1♯鬼火

 

 

 赤茶けた火星の大地に、仄青い光が二つ、浮かびがった。寂莫とした荒野に彷徨する鬼火のようなそれらは、ゆらゆらと揺らめきながら、お互いに近づいていく。青緑色の光の残滓が長く尾を引いて、時に螺旋を描くように接近し、時に直線的に交差してまた離れる。

 この世のものとは思えぬほど美しい光。

 ひとたび魅せられた人間の魂を捕えて、決して逃しはしない、ただひたすらに、美しく、悲しい光。

 

 その光を発するのは、巨大な体躯の機械の巨人だった。

GIGS(ギグス)』と呼ばれる、人間が乗り込み、人間に操られる巨人は、頭頂高十メートル程。腰のあたりから、「テール・スラスター」という疑似重力制御ユニットが、文字通り尻尾のように突き出、進行方向に力場を発生させ推進力を得ているのだが、その際、尻尾全体が青緑色に発光する。

 機体の外側に突き出た推進機関は、その付け根からフレキシブルに可動し、姿勢制御と方向転換の為に全身に備え付けられた補助バーニアと連動したそれは、巨人に、体躯に似合わぬ自由な挙動を可能とさせていた。

火星の大地を自在に疾駆し、滑空し、飛翔する。

人の形をしながらも、人間ではない。天国にも地獄にも行くことが許されず、松明を灯しながら永遠に現世を彷徨い続けることを宿命づけられた『鬼 火(ウィルオウィスプ)』――

 

鬼火の一方、ミディアムブルーにカラーリングされたGIGSが、火星の大地を舐めるように飛行していた。

軽量級の小柄な体躯に、二本のテール・スラスターを生やしたその機体は、左右のスラスターの出力比を器用に変えて機体を左右に振り、緩急をつけながら、軽快に目標に近づいていく。

その単眼が見つめる先には、二つの月を背負い、丘上から悠然と眼下を睥睨する白いGIGSがいた。

 人間で言えば尾てい骨の辺りから太く長いメイン・スラスターを、左右の肩甲骨の下から一回り小さいサブ・スラスターを生やした白い機体。中量級の均整のとれたフォルムで、左手に半身の隠れる盾を持ち、銃身の長いライフルを構えたその姿は、さながら、純白の甲冑を纏い戦場に佇む雄々しい騎士。半稼働状態のテール・スラスターからは薄青い燐光がゆらゆらと湯気のように立ち昇っている。

 それはまるで神話の光景だった。

 敏捷で狡猾な大狼を迎え撃つ白い騎士。騎士の喉笛を食い千切らんとする獰猛な獣をじっと見据えるのは、一撃で雌雄を決するためか。

 

 敵機の射程圏内に入ったことを悟り、青い機体が突如速度を上げた。案の定、盾を構えたまま放たれるライフルの射線を、横ロールで外す。

 ライフルの射線を巧みに外しながら、青い機体は白い機体に接近していく。接近しながら、手にしたマシンガンで牽制を行い相手の足を止め、その間に腰のマウントラッチから、反りの入った片刃のブレードを抜く。

 白い機体は、動かない。盾とライフルを構えたまま、敵の襲来を迎え撃つ。

 お互いの顔が判別できる距離まで接近すると、青い機体の構えていたマシンガンが、ライフル弾の直撃を受けて弾け飛んだ。

 飛び道具の喪失にはまるで動じる気配すら見せず、間髪入れずマシンガンを手放し、一度フェイント入れた青い狼は、ブレードを構え、ついに白い騎士に肉薄した。

 敵機のブレードが間近に迫りながらも、白い機体は構えを崩さなかった。冷静に、バックステップで距離を取りながら、横に回ろうとした青い機体に向き直り、ライフルの狙いをつける。

 しかし、その引き金が引かれる前に、青い機体が左手に隠し持っていた短刀が閃いた。超高速で微振動する短刀はライフルの銃身を貫き、一瞬にして白い機体の優位を崩していた。

 だが、それでも騎士は動じない。

 ライフルが使い物にならなくなったと見るや、ここぞとばかりに攻めかかってきた青い機体にライフルを投げつける。

 笠にかかって攻めるはずだった青い機体が一瞬たたらを踏む。その腹を白い機体が思い切り蹴り上げた。

 蹴り飛ばされながら空中でバーニアを吹かし、危なげなく態勢を立て直した青い機体だったが、その間に、白い機体は盾の裏に収納してあった直剣を抜いていた。

 仕切り直しだ。来い。

 盾で半身を隠し、直剣を真っ直ぐ敵に向ける騎士そのものの姿が、そう言っていた。

 それに答えるように、青い機体は数歩、左右にステップすると、再び猛然と白い機体に襲いかかった。

 もうお互いに飛び道具はない。ここから先は、零距離での削り合いだ。

 攻め疲れた狼が騎士に突き殺されるのが先か、狼の牙を凌ぎ切れなくなった騎士が喉を食い千切られるのが先か。

 二つの鬼火が、激しく交わり合っていた。

そう時を待たずに、どちらかは消える。

その時を惜しむように、或いは、待ちわびているように、仄青い燐光が、眩く、淡く、火星の大地を彩っていた。

それを見る人間の心に、静かに、染みを滲ませるように。

 

 

       *     *

 

 

 相手の呼吸の裏を突いてショートステップからループターン。ターン途中でフェイントを入れてリターン。それであっさり間合いを詰めると、今度は敵の攻撃を誘いクイックステップ。敵の斬撃を紙一重でかわしながら、手にした湾刀を横薙ぎにする。瞬時に向き直った敵機にその一撃を受止められるものの、その勢いを利用してさらに後ろに回り込む。だが、その行動は読まれていた。前方に急加速した敵機に置いていかれる形になりかけるが、ここで距離を離されるわけにはいかなかった。急いで態勢を立て直し、フル加速で敵機を追う。フットペダルを思い切り踏み込み、腹に力を入れて加速のGに耐え、そして……。

 

デスクの下でフットペダルを踏む動作をしていることに気づき、野口哲夫は思わず苦笑した。

携帯端末の小さなテレビ画面に、GIGS同士の格闘戦が映し出されている。その熱戦に、いつの間にか入りこんでしまったようだ。対戦しているどちらか一方に感情移入してしまう、なんてことはよくある話だったが、コックピット内での操者の動作まで想像して、あまつさえ無意識のうちにどの動きをトレースしようとまでするとなると、流石に病的だ。

 哲夫は自嘲気味に笑いながらコーヒーカップに手を伸ばすが、口に運んでみるまでもなくとっくに空になっていたことを思い出し、詮無いことと知りながら舌打ちを漏らした。

 

 FGS(太陽系圏統一GIGS選手権)シーズン最後の大一番、「マーシャンズ・カップ」の決勝戦は、予想外の荒れた展開となった。

大会大本命、前回、前々回と二連覇を果たしているチャンピオンチーム〈アヴァロン〉と、新進の強豪〈シルベストリス〉との対決だったが、三対三のチーム戦、参加六機体のうち、開始十分以内にリタイアが四機。試合も序盤だというのに、両チームエース同士の一騎打ちにもつれこんでしまっていた。

 〈アヴァロン〉のエースは言わずと知れた現代最強操者(プレイヤー)、ジャン・バルトーク。今年三九歳のベテランは、騎士と渾名されるGIGS〈ホワイト・ホース〉を駆り、チーム戦、個人戦ともに、ランキングのトップに君臨し続けている。操縦センスは他を圧倒しており、ベテランらしい堅実さと、神懸かり的な勝負強さを併せ持ったプレイスタイルは今年も健在でシーズン終了間際の現時点で、既に賞金王のタイトルは確定している。

 一方、対する〈シルベストリス〉のエースは、二七歳のハキーム・ザーヒル。乗機は軽量級の高機動GIGS〈ジェリコ〉。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と地球時代のボクサーに例えられたヒット・アンド・アウェイスタイルを武器に、まだ若手ともいえるキャリアながら、ここ数年で一躍トッププレイヤーの一人に名を連ねるようになった。今シーズンも、並いる強豪を押しのけ、マーシャンズ・カップで王者・ジャンへの挑戦権を得た。

 両者とも実力で言えばトップクラスではあるものの、下馬評では圧倒的にジャン・バルトーク優勢であった。

 しかし、大方の予想を覆し、一対一となった時攻勢に立ったのは、若き挑戦者、ハキーム・ザーヒルだった。

 軽量機である〈ジェリコ〉の特性を最大限に活かし、得意の機動戦に持ち込んだまま、主導権を譲ろうとしない。

 もっとも、「現役最強」の称号は伊達ではなく、王者ジャンもハキームの攻撃を悉く凌ぎ切っており、試合中盤、両者ともに手持ちの火器を失ってからは、試合は完全に持久戦の様相を呈していた。

 近接専用のブレードを手に、火星の大地で激しくぶつかり合う二体の巨人。鍔迫り合いの度に飛び散る火花。まるで命を燃やしてでもいるような、テール・スラスターの青い燐光……。

 その様子を、野口哲夫は携帯端末の小さなテレビ画面越しに眺めていた。

 画面一つ隔てた向こう側では、世界最高峰の操者達が、己の全存在を賭けた戦いを繰り広げている。それは雄々しく、美しく、多くの人間の心を引きつけてやまない。

 だというのに、今の俺のこの状況はなんであろう。

 華々しいスタープレイヤー達の手に汗握る攻防を眺めながら、哲夫は深い溜め息をついた。

 人気の無い夜のオフィス。たった一人でデスクに向かいながら、小さな携帯端末で年末最後の大一番を、人目を憚るように観戦している自分が情けない。

電力節約の為、オフィスは哲夫のデスクの周囲にしか明りがついていない。それがより寂寥感を増し、画面の向こうで熱戦が繰り広げられれば繰り広げられるほど、我に帰った時の虚しさが骨身に染みた。

 今、己の全てを賭けて戦っている操者達と、さして広くもないオフィスに一人きりの自分。

世界が違いすぎる。

 その事実を否応なしに突きつけられているようで辛いのだが、それでも目を放せないのは、何故なのだろう。

 哲夫は、小さな携帯端末の画面を冷めた目で見つめながら、再び大きな溜め息をついた。

 

 試合はどうやら終局に差し掛かっているようだった。

 ハキームの仕掛けたフェイントからのクイックターン。お得意の戦法で死角からの接近を図るも、ジャンは微塵も揺るがない。

 その場からほとんど動かずハキームの横薙ぎの斬撃を刀身で受け、瞬時にハキームの正面に向き直る。

 崩せないことを悟ったハキームは瞬時に距離を取り、再びのアタックの為にタイミングを計る。

 僅かに、ハキームの動きに綻びが生じていた。

 再三のアタックにも全く動じる気配の無い王者・ジャンのプレッシャーか、それとも純粋に試合が長引いて疲労が出てきたか、或いはその両方か、ハキームの動きに焦りが生まれているような気がした。

 ハキームの持ち味である軽快なヒット・アンド・アウェイスタイル。その肝であるランダムなステップが、段々とパターン化されてしまっている。だからジャンには動きを読まれアタックを止められる。それがさらに焦りを呼び、益々彼の持ち味が失われていく悪循環である。試合は完全に王者・ジャンに支配されつつあった。

「こりゃあ……決まりかな……」

「あーやっぱり駄目かぁ、ハキーム」

 突如、斜め後ろの耳元で低い声が聞こえ、哲夫は思わず背筋を硬直させた。

「うわっ! せ、先輩! い、いつから!」

 いつのまにか後ろに立っていたのは、課の先輩、イスマイルだった。結構な長身で、立っているだけでかなりの存在感を示すイスマイルに気付かなかったのは、哲夫にはショックだった。

「ちょっと前だよ。お前さん全然気付かないもんだから、どこまで気付かないか試してみようと思って」

 そんなに集中してしまっていたのだろうか。哲夫にしてみれば、「観戦」というほどの熱意もなく、ただ漫然と眺めていただけのつもりだったのだが。

「よっぽど好きなんだねぇ、FGS。あ、コーヒーも注ぎ足しといたよ」

 それも気付かなかった。見れば左手に触れるか触れないかの距離に、湯気を上げるコーヒーカップが確かにあった。

「で、どうよ、試合は。やっぱジャン優勢?」

「ですね。ここにきて安定感が段違いです。……いや、というか、その前に……」

「ん?」

「なんでイスマイル先輩がいるんですか」

「ちょっと書類忘れちゃってさあ」

 そう言いながら、隣のデスクからイスを引っ張り出し、哲夫の横に座る。携帯端末の画面が小さいため、一緒に中継を見ようとすると必然的に密着する格好になる。

「先輩、狭いすよ」

「そうだな。画面、もうちょっと大きくなんないの?」

「なんないんですよ」

「じゃ、ちょっと右寄れや」

 渋々イスをずらすが、それでも狭いことに変わりはない。ただでさえガタイの大きなイスマイルが身を乗り出すように画面を覗き込む。

「書類はいいんですか?」

「もう回収したよ。いいじゃないか、もうすぐ終わるんだろ、試合」

「イスマイル先輩、『多分ハキームは負けるから今日は試合見ない』って言ってたじゃないすか」

「いやぁ、それはやっぱりファンの態度として有り得ないだろう。たとえ負けるにしてもさ」

 同じ中東系の祖先をルーツに持ち、また同じイスラム教徒でもあるハキームのファンを、イスマイルは普段から公言していた。とはいえ、それ程熱狂的ファンというわけでもないらしい。どことなく近しいものを感じて、暖かく見守っているようだ。

「それよりお前はどうなんだよ」

 携帯端末の画面を眺めたまま、イスマイルは哲夫に尋ねた。

「どうって……」

「大丈夫なのか? この間からずっとその書類チェックしてるだろう。クリスマスも泊りがけだったし」

「大丈夫も何も……」

 哲夫は、携帯端末の後ろに山のように積まれている書類の束をちらと見た。すべて、哲夫が内容をチェックして、なるべく早く課長に提出しなければならない、ということになっている。このご時世に電子データでなく紙媒体で、というあまりにもあからさまな嫌がらせがこの課の伝統であるというのだから、もはや笑うしかない。

「……こんなもの、やってもやらなくても同じようなものだろう? どうせ課長だって全部チェックはしないだろう。適当に終わらせればよかったじゃないか」

「そうもいかないんですよ。そう思って前回手を抜いたから、今こんなことになっているんです」

「え? 何やったの?」

「やったっていうか……誤字脱字の訂正抜けが数か所あって……」

「はあ? それだけかよ。あの課長、なんでそういうところだけ抜け目ないんだ?」

「ねぇ……」

 お互い顔を見ずに、携帯端末の画面を見ながら同時にため息をついた。大の大人が雁首そろえて、狭いデスクに固まって何をやっているのだろう。しかしそれでもさっきの孤独なため息よりはまだましというものだ。哲夫はさっきから会話をしながらも自分の肩をぐいぐい押して少しでも有利なポジションを確保しようとしてくる男に、眉をしかめながらも心の中で感謝した。

「お! いけ! そこだ! ……あー。駄目だ、攻めきれないか……」

 画面の中では、ハキームの〈ジェリコ〉が再度のアタックに打って出ていた。しかしやはり、王者ジャンの堅守に阻まれ、なかなかダメージを与えることができない。

 逆に、王者の反撃をかわしきれずに、ダメージを増やしつつある。

「ハキームは、もうキビシいですね。段々アタックが単調になってますよ」

「まあ、やっぱり強いよなァ、ジャンは。いや、俺も強いって知ってはいたよ。でもここまで差がつくものなのかね」

 それとも、ハキームはこれでも健闘した方だってことなのかなぁ。ハキーム贔屓のイスマイルも思わず感嘆を漏らす。ジャン・バルトークはまさに完璧だった。一部の隙もなく、ハキームの再三のアタックに揺らぐ気配すら見えないのは、強靭な精神力の現れである。

「お前も操者だったのなら、俺よりもよくわかるんじゃないのか? ジャンの強さはさ」

「いや、もう、まるでわからないです。強すぎです。何であそこまで読めるのか。あと、落ち着きすぎですよ」

「もっと専門的なこと言えないのかよ。俺が思ってたのと大して変わらないぞ」

 そう言われても、わからないものは仕方がない。確かに哲夫は半年前までGIGSに乗っていたが、FGSのようにGIGS同士の真剣勝負を生業としていたわけではない。FGSのトッププレイヤーには、彼らにしか見えない世界というものがあるということだろう。

「ああ、そろそろ……」

「決まりますかね……」

 ハキームの動きが目に見えて鈍くなり、代わりにジャンが攻め込むシーンが増えていた。

ここまでくれば、素人でもわかる。もうじき、終局だ。

 クライマックスの緊張感に、身が入らないなりに思わず背筋が伸びる。隣のイスマイルも深呼吸をして、その瞬間に備えて身構えているのがわかる。

しかしその心地よい緊張感は、脆くも破られた。突如として内線のコール音がけたたましく鳴り響き、哲夫とイスマイルは恨めしげにデスクの端に据え付けてある電話を睨みつけた。

 イスマイルに顎で支持され、哲夫が内線に出ると、相手は案の定、課長のファーガソンだった。

『ノグチ君。夜遅くまで御苦労さま。どうだね進み具合は?』

「ええ、まあ、ぼちぼち、というところでしょうか」

『その言い回しはよくわからないが、頑張っているのならいい』

さすがに、仕事をさぼって先輩と二人でマーシャンズ・カップを見ていましたなどと正直には言わない。が、おそらく課長の口ぶりから察するに進捗状況は芳しくないと察しているはずだ。

「それで、何のご用でしょう」

『うん、実は君に話があってね……』

「書類ならまだ当分は終わらないと思いますけど」

 もともと終わらないことを当て込んで与えられた仕事なのだ。

『いや、その仕事とはまた別に、緊急で、話さなければならないことができたのだよ』

「こんな時間にですか?」

『こんな時間に、だ。まったく迷惑な話だよ。とにかく、すぐに来てくれ』

「……はい」

 受話器を置くと、イスマイルが市場に運ばれていく仔牛を見るような眼で、哲夫を見つめていた。

「……見といてやるから……」

「……録画ボタン、どれかわかります?」

「おう……録っとくから」

「お願いします」

 後ろ髪をひかれる思いで、一気に椅子から立ち上がる。そのまま画面を一度も見ないようにオフィスを後にした。

 オフィスのドアを出た後、一度だけ振り返って、ドアの脇に張り付けられている金属のプレートを眺める。

「航宙管理局 管材部 資料管理課」

 これが今の哲夫の職場。

 地球と月との中間地点に浮かぶ宇宙植民市〈メリーベル1〉。その中央に鎮座する航宙管理局本部ビル、地下二階。それが今の哲夫の居場所。

ほんの半年ほど前、ここから数十メートル上の局長室で輝かしい叙任式を受けたのが夢のようだった。

 肩を落とし、深い深いため息を吐きながら、哲夫は課長室に足を向けた。

 

 航宙管理局は、連合政府直属の警察機構である。おもな業務は太陽系全域の治安維持、事故、災害時の人命救助など。実は軍のGIGS教導団が母体となっていることはあまり知られていない。

通常、各植民市の自治組織に委託されている警察、自衛権。航宙管理局はそれらと同等の権利を有し、植民市の自治範囲から外れる地域の治安も守る。

 仕事の内容自体は軍と同じはずなのだが、軍よりも小規模な分フットワークが軽く、市民のイメージも悪くない。

「宇宙の平和を守る正義の味方」

 それが航宙管理局のパブリックイメージ。とりわけ、管理局のGIGS部隊といえば花形で、厳しい訓練を乗り越えた精鋭部隊ともなれば、管理局ではエリート中のエリートである。そして管理局のエリートということは、連合政府内の高級官僚ということである。

 野口哲夫もまた、半年前まではそのエリートコースにいた。

 度重なる試験をパスし、非人間的ともいえる過酷な訓練に耐え、管理局の虎の子ともいえる最精鋭部隊に入隊した。

 しかし、いかに正義の味方の組織とはいえ、人間がいるところには嫉妬も確執も権力争いも、やはりあるのである。

上司との折り合いが悪かったところにもってきて、訓練中に致命的なミスをやらかした。そしてしばらくすると、哲夫の勤務部署変更が通達された。

 それが、哲夫がエリートコースから外れ、資料管理課などという閑職で、やってもやらなくてもいいような仕事をしている理由である。簡単にいえば、左遷だ。

 我ながら、まあ見事に転がり落ちたものだ。

そしてまた、ここでも上司に恵まれず……。

 哲夫は立ち小便用の便器の前でぶると震えながら、腹の奥から絞り出すように尿を出し切った。別に、尿意が限度を超えていたわけではない。何となく課長室に向かう道すがら、トイレに寄ろうという気になった。億劫なのだ。歩いて一分かからない課長室に、なかなか足が向かない。

 とはいえ、さすがにもう引き延ばせないだろう。哲夫はいつもより入念に手を洗い、気だるげにトイレの斜向かいにある課長室のドアを叩いた。

 

「遅かったな。上司に呼ばれたらすぐに来るものだぞ」

資料管理課の課長、ファーガソンは、でっぷりと肥えた腹をざわざわと揺らしてあからさまに不機嫌そうだった。まあ、電話があってから課長室に到着するまでたっぷり十分もかけたのだから当然かもしれない。

「すいません。急にもよおしまして。その、でかい方を」

 哲夫はこの課長と面と向かって話をするときは、極力とぼけた受け答えをすることに決めている。かつて自分が上司にされた嫌がらせを、そっくりそのまま部下にやり返すのが目下の至上命題であるファーガソンの下にいるからには、真面目であろうが不真面目であろうが、自分の境遇が変わることはない、ということが分かってきたからである。

 ふん、と鼻を鳴らし、頑丈そうな椅子に体を沈める肥満体を冷めた目で見下ろし、哲夫はファーガソンに尋ねた。

「それで、御用はなんでしょうか? 与えられた仕事は、少なくとも今日中には終わりそうもないのですが」

「ああ、あれは、もういい」

 ファーガソンは、哲夫の苦労など知るところではないとでも言うように、あっさりと言い切った。

 哲夫は一瞬ムッとしたが、すぐに表情を繕った。そうだ、最初から無駄な仕事を与えられていたことなど分かっていたのだ。もうやらなくてもいいのならそれでいいではないか。

「……それでは、一体今度はどんな仕事が待っているのでしょう? 資料庫の埃落としでしょうか? それともトイレ掃除? 掃除のおばちゃんの仕事を奪うようで心苦しいのですが……」

「……どうも、私の部下は軽口ばかり上手くなるようだな」

 それはどうも。それもこれも全てあなたのおかげなのですが、もしそれに気付いていないようなら、課員一同さらなる上達が見込めるでしょうな。

 さすがにそこまでは言葉に出さないが、ファーガソン課長がこちらの不快感を理解していないのが、何よりも哲夫の癇に障った。或いは知りながらあえて苛付かせているのか。だとしたら尚更許しがたい。

「実は、ついさっき、上の方からお達しがあったのだが……」

「上の方?」

 部下に対しては理不尽なまでに厳格であろうとするファーガソンが、「上の方」などという曖昧な言い方で口ごもる。どれくらい上の方なのだ、どこからの通達なのだ、と課長に尋ねようとすると、それを遮ってファーガソンが口を開いた。

「今、連合軍内で、新型GIGS導入に伴うトライアルを行っているのだが、知っているかね?」

「は? はあ、まあ」

 ん? 何の話だ? 

哲夫はこれまでファーガソンが勤務中に世間話をする場面に出くわしたことなどないから、これも仕事の話なのだろうか。だとしても、何故軍の話になる?

「トライアルは、ミリオン社とシキシマ重工の二社による競合だが、二社とも既に新型GIGSを完成させ、あとは最終調整の後、審査に入る段階らしい」

 知っている。今回の軍の新型機選定トライアルは、かなり前から軍事マニアを中心に話題となっており、おそらく、現在課長の把握しているよりもかなり多くの情報がメディアを飛び交っている。

「それで、そのトライアルが管理局と何の関係が……」

「君、大型特殊の免許持ってるよねぇ」

「はい……」

 そんなこと、確認するまでもなく知っているくせに、もって回った言い回し。ファーガソン課長がこういう言い方をするのは、大抵、死にたくなるほど理不尽で、迷惑な仕事を与えるときなのだ。

「その、軍のトライアルに、君も参加してもらうことになった」

「は?」

 にわかには理解できない発言だった。回答を求めるように、哲夫の視線が課長室の隅々をぐるぐると逡巡した。

「え? それは、つまり、どういう……」

「同じことを何度も言わせるな。軍の、トライアルに、君が、参加するのだ」

「……なぜ?」

 何故、軍のトライアルに管理局員が参加せねばならないのか。さらに何故、自分なのか。頭の中をいくつもの疑問が駆け巡ったが、ファーガソンの課長の言葉がぴしゃりと哲夫の思考を遮った。

「そんなもの、私が知りたいよ。ふん、ついさっき電話が来て、私がさっき君に言ったことをそっくりそのまま言われたのだ」

「そうですか……」

「分かっているとは思うが君に選択肢はない。おとなしく拝命したまえ」

「……拝命します」

 もともと軍の外郭組織である航宙管理局は、思った以上に上意下達の傾向が強い。意味がわからないほど理不尽な命令も、否、理不尽であればこそ、兵隊はその命令に従わなければならない。

「よろしい、では今チェックしている資料はすべてシュレッダーにかけて、君は帰宅すること。いいね」

「……はい」

「今年の出勤も、もうしなくていい。帰りに有給の申請をしていきたまえ」

「ええ」

「おって通達があると思うが、長期の出張になるので準備はしておきなさい」

「……はあ。ちなみに、いつから、どこでっていうのはわかりますか?」

「年明け早々に、地球で、だそうだ。地球のどこでかは、知らん。……質問はもういいかね」

「……はい」

 もっとも、これ以上聞かれても私は何も答えられんのだがな。ファーガソンは心底迷惑そうにつぶやき、はちきれんばかりに肥えた腹を擦った。

 一方の哲夫も、完全な困惑状態から抜け出せずにいた。何故、俺なのだ? 何故。

「用事は以上だ。早く出て行きたまえ。……聞いているのか、いつまでそこに突っ立っているつもりだ?」

 予定外のことにいらだちを隠そうとしないファーガソンの言葉が、哲夫の耳にはなんだか、安物のスピーカーからノイズ交じりに聞こえるラジオのように、空虚に響いていた。

 

       *     *

 

「事前に想定していたプランに間違いはなかったと思う。こちらのコンディションは完璧だった。チームのモチベーションも当然高かった。ただ、相手もマーシャンズの決勝に辿り着くチームだ。こちらの予想を上回るパフォーマンスもあり、正直、難敵だった。今シーズンを締めくくるにふさわしい戦いになったと思う」

「最後はハキーム・ザーヒルとの一騎打ちとなりましたが、彼の印象は?」

「彼と一対一でやり合うのは久しぶりだったが、以前より格段に強くなっていた。技術面、戦術面はもちろん、何よりメンタリティーの成長ぶりは目を見張るものがあった。次に対戦する時はもっと手ごわくなっているだろう」

「しかし、試合を支配していたのは終始あなたであるように見えました。貫禄、というか、余裕も感じられるような試合運びだったと思いますが」

「とんでもない。一瞬たりとも余裕なんて感じられなかった。ハキームの方もそうだったと思うが、まるで綱渡りだった。現に、先に行動不能にされたのはうちのサーシャだったしね。中盤まで、リードされていたのはこっちだった」

「そうですか。それでも、終盤のパフォーマンスは圧巻でした。ハキームの猛攻にも全く揺らぐことない冷静さは見事です」

「ありがとう。しかし実際は、本当にいっぱいいっぱいだったんだよ。一瞬でも隙を見せれば、すかさず食らいつかれるからね」

「最終盤、決着がついた瞬間、どんなことを考えていましたか」

「ああ、終わってしまったなぁ、と。このハキームとの戦いもそうだし、一年間の戦いがこれで終わりなのだと。自分で言うのもなんだが、今シーズンは私のキャリアの中でも最も充実した一年間となった。来シーズンは、またゼロから築き上げなければならない。それが勿体なくてね」

「今シーズンはSGタイトル五つ、賞金王、最優秀操者などを受賞され、まさに仰られたように充実した一年だったと思いますが、来シーズンの目標は?」

「最多勝、ベストバウト賞は逃したけどね。まあしかし、私にとってタイトルやトロフィーは勝利の添え物にすぎない。昨年もこの場で同じことを言ったと思うが、来シーズンもそれは変わらない。全身全霊を尽くし、素晴らしい操縦を見せるだけだ。幸いなことに、今年はハキームをはじめとする若手操者が飛躍的に伸びてきているのを実感できた。皆さんが退屈しない試合には事欠かないだろうね」

 

 画面の向こうで、精悍な顔の男が記者会見を受けていた。肌はやや紅潮していたが、常に微笑を浮かべたその表情には、勝者の余裕が滲み出ていた。取材陣のフラッシュを浴びながら、どことなく気持ちよさそうにも見える。

「しかしジャンは、あれだなぁ、なんだかんだで恰好いいなあ」

 どうせリップサービスだよ、と毒づいたあと、しみじみ、という感じでイスマイルは言った。

「ですねぇ……」

 哲夫が課長室から戻ってくると、既に試合は終わっていた。どうも哲夫が課長室に向かったほんの数分後、決着を迎えたらしい。

「最後はハキームが最後の力を振り絞る感じで突撃……特攻って言ってもいいくらいの勢いでな……したんだけど、それをジャンが完璧に捌いて、KOだった。いや、最後の最後まで冷静だったよ、王者は」

 ま、あとでゆっくり見ておくんだな、とイスマイルは興奮冷めやらぬといった面持ちで話してくれた。

 イスマイルの好意は有り難いのだが、今の哲夫にとってはそれどころではないのだ。心ここにあらずといった様子で、ただ呆っとジャンのインタビューを眺めていると、流石に訝ったイスマイルが事情を尋ねた。

 哲夫が課長室での仔細を話すと、イスマイルは得心した顔で、

「なるほど。そりゃあお前、チャンスってことじゃないのか」

 と言った。

「チャンス?」

「そうだよ。お前の一番得意なもんは何だよ」

「そりゃあ、GIGS、ですかね……」

 得意というより、それしかない、だ。ジュニアハイスクールを卒業してすぐに、管理局の育成機関に入ってしまった哲夫にとって、GIGSは青春のすべて、と言ってよい。

「だからさ、今回の仕事をきちっとやり遂げて、お前の実力を知らしめればだな、現場復帰のチャンスだろって」

「……」

 本当に、そうなのだろうか。現場復帰させたいのなら、普通に辞令を出せばいいだけではないだろうか。何故ここまで七面倒くさい過程を踏まねばならないのだろうか。

「お前は、一応、不祥事起してここまで飛ばされてきたってことになってるんだろうが。それを何の理由もなく元の鞘に戻すことはできないってことさ」

 イスマイルの希望的観測に首肯しかねていると、イスマイルは、何もわかっていないな、という顔でそう言った。

「ま、何にしてもこういう仕事が来るってことは、上層部はお前のことを見放しちゃいなかったってことだしな。気張って行って来い」

 そう言われると、確かにそういうことも有り得るかもしれない、という気分になってくる。イスマイルの言うとおり、自分の存在が忘れられていたわけではない、ということが、哲夫に勇気を与えていた。

 それに何より、GIGSに乗れる。それだけは純粋に、心底から嬉しかった。

 

 オフィスの電気を落とし、イスマイルと二人で職場を後にした。

 クリスマス商戦は終わったが、これから年の瀬を迎えるにあたって、色合いこそ変わったものの、煌びやかな装飾が街の隅々に散りばめられ、もう夜も遅いというのに活気に溢れている。

「先輩、これからどうするんですか?」

「もちろん帰るよ。資料取りに戻っただけだし。お前は? ああ、そうだ、彼女のとこ行くんだな? クリスマス一緒にいられなかったから……」

「……振られましたよ、クリスマス当日に。こんな夜に仕事だなんてあり得ないって」

「ああ……すまん」

「いいんです。なんか、もともと上手くいってなかったし」

 つい先日別れた彼女には、職場の近くの飲み屋で知り合った。資料管理課に左遷されて若干やさぐれていたときに勢いで付き合いだしたが、元々それほど好きだったわけでもなく、案の定、不和が続いた。おそらく彼女は結構前から、別れるタイミングを見計らっていた。振られてしまったのに、それほど悔しくもないのは、哲夫もまた心のどこかで、彼女が別れ話を切り出すのを待っていたからだろう。

「まあ、振っきれたんならいいけど。お前はなんというか、要領が悪いからなぁ。危なっかしいんだよ。課長に対してだって、もっと接し方考えないと……」

「すいません。つい」

「……操者上がりって皆そうなんかね。お前の前にもGIGS部隊から流れてきたやついたけど、そいつも課長とぶつかって……」

「どうなったんですか?」

「入院だよ。ノイローゼで。それ以来ずっと休職中」

 気持ちはわかる。操者にとって何より辛いのは、GIGSに乗れないことだ。それに、厳しい訓練を耐え抜いた自負も、選ばれた人間であることの矜持もある。閑職に追いやられて、やってもやらなくてもいい仕事をやらなければならない虚しさに耐えかねているのは哲夫も同じだった。

「先輩、今日は有難うございました」

 正直、イスマイルがいなければ、哲夫は孤独感に押しつぶされてしまっていたかもしれない。その上課長から妙な仕事を突如押しつけられたら、何が何だかわからないまま、ひとりぼっちでこの夜に放り出されていただろう。

 何気なく、ぼそっと口から出ただけだったが、イスマイルは、哲夫の感謝の言葉がどうにもくすぐったいようだった。

「だから、俺は書類を忘れて戻っただけだって」

 頭を掻きながら困ったようにそう言うと、哲夫とは反対側の電車に乗って家路に就いた。

 

イスマイルと別れてから、哲夫は何をするでもなくただぼんやりと電車を待っていた。

ふと、向かいのホームに立っているサラリーマン風の男と目があった。ばつが悪そうな笑い顔は、どこか疲れているようだった。きっと、自分も、さっきまで似たような顔で仕事をしていたのだろう。

年が明ければ、またGIGSに乗れる。

 哲夫は植民市の天井を見上げた。現在は太陽とは反対を向いている集光ガラスの向こうに、サッカーボール大くらいの地球が青く輝いて見える。真暗な宇宙空間にぼんやりと浮かぶ地球光。その青く儚げな光は、どこか、GIGSの放つ燐光に似ていた。

 年が明けたら、あそこで……。

 感慨深げに天井を見上げていると、電車が来た。夜も遅く、流石に車内はガラガラだ。空いている座席に座ると、一日の疲れがどっと押し寄せてきた。哲夫は座席に沈み込むように体を預けると、待ちかねたように目を閉じる。

しかし、瞼の裏に、さっき見た地球の仄青い光がいつまでも染みついているようで、哲夫は結局、最寄り駅まで眠ることはできなかった。

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