故郷の言葉なのだろうか。
「……君たち二人は、何で、ハンターをしているの?」
「?」
「あー、難しかったか、えーと……ナダとノウミは、何が、したいの?」
ナダは「あー」としばらく唸った後、言った。
「……ふたりで、あいにいく、カンナカムイ。アフンルパルにいる、の」
おそらくロッシにもわかりやすいよう、ナダなりに精いっぱい考えたのだろうが、肝心の単語が理解不能であった。しかし二人が目的を持って旅をしていることはわかる。それに、ナダの話す異郷の言葉は、何だかずっと聞いていたいような、耳触りのいい綺麗な響きをしていた。
その後しばらく、無言の状態が続いた。時折、木々が風に揺られさわさわと鳴るのを、ナダは眼を細めて心地よさげに聞いていた。
「……そろそろ行こうか」
「いく。ノウミ、まちくびたれてる、かも」
「ハハハ、それを言うなら『待ちくたびれてる』だろ」
ナダのことを、気味が悪いとはとても思えなくなっていた。当初の無口な印象も、単にシュレイド語が堪能でないだけで、ノウミのこととなると途端に饒舌になる。
「ナダは、ノウミのことが好きなの?」
「すき。ルネも、すき。あめちゃん、くれた、し」
何だよ、そんなことでいいのか? ナダは存外普通の女の子なのかもしれない。甘いものが好きで、独りになるのが嫌いな普通の。
「どうした。おそい、な」
「ちょ! ちょっと、待って!」
「こんど、は、またない」
いや、やはりこの脚力は普通じゃない。ぜえぜえと喘ぎながらロッシは、先を急ぐ白い少女の背中をひたすら追いかけるしかなかった。
*
「うわ、本当にいる」
「あたりまえ、だ。ノウミ、まちがわない」
森林の最奥。ぽっかりと穴が開くように広がる窪地を下っていくと、大きくはないが湖が静かに水を湛えている。そしてその湖のほとりに、「彼ら」の巣はあった。既に陽は落ちたが雲は無く、月明かりが湖に反射して、或いは寝そべり、或いは首をもたげて周囲を警戒するランポスたちの姿を照らしていた。後背地は切り立った崖。なるほど、見つかりづらい場所である。
(ざっと五十頭くらい……もっといるか……)
茂みに身をひそめながら、ロッシはランポス達の数を数える。
ここまで辿り着く途中、警戒網を敷く斥候のランポスを何頭も見かけたから、おそらくここにいるのは群れの三分の二ほどだろうか。ここまで多数のランポスが固まっている光景を初めて見たロッシは、思わず息を飲んだ。
(静かだな)
ランポス達は昼間の騒がしい鳴き声も一切出さずに、宵闇の中に息を潜めている。本当に「隠れ住んでいる」といった風情で、その静けさには一種の凄みのようなものが感じられた。ある一つの意志によって統制された五〇頭からの集団。一頭一頭には大した膂力はないとはいえ、体長はゆうに人間を見下ろす程の鳥竜である。
(あの群れを、今から……)
ロッシの喉がごくりと鳴った。
「だいじょうぶ、だ。ナダがいる、だから」
ロッシの呼吸に緊張の色を見、ナダが小さく呟く。ロッシより二回りは小さく、華奢な少女なのに、大の男よりもよほど落ち着いた声だった。
「それに、あのこたち、おかしくなって、る。ナダが、おくってあげない、と」
「おかしく……?」
「おなか、すいて……くる…くるっ……?」
「『狂ってる』?」
「そ、れ。じぶんでじぶんが、わからなくなってる、の」
「どういうこと……」
「ん、あいず」
ナダが顎で指した先、ランポスの巣を挟んだ反対側の森の中から、ランタンがチカチカと光っている。向こうは準備完了か。こちらからの返答の合図は必要ないことになっているから、あとは突入するだけということだ。
ナダは、眼を瞑ってその時を待っているようだった。ロッシは懐から遮光盤を取り出すと、目の前にかざす。
数秒後、遮光盤越しに見えていた真っ黒な景色が白く塗り潰される。閃光玉がいくつも夜空に投げ込まれ、ランポス達の寝所を昼間のような明るさに変えていた。
「ゆ、く」
ナダは小さく呟くと、その小さく綺麗な両の手に不釣り合いな無骨極まる双刃を構え、静かに、敵の只中へ踏み出していた。
それからしばらくの間、後から確認すればほんの数分のことに過ぎなかったのだが、目の前で繰り広げられた光景を、ロッシはまるで夢でも見るような心持で呆然と眺めていた。
明るく照らされたランポスの寝所。起きていたランポスはあまりの光の刺激に目を回している。一体何事が起ったのか。寝ていたランポス達も徐々に目を覚まし始めている。
ナダは、そんな巣の中に音もなく降り立った。
不思議な光景だった。獰猛な鳥竜の敷き詰められた空間に、少女が一人佇んでいる。
彼女はまるで、そこに佇んでいるのが自然であるかのようにすら見える。
ふと、ナダの存在に気付き頭をもたげたランポスと目が合う。
しかし、彼が戦闘態勢を取ることは出来なかった。突然現れた真白い人間を外敵と認識し上体を起こしかけた直後、彼の首は胴から離れていた。
ナダの後ろで、仲間の首が飛んだ瞬間を目撃したランポスが目を見開いて立ち上がる。
しかし彼の頭は、短く鋭い風切り音とともに、鳴き声一つ上げる間もなく消し飛んだ。
ナダの後ろにいた数匹がそうやって次々と斃れる。数秒遅れて聞こえた火薬の炸裂音が、ノウミによる狙撃の仕業だとロッシに悟らせた。
そして、その轟音が合図であったかのように、ナダが跳躍する。よりランポスの密集する場所へ、跳躍しながらも刃は振るわれ、着地と同時に数頭のランポスの首から血煙が舞った。そこから間髪いれず回転ステップを踏んだナダは息つく間もなく動き続け、一振りごとに確実にランポス達の命を奪っていった。
一定のリズムで淀みなく銃声を響かせるノウミの狙撃は、ナダを取り巻こうとする周辺のランポスの頭部を正確に射抜いていき、たちまちのうちに死骸の山を築きあげる。
(なんだ……なんだよこれ……)
その光景のあまりの異常さに、ロッシは呻かずにいられなかった。
静かだった。
今まさに命のやり取りが繰り広げられているはずの場所なのに、聞こえるものと言えばナダの振るう双刃とノウミの放つ弾丸の風切り音、そしてやや遅れて響く火薬の炸裂音くらい。ランポス達は、威嚇の鳴き声どころか、呻き声すら上げずに絶命していく。
ナダは、表情一つ変えずに、何が起こったのかまだ把握しきれていないであろう鳥竜達を殺して回っている。顔は見えないが、きっとノウミも同じように引き金を引いているに違いない。
これは、戦いではない。狩りではない。狩りとは、人間とモンスターとの、命と生命のぶつけ合いであったはずだ。人間は狩りを通して自身の尊厳と生きる喜びを噛み締めてきたのではなかったのか。
これは違う。ロッシが今まで見てきた狩りとは全く違う。
それはまるで「儀式」だった。
捧げられた供物をただ殺す。供物となったランポス達は、あたかも殺されることを待ちわびるように、次々と起き上ってはナダに首を差し出しているように見えてくる。
閃光玉の光は薄れ、月明かりがナダの姿を妖しく照らす。
真白い肌に返り血を滴らせ、ナダの姿はいよいよこの世のものとは思えなくなっていた。
ロッシは、その死地に踏み出すことが出来なかった。
もしも踏み出せば、自分もあのランポス達と同じように供物にされてしまうのではないかという恐れがあった。
いや、正直に言うなら、自分もあのランポス達と同じように、ナダのための犠牲に供せられる運命を進んで享受してしまうのではないかという、言い知れない確信を抱いてしまったからだ。
やがて、その場にいたランポス達が全て倒れ伏した頃、群れのもう半数が、ライールとルネに追い立てられてくる。騒がしく叫び声を上げていた彼らも、おびただしい数の仲間の死骸が転がる惨状を前に鳴き声を止めた。
この光景を見て足を止めた彼らは、一体何を思っただろうか。だが、後続が次々と押し寄せるこの状況では、彼らは否応なしに、目の前に広がる地獄に足を踏み込まなければならない。
ランポス達に人間と同じ感情があるなどとは思わないが、今のロッシには彼らが酷く憐れに思えてならなかった。
ナダは、変わらない。
ランポスの群れの第二波を前に、双剣を、ひゅ、と一振りし血を落とすと、ゆっくり、ランポス達に歩みを向ける。
その時、ロッシの視線が、彼女の血のように真っ赤な瞳にぶつかった。
一瞬身構えたロッシだったが、想像したような殺気や、寒気を感じることはなかった。
(あいつ、泣いて……)
返り血に濡れた彼女の顔は、確かに尋常ではない雰囲気を纏っていた。しかしただ一点、その紅い瞳から涙が頬を伝っていたことが、ロッシにナダという少女のことをわからなくさせた。
「ロッシ! 何をぼさっとしてやがる!」
ランポス達を追い立てて合流したライールの怒声にはっとしたロッシは、ここでようやくナダの姿に圧倒され、見惚れていた自分に気が付いた。
ああ、ああそうだ、一体何をやっていたのだ。俺はハンターだろう!
ロッシは腰の片手剣を抜くと、遅れを取り戻すように駆け出した。そして、ナダにはあまり近付かないよう遠巻きにして逃げる機会を伺っているランポスに、その刃を振るっていた。
*
戦いは二十分もかからずに終わった。
最後の一頭が斃れ、その場にいた全ての鳥竜が肉塊になると、巣には耳が痛いほどの静寂が訪れた。
ロッシは荒い息を付いて違和に腰をおろし、眼前に広がる惨状を信じ難い思いで眺めていた。
惨状。もはや「臭う」を通り越して「纏わりついてくる」、消し難い血の匂い。見開かれたまま息絶えた鳥竜の瞳。圧倒的な「死」の気配……。
(これをやったのか……。俺達が)
ロッシの胸に湧き上がる思いは勝利の歓喜でも達成感でもなかった。手が震えた。こんなものは人間の所業ではない。
ナダは、さっきから黙々とランポスの死骸から皮や爪を剥ぎ取っている。ルネは、血のりのこびり付いた太刀を熱心に砥いでいる。見えないところからの狙撃でナダの次にランポスを殺したノウミは、まだ顔を見せていない。それに、ライールもどこかへ消えた。
(俺だけなのか? これが異常だって思っているのは……)
「おい、大丈夫か」
不意に後ろから声をかけられ、ロッシの心臓が跳ね上がった。
「の、ノウミ……今まで一体どこに……」
「付いてこい。面白い物を見つけた。……ナダ! ルネ! お前達も来い!」
ノウミの後を付いていくと、辿り着いたのはランポス達の巣があった場所の後背地、切り立った崖のふもとであった。
「ここから入れる」
ノウミが指を指した場所には、何かの入り口であるかのように穴が空いており、その奥にじっとりと闇を湛えていた。
中に入ってみると、穴は洞窟というより、抜け穴のようだった。自然に出来た洞窟のような凹凸があまりなく、足をつっかえることもない。 そして、しばらく歩くと急に開けた場所に出た。
「なんだここ……」
「きれい……」
ロッシとルネが、思わずため息を漏らした。
岩盤が折り重なり天を目指し、ドーム状になっている空間。天井はぽっかりと開いており、月明かりが空間の中心に丸く光を落とす。
それだけでも自然の生み出した奇跡のような造形美と言えるが、圧巻なのは石壁にびっしりと露出する水晶石であった。白や緑、碧、赤みがかったものまで、色とりどりの巨大な宝石群が月明かりに照らされ輝き、息を飲むほど幻想的な空間となっている。
「ピッケル持ってくればよかった……」
武器や防具の素材にはなりにくいが、水晶は純粋に市場価値が高い。ましてやこれだけの量であれば、天文学的な値がつくことは疑いようもない。
「水晶はひとまず置いておけ。これを見ろ」
興奮気味のロッシを窘めるようにノウミが言った。ノウミの歩いていく先は、木の枝や葉、動物の骨などが散らばり、円形に盛り上がっている。
「これは、もしかして、巣?」
「そうだ。それも結構でかい。飛竜の巣だろう」
「飛竜の!」
ロッシとルネは咄嗟に剣に手をかけ、周囲を警戒する。飛竜はこの世界で最も獰猛で強大なモンスターである。強靭な翼と巨躯を持ち、生態系ピラミッドの頂点に君臨している。
その巣にうっかり入り込んだとなればどうなるか。ハンターならばある程度覚悟を決めなければならない状況である。
「いま、は、いない」
「おそらく長期の狩りに出かけているのだろう。ここ何日か戻った形跡はない」
取り乱しかけた二人に比べ、ナダとノウミは落ち着いていた。
「糞の構成物からして、この巣の主はリオレウスだろう。まだ親離れして数年の若い個体だと思う。つがいはいない。今探している最中かもしれない」
飛竜の巣の中の骨を拾い、眺めながら、ノウミが学者のように整然と分析する。
「そしてこのリオレウスの存在こそが、ランポス達がああも大所帯になった一因でもある」
「どういうこと?」
「ランポスの群れにボスがいなかったのは気付いていたと思うが」
ランポスの群れは普通、他の個体より一回り体が大きく、鶏冠の目立つドスランポスが率いているものである。ドスランポスは群れの雌を独占する替わりに、外敵が現れた時には率先して戦う群れのボスなのだが、確かに言われてみればこの地に来て以来、ボスらしい立派な体躯のランポスは見かけていない。あのランポス達の巣にもいなかった。
「推測だが、あの群れは、何らかの理由でボスを失い、この地に逃れてきた複数の群れが合流して出来たものなのではないか。本来ならボスが死んだ時には、群れで一番力のある雄が新たなボスになるのだが、どの群れも、群れ自体が未成熟だったのだろう。ボスにふさわしい個体がいなかった。だから縄張りを争おうにもできず、合流するしかなかった」
つまりは偶然の産物ということだ。ドスランポスは人間に狩られたに違いない。だが狩った人間は、ボスがいなくなった後群れがどうなるかなど考えなかったのだろう。
「しかしここで問題が起こる。群れの規模が大きくなりすぎて餌が足りなくなってしまった。ここら一体、草食獣の数が極端に少なかった。あらかた食いつくされたか、ランポス達を恐れて別の土地へ逃げたか、いずれにしてもランポス達は飢餓状態にあったはずだ。巣の端にランポスの骨が捨てられていた。共食いしたんだ」
共食い、という響きにロッシは寒気を覚えた。そう言えば、ナダがランポス達は「狂っている」と言っていた。それは空腹で、仲間をも食べるようになってしまったからなのか。
「そんな時に、別の土地から飛来したのが、この巣の主だった。飛竜は長い距離を飛んで大型の草食獣を狩ってくることが出来る。そのおこぼれをもらおうと、ランポス達は考えた。ランポスはもともとスカベンジャーだからな。そうして、飛竜の食い残しが彼らの生命線になった」
「『スカベンジャー』とは?」
喋り続けているノウミに、たまらずルネが口を挟む。
「屍肉を食らう生き物のことだ。まあこんな環境ではそうならざるを得ないのだが、しかし当初は群れのボスにふさわしい個体が成長するまでのはずだった飛竜依存が、いつのまにか変わっていってしまった」
「どういう、こと?」
はっきり言えば、ノウミの話はもうロッシの理解は越えていた。ハンターであるロッシにとって、獲物であるモンスター達がどんなことを考えて生きているかなど考えたこともなかったのだ。だから聞かずにいられなかった。自分が今まで見向きもしなかったことを、初めて知りたいと思ったのだ。
「彼らはいつしか、この地に飛来した飛竜こそが自分達のボスなのだと、思うようになった」
「そ、そんなことが……」
ありえるのか。だって、違う種じゃないか。言葉も持たないモンスターがそんな……。
「ありえる。その証拠にほれ」
そう言ってノウミが飛竜の巣から何かを拾ってロッシに投げて寄越した。細長い骨だった。
「これは……?」
「ランポスの大腿骨だ」
うぇ、と思わず取り落としそうになる。
「なんだよ、さっきまで殺して回ってた相手のだぞ?」
そうだ、確かにそうだ。ランポスの死骸から剥ぎ取った素材を装備や装飾品に使ったことだってある。しかしノウミの話を聞いていたら、ロッシにはランポスが単なる狩りの対象だとは思えなくなっていた。
「それと同じ骨が巣の中にいくつも落ちている」
「つまり、リオレウスはランポス達も狩っている、と? でもそれではランポス達に群れのボスに認めては貰えないのでは」
ルネが、教師の講義に質問をする学生のような神妙さで聞いた。
「リオレウスはランポスを狩らない。食える部分が少なくて飛竜の腹は満たせないからな。この場合はそうではなく、ランポス達がリオレウスにその身を捧げたのだ」
「……な、何のために?」
「この土地から出て行って欲しくないからじゃないか。ランポスの巣がここにあるのも、外敵から自分達の身を守る為じゃない。ここにいる飛竜を守るためだ」
「正直……鳥竜にそこまでの知性があるとは思えないのだが……」
「そうかな? 彼らの目的は群れを生き永らえさせることだ。そのためには何だってやるぞ。たとえ共食いをしようが飛竜に食い殺されようが。まあこれらは状況から推測しただけだが、似たケースは何度か観測されている。もちろん、本当に何があったかはわからないが」
しかし現にランポス達は、異常な程に粛々と群れを維持し続けた。それはやはり、何か、絶対的な支えがあったからと考えるのが自然なのだろうか。
「あのこたち、じぶんが、わからなくなってた、の。おおきな、りゅう、だっておもって、でも、とべない、し、おおきく、ないし、おなかすいたし、だから、さみしがって、た」
ナダが、ぽっかりと空いた天蓋を見上げながら、誰に言うでもなく呟いた。不思議と、そうなのだろうという気がした。
「……なぜ、このことを私達に?」
「うーん、なぜかって言われるとなぁ。まあ強いて言えば、日頃何の気なしに殺してる奴らがどんなこと考えて生きているのか、知っておいてほしかったからかな」
「ああ! ご高説痛みいるねぇありがとぉ!」
突如、飛竜の巣に響き渡ったのはライールの大声だった。
「いやいや、大したもんだよ! 学者かあんた、ホント何もンだぁ?」
今までどこにいたのだ、と聞こうとした時、ロッシはただならぬ気配に気付いた。
抜け穴を出てきたライールの後ろから、武装した集団がぞろぞろと現れたのだ。その数、ざっと十人以上。
「だがお前の役目はここでおしまいだ。ご苦労さま」
月明かりが水晶に反射して、ライールの不敵な笑みをより不気味なものに見せていた。
*
「まあ、だいたいわかってると思うが」
ライールは懐から紙巻煙草を取り出し火を付けながら言った。
「俺達の狙いははなっからこの水晶だ」
「だろうな。ランベール公の手の者だろう」
「……驚いたなぁ、そんなことまでわかってんのかよ。手前ぇ」
「別に。ここはランベール公領に近いし、カマかけてみただけさ」
「ハッ! やっぱり手前ぇは食えんなぁ」
この急転直下の事態にも、ノウミは焦る風情を見せない。まるでからかうように、ライールと話している。
「バレてしまったもんは仕方がねぇ。いかにも、俺はランベール公爵の私兵だ。こいつらもな」
ランベール公はシュレイド王国の有力貴族で、その財力はシュレイド王家に継ぐと言われる実力者である。
「長かったんだぜぇ、ここに辿り着くまで。最初は偶然だった。たまたま測量の時ここを見つけた。公は喜んだぜ。そりゃそうだ。この鉱山をそっくり手に入れれば、シュレイド王家なんざ問題にならない富が手に入る! なんなら王の座を狙ったっていい!」
「……だが、採掘に入る前に飛竜がここに巣を作ってしまった」
「そうだ。ならばとその飛竜を討伐に行こうとしたら今度はエラい数のランポスが邪魔ぁしやがる。そこでお前らにランポス共の除去をお願いしたわけだ」
正直ここまで上手くいくとは思っていなかった。だからこの鉱山を見つけられたのも予想外だ。誰にも知られちゃならないはずだったんだがなぁ……。
ライールの言葉に、次第に凄みが増していく。
「お前らが何も見なけりゃあ、そのまま返してやるつもりだったんだがなぁ……」
ライールがすっと右腕を上げる。彼の後ろに控えていた男達が、ロッシ達を取り囲むように展開した。
「ちょ! ちょっと待って下さい! 何する気ですか!」
「そりゃお前、決まってるだろう。口封じだよ。この場所はランベール公以外知ってちゃいかん。シュレイド王家に知られたら接収されちまうだろ?」
思わず叫んだロッシに、ライールは子供を諭すような口調で言う。
「早めに片づけないとな。この後ここに戻ってくる飛竜を殺す準備をせにゃならん。ああ、そうだ、その狩りにお前らも混ざるってんなら解放してやってもいいぜ? もちろんその後はランベール公の私兵として働くんだ。なぁに、この鉱山があれば公はじき天下人だ。悪い条件ではなかろう?」
「もし、拒めば……」
おそるおそるロッシが尋ねる。
「そういう残酷なこと聞くなよ。なぁ、短い間とはいえ生死を共にした仲間じゃねぇか」
お前達の為を思って言ってやってるんだぜ? ノウミ、お前はどうだ? その力、公の為に使ってみんか? ナダ、お前みたいな変わった女、公は嫌いじゃないぞ。蒐集品として一生大切にしてもらえるさ。
「さあ、どうする? 早く決めろや」
「決める? 何を決めるというのだ? 俺たちは選択するまでもないな!」
ノウミはライールにそう言い放つと、瞬時に銃を構えていた。ライールの部下達が一斉にノウミに銃口と切先を向ける。気付けばナダも音もなく抜刀していた。巣の中に緊張が走る。
ライールはあーあ、と煙草を吐き捨て、足で火を踏み消した。
「お前ら、異常だぜ。なぜ竜なんぞの肩を持つ。それでも人間かよォ」
「お前こそ何もわかっていない。ランポス達を駆逐した今、この地には飛竜が必要なのだ。やがて草食獣がこの地に戻ってくる。その時彼らを狩る肉食獣がいなければ、草食獣に植物が食い荒らされる。やがてこの地は痩せ衰え、不毛の地と化す」
「そんなことは俺の知ったこっちゃねぇ! 公が興味あんのはこの鉱山だけだ! ……ルネ、お前はどうする? この馬鹿どもを正してやる必要があると思わねぇか?」
ライールの言葉を、ルネは鼻で笑った。
「ふん、仲間を騙しておいて『正す』も何もなかろう! だいたい仲間を『アレ』呼ばわりするような男、私は信用などしていない!」
ルネは決然とそう言い放つと、勢いよく太刀を抜き放った。
「……馬鹿が一名追加…っと。ローッシー、お前はわかってるよなー? これは温情だぜ?」
「お、俺は……」
鼓動があり得ない速さで鳴っていた。モンスターと対峙した時でさえ、こんなにバクバク鳴ったことはなかった。
ライールに逆らえば、殺される。人数が違う上に包囲されている。戦っても勝ち目はない。どう考えても、ライールについた方がいいに決まっている。そもそもハンターなら、モンスターを狩るのが本来の使命なのだから。だが……。
「俺は……俺は……ハンターだ……」
「おう、だったらやることは一つだ。そうだろう?」
「は、ハンターは……ハンターは仲間を守る!」
鼓動の音を打ち消すように、腹の底からそう叫ぶと、ロッシは腰から片手剣を抜き、ナダを庇うように盾を構えていた。
「も、モンスターは、アンタの方だ!」
「気でも狂ったか馬鹿野郎! なぜそんな化け物どものを守ろうとする!」
なぜ? それを聞かれるとロッシも困る。だが一つ確信を以って言えることは、今後ロッシの脳裏から、涙を流しながらランポス達を屠っていたナダの姿を消しさることは出来ないだろうということだった。
「……まあ、まあいいや、こっちの方が都合がいい。お前ら全員、ここで飛竜に食い殺されたってことで」
ライールが心底呆れたように言った。
ここで死ぬか。馬鹿なことしたなぁ。しかもモンスターではなく人間に殺されようとは……。
しかし不思議と後悔は感じない。仲間を守って死ぬのだ。それがハンターの矜持なのだから。
ロッシがそう思ってふとナダを見ると、彼女は双剣を構えながらも夜空を見上げて、何かぶつぶつ口を動かしている。
何だ? 声は聞こえない。だが何かと会話をしてでもいるような……。
「お祈りか? それとも助けでも呼んでるのか? 来るといいなぁ! 竜の一頭でも!」
ライールの揶揄に、四人を取り囲んでいる男たちも笑う。そして、男たちは、徐々にその包囲の輪を狭め始めた。
「ロッシ」
ナダが小声でロッシの名を呼んだ。
「そこ、あぶない、さがっ、て」
「え?」
ナダに言われて、一、二歩後ずさる。
次の瞬間、ごう、とノウミの銃が火を吹いていた。
真上に向けて。
あまりの唐突さに、誰も反応出来ずに見送るしかなかった。
「あ? 手前ぇなんのつもり……」
ライールの言葉はしかし、突如巣の中に木霊した、ずん、という轟音とそれに伴う振動に遮られた。
巣の中心に、黒く巨大な塊が転がっている。
ロッシに近付きつつあった男たちが何人かその下敷きになったことに気付くのに数瞬、ロッシの目の前に降ってきたそれが、大型の草食獣であると気付くまでにさらに数秒かかった。
なにが起こった……?
この空間にいた誰もが訝しんだ。ロッシは目の前に突然降ってきた肉塊に押し潰された人間の血を浴びて、尚更混乱していた。
「来た」
その一方、ノウミは実に冷静だった。
「ロッシ、ルネ、そこ動くなよ」
事態を何も把握していない二人にそう言うと、銃を下ろしてすらいる。
「な、何が! 何を!」
咄嗟のことに何も言葉が出てこないロッシのことなど相手にもせぬように、「彼」は来た。
月夜に照らされていた空間に影が落ちる。次第に大きくなっていく翼が空を叩く音、荒々しい息遣い。
誰もが息を飲んだ。
そして彼は、己が巣の中心に悠々と降り立つ。
巨木の根のような足指が大地を掴む。赤黒い巨躯が、月光の下で少し震えた。
彼は身をよじる様にして、ねぐらの中に入り込んだ闖入者たちを睥睨すると、す、と息を吸い込んだ。
そして放たれる、耳をつんざくような咆哮。
ビリビリと震える空気が肌を叩き、耳鳴りが脳を揺さぶる。ここに至って、皆ようやく理解した。自分が今相対しているものの名を、思い出した。
空の王、リオレウス。
「火竜」と渾名される彼の帰還に、巣の温度が数度上がったような気がした。
直後、目にもとまらぬ速さで鞭のように火竜の尾が横薙ぎにされる。その一振りで、あっという間に二人の人間が壁に叩きつけられ再起不能になる。
「に、逃げろ!」
誰かが叫んだ。ロッシ達を取り囲んでいた男たちが、我先にと抜け穴に殺到する。
「馬っ鹿野郎! 手前ぇら! 戦わねぇか!」
ライールは制止しようとするが、逃げようとする男たちは止まらない。だが抜け穴の入り口に集まったところに、リオレウスが吐き出した火球が直撃していた。
巣の中に、悲鳴と呻き声が響き渡る。
「この……糞ったれがァ!」
ライールだけは、戦う意志を失ってはいなかった。大剣を構え、火球を吐き隙が出来たリオレウスの首筋に刃を振り下ろすべく突進する。
だが、その刃が火竜に届く前に、ナダが立ちはだかっていた。
死角に沈み込んで下から繰り出されるナダの刃を辛うじて柄で止めたライールだったが、右手の指を三本、刈りとられていた。
「ああああ! 手前ぇ! 手前ぇ何しやがる! 握れなくなっちまったじゃねぇかぁアア! どうしてくれんだコラァァァ!」
鍔迫り合いになったナダを蹴り飛ばし、ライールは吠えた。髪を振り乱し、憎悪を隠そうともしないその姿は、まさしく獣だった。
「お前らぁ……何で無事なんだよ、何で襲われねぇンだ! ……ああそうかお前がモンスターなんだ! だったらやっぱり殺さなきゃなぁ! 人間に仇なす獣を討つ! それがハンターの責務ってもんだからなぁ!」
殺す! 必ず殺す! 今は無理だがお前らだけは! 地獄の果てまで追っかけて必ず狩ってやるから覚悟しておけ!
ライールの叫びが終わると、突如巣の中が眩い光に包まれた。
(閃光玉!?)
ライールに向けて突進態勢に入ろうとしていたリオレウスが、眩しさに足を止める。
しばらくして光が消え、目が慣れてくると、ライールの姿はもうそこには無かった。死体になっていなかった何人かの男達と共に、巣から脱出したようだった。
荒々しく呼吸をするリオレウスに、ナダが歩み寄っていた。あれだけ獰猛だった火竜が、ナダと目を合わせると途端に殺気を収める。
ナダとリオレウスはしばらく見つめ合い、何か、会話をしているようだった。声は聞こえないが、お互いに意思を疎通しているのだということは何となくわかる。
やがて、火竜は再びその長大な翼を広げ、夜空へと飛び立っていった。
*
抜けるような青空の下、鳥車はゆっくりと街道を進んでいく。
あまり整備された様子のない凸凹道を振動で感じながら、ロッシは荷台に突っ伏していた。
鳥車に酔ったわけではない。ただここ数日間で自分の運命が激変してしまったことを、彼はまだ頭の中で整理出来ていなかった。
どうしてこんなことに……。
もう何度繰り返したか知れない問いを反芻する。一体どこをどう間違ったのか。どうすれば良かったのか。悶々と考えても一向に応えが出せる気がしなかった。
「おい、いつまで落ち込んでいるんだ。女々しいぞハンターのくせに」
頭上から呆れたようにルネが言う。
「そんなこと言ったって……」
呻くように呟く。女々しいことは、ロッシにもわかっているのだ。だがしかし、そう簡単に割り切れるものでないのもまた事実。
「あの時はライール相手にカッコいい啖呵切ったじゃないか。あの時の勢いはどうした?」
御者席からこちらを見ずにノウミがからかう。
「誰の……」
「あ?」
「誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ! お尋ね者だぞお尋ね者! 指名手配されちまったじゃねぇか!」
思わず顔を上げて大声を上げてしまう。だがそれに対する反応は淡白だった。
「ああ、まあ。それはもう、仕方がないだろう」
如何にも当然といった口振りでルネが言う。
「そうだなぁ、どの道ああいうことになった時点でわかってたことだし、それにお前も結構乗り気だったじゃないか」
「あの時の俺はどうかしてたんだ! 冷静に考えて素直に逃げておけばよかったんだ!」
あれから、ライールらを撃退し、飛竜の巣を後にしたロッシ達には、すぐに追手の追撃が待っていた。
飛竜から逃げおおせたライールの仲間であることは疑いなく、その数は飛竜の巣で四人を囲んだ人数を大きく越え、約二十人程と見られた。
「どうする?」
と、ノウミはロッシとルネに聞いた。
「どうする、とは?」
「逃げるか、戦うか……ま、投降するか、だ」
ノウミはそう言うが、ランベール公の私兵たちは街道へ至る道を封鎖し、四人を逃す気はさらさらないようだった。捕まれば命はあるまい。それに……。
「二人は、戦う気なんだろ」
ロッシは、熱心に得物の手入れをしているナダの無表情を見ながら言った。
「放っておけば奴らはまたあの巣を襲うだろう。しばらくこの土地に近寄れないくらいの打撃を与えておく必要がある。出来れば道も塞ぎたいな。……ま、お前ら二人を逃がすくらいはやってやるぞ」
「私も戦うぞ!」
ルネはそう叫ぶと、すくと立ち上がる。
「二人には恩がある! 二人を置いて自分だけ逃げられるものか!」
「知らねぇぞ、どうなっても」
「覚悟ならとうに出来ている。……ロッシは、どうするのだ」
「そりゃ俺も付き合わせてもらうよ。一人で逃げるのも後味悪いしさ」
問われたところで、ノウミとナダが戦う準備を始め、ルネが決然と意志を固めたこの状況だ。「じゃあ俺はこの辺で……」などと言えるわけがないではないか。
それにロッシ自身、昨夜の興奮が未だ収まっていなかった。少々熱くなりすぎている。だからその選択が後々どういう事態を引き起こすか、考えることが出来なかった。
「そうか、済まないな、巻き込んでしまって」
「構わんさ。私も奴らのやり口は気に入らなかったのだ」
「ああ、で、何をすればいいんだ?」
「そうだな、まずは……」
ノウミは、多勢と正面からぶつかることは避け、まず彼らの持ちこんだ物資に狙いを定めた。彼らの警戒の薄くなる時を見計らってベースキャンプを襲い、食糧を強奪したり焼いたりした。さらに、テントや毛布といった生活必需品を焼くと、彼らの士気は目に見えて落ちた。
さらに嫌がらせのように、ノウミによる狙撃が行われる。例えば水を飲もうとコップに手をかけた瞬間、そのコップを射抜く。夜寝ようとするところに大きな炸裂音と共に閃光弾が撃ち込まれる。
いつどこから狙われるかわからない彼らは、眠ろうにも眠れず、落ち着く時間すら作ることが出来ず、死者こそ出さないものの瞬く間に憔悴していった。
ナダはナダで、その特異な姿は追手を大いに恐怖させた。特に闇夜に突然ナダと出くわした彼らの狼狽ぶりは、思わず同情を禁じ得ないほどだった。
ロッシとルネは、彼らの通り道に落とし穴を仕掛けたり、通り道を塞いで道に迷わせたり、地味な作業を繰り返し、次第に部隊を分断していった。
ノウミとナダが事前にこの地をくまなく歩き回り、普通は人間が入り込まない獣道を網羅していたから、四人は追手に対して常に先手が取れた。
常に見えないところから狙いを付けている狙撃者、化け物染みた姿の女、そこかしこに点在する罠、慣れない土地、そして頭上を旋回する飛竜……。数日の間翻弄され続けた追手達は、憔悴し疲れ果て、終いにはなんと仲間割れを始めた。仲間を口汚く罵倒し、残り少ない食料を奪い合い、仲間を押し退けて逃げ出したのだ。
死者は、誰ひとり出ていない。それでも集団は呆気なく崩壊した。
「まあ、こんなもんだ」
当然のような口ぶりで、ノウミが言った。
「最初から、これが狙いだったのか?」
「ああ。だいたい奴らはランベール公に金で雇われた連中だろう。それほど忠誠心も無いようだったし、条件さえ揃えば簡単に崩せる」
「これで、おわり、か。おかしいな」
ナダは、どこか物足りなさそうだった。確かに集団の団結力で見るなら、ランポス達の方がより我慢強く結束を守った。ノウミはそれを熟知していたということか。
「あんた、本当に何者だよ……」
「単なる猟兵だよ。猟をするためには知らなければならないことがあるのさ。モンスター相手でも、人間相手でも」
人間相手の猟をしたことがあるのか? とは、怖くて聞けなかった。
ランベール公の追手を逆に追い散らすと、爆薬を使って土砂崩れを起こし、この地に通じる街道を封鎖して回った。
「これでランベール公は諦めるだろうか?」
作業をしながらルネがノウミに尋ねる。確かに街道を塞いだところで、土砂を除ければまたこの土地に入ることが出来る。
「二、三十人からの兵を再起不能にしてやったからなぁ。しばらくは無理だろうが、ランベール公にとっちゃあの鉱山は魅力的だしな」
「そうか……ではこれは時間稼ぎくらいのものか」
「いや、これだけの土砂を除けるとなれば人足も金も相当かかるだろう。そうすると、秘密裏にとはいかなくなる。誰にも気付かれないようにやるには準備に時間がかかるはずだ。その間にあのリオレウスが上手くつがいを作っていれば、地方領主くらいでは手が出せないだろう」
ギルドに依頼するとなれば自然あの鉱山の件も明るみに出るだろうから、ランベール公は手が出せない。
「なるほど。ならばこれも、無駄ではないのだな」
そうして作業を終えて空を見上げると、飛竜が悠々と蒼穹を旋回している。
まるで何か、四人に言いたいことでもあるかのように。
翼を広げた巨大な影に、ナダが手を振っていた。その光景をごく当たり前に受け入れている自分がいて、ロッシは不思議な充足感に満たされていた。
「……そこまではよかったよ。何かいいことしたなって気になってた。今にして思えばおかしくなってたんだよ俺!」
ドンドルマに帰還したロッシ達を待っていたのは、街中に貼られた手配書だった。罪状は「ランベール公領内における殺人、及び破壊行為」。早い話がテロリストだ。
そこまではやってない! と抗議しようにも、ここまで風聞が広がってしまってはそれも出来ない。おそらくライールの仕業だろうが、飛竜によるものとはいえ死者が出ていることは事実だし、証人もいないため捕まれば有罪は確定だった。
ロッシ達は一も二も無くドンドルマを脱出した。幸いにもドンドルマ自警団はランベール公領で起きた事件の犯罪者逮捕には乗り気でなく、捕捉されることなく逃げ出すことが出来たが、おそらくこれでロッシとルネはギルドを除籍されたであろう。
ハンターとしての未来は確実に閉ざされたも同然であった。
「しかもアンタら、前科あったんじゃないか!」
手配書によれば、ノウミとナダはドンドルマに来る前にも何度かハンターを襲撃していたらしい。二人によればどれも悪質な密猟者だったと言うが、その一味と見なされたロッシは堪ったものではない。
「いやいや、ライールという男、なかなかよく調べている。相当俺たちを殺したがっているな」
「調べるも何もないだろ! 目立つンだよアンタら!」
「ナダ……めだ、つ」
「うるせぇ! 俺の未来を返せ!」
「まあまあ、もう済んだことではないか。それに我々は何も後ろ暗いことはしていないぞ。人殺しもしていない。私欲にまみれた貴族の鼻っつらに一撃入れてやったのだ。私はむしろ爽快な気分だよ」
ルネが爽やかにそう言い放つと、自分だけぐじぐじといつまでも愚痴を垂れているのが馬鹿らしくなってくる。一通り叫べばもうなるようになってしまえ、という気分にもなる。
「まあ気にするなよ。どうせランベール公の勢力圏だけの話だ」
「で、これからどうするんだよ?」
「取り敢えず北へ逃げる。あの辺はまだ未開地域が多いからランベール公も手が出せないだろ。それにこっちもやることあるしな。あまりかかずらってられんのよ」
「ハア……もうこうなったら一蓮托生だ。お供しますよ」
「そうだロッシ、これも修行だと思えばいい! ナダ、君の目的地も北にあるのか?」
「アフンルパル、ずっとずっと、むこう。カンナカムイ、いる、そこ、に」
ナダが指をさす先には、雪を被ったフラヒヤ連峰が霞んで見える。
遥かフラヒヤ連峰まではあと幾日か。
どこからか聞こえた遠雷が、飛竜の咆哮のように腹に響いた。