3♯クロエ

 

 白い闇。

 今、目にしている光景を形容するなら、そういうことになるのだろうか。

 コクピットのほぼ三六〇度をカバーするモニターは白色に塗りつぶされ、見渡す限り視界はゼロ。宵闇とも宇宙空間の闇とも違うのは、機体全体にまとわりつくような、濃密にも程がある質量感だろうか。

 集音マイクの音量を最低にしているため、外の音は風切り音が微かに聞こえる程度。そのためか、普段は感じることのない静かなエンジンの駆動音が、操縦桿を通じて全身を満たしていた。

 コンソールの高度計を見、あと少しで規定の高度に到達することを確認すると、クロエ・エヴァンスはちろと唇を舐め、フットペダルはベタ踏みのまま、操縦桿を握る右手中指の腹でシフターをクリックした。

 エンジンの唸り声が心なしか大きくなったかと思うや否や、加速域が広がった機体が、待ちかねたように上昇速度を上げる。

 そして次の瞬間、一気に視界が開けた。

 思わず、頬が緩む。今度は見渡す限り、一面の青だ。

高度三千メートルを突破し、足元の景色を映すモニターには、今しがた突きぬけた雲海が、絨毯のように延々と敷き詰められているのが見える。実際に雲の中にいたのは数秒なのだが、何だか随分長いことあの白い闇の中に閉じ込められていたような気がする。

 少し遅れて随伴の二機が雲中から抜け出たことを視認すると、クロエは機体にまとわりつく雲の粒子を振るい落とすように、機体の背中で束ねられた四本のテール・スラスターを十字に広げ、機体に急激なストップをかける。内臓が浮き上がり攪拌されるような不快感に耐えながら、機体の下半身を上空に投げ出すように宙返り(ムーンサルト)

 機体が真上を向くと、息を飲むほどの青空に、強烈に光る太陽が目に入った。無重量の不快感が快感に変わっていく。

回転する青い世界に心を躍らせながら、クロエは再び、思い切りフットペダルを踏み込んだ。

 青緑色の光の粒を盛大にまき散らしながら、機体は思うがままに飛翔する。

 濃密な大気の充満する地球の航空力学は、例えどれほどの高出力を誇る機体であろうと、人型などという歪な形のGIGSに、音速の壁を越えることを許さない。

 しかしその分、飛行中の自在な挙動の妙は航空機の比ではないのも、GIGSの特長だった。

 急降下して、雲海ぎりぎりのところで急スピンをかけ今度は上昇。上昇し、機体にひねりを加えながらの連続宙返り。回転の終わりにフットペダルから足を離してスラスターをオフにし、つかの間の浮遊感を味わうと、落下が加速する前に再度スラスターを吹かしてストップ・アンド・ゴー。S字に緩やかなスラロームを描くターンを繰り返したかと思うと、突如反転しカウンターターン。

 背中から伸びる四本のテール・スラスターを広げ、光を放ちながら雲上を飛びまわる。妖精の舞踏というには、試作機であるが故の黒いカラーといい、筋肉質を思わせるボディラインといい、些か厳つい外見に過ぎているが、気分はティンカー・ベルそのものだった。

『調子良さそうですね、少尉。どうですか、〈ゼロ〉の乗り心地は?』

 無線から、随伴機の操者の声が聞こえた。

 最高! と叫び出したい気持ちを抑えながら、クロエは努めて冷静に言う。

「上々ですね。大気圏内でここまで動ける機体は初めてです」

『少尉の腕もかなりのものです。正直、我が社が契約しているテスト操者でも、少尉ほどは動かせませんよ』

 随伴機の操者は、一人が軍人、一人が今クロエの乗っているGIGS〈AGS‐0〉を開発した、シキシマ重工の人間だ。データ撮りと、万が一のアクシデントに備え、クロエのテスト飛行を見守ってくれている。GIGS開発の雄、シキシマ重工の社員に褒められれば、それが世辞混じりのものであったとしても、クロエのテンションを上げるには十分だった。

「自分などが操縦してこのパフォーマンスですから、軍のエース級が乗れば、多大な成果が期待できると思います」

 舞い上がる気持ちとは裏腹に、言葉は怜悧に、「模範解答」を選んでいた。自分は軍人で、これは任務なのだ。軍人ならば、個人的な感情は脇に置き、任務に徹さなければならない。クロエは無線と会話を交わしながらも、絶えずフットペダルには意識を向け、機体の動きに集中していた。

『いやぁ、そこまで言ってもらえると開発者冥利に尽きます。何より……』

 あんまり楽しそうに操縦するもんだから、こっちまで嬉しくなっちゃいますよ。

 その言葉を聞いた瞬間、クロエは思わずフットペダルを踏み込んでしまった。オーバーブーストで機体がバランスを崩しかける。何とか機体は持ち直したが、動揺しているのは明白である。

頬がかっと熱くなるのがわかった。見透かされていた。新型機のテスト操者に任命された時からずっと、心は歓喜に震えていた。昨日などは、興奮してなかなか寝付けなかった。子供のようにはしゃぎながら、確かにクロエは、この飛行を楽しんでいた。

『大丈夫ですか! 少尉』

「済みません。油断しました」

 危ない、危ない。いかに高性能機とはいえ、まだ慣熟には到っていない機体なのだ。高性能な分だけ、操者は慎重に立ち回らなければならない。クロエは自らを戒めるように一度深呼吸すると、再び、大きくフットペダルを踏みしめた。

 

        *        *

 

 クロエ・エヴァンスは、自分の意のままにならぬことが好きだった。

 そんなことを女友達に言うと、大抵怪訝な顔をされ「変わっているね」と言われる。そしてそのあと、こう言われるのだ「思い通りにならないことなんて、ないんじゃないの?」と。

 エヴァンスの家は、代々軍人の家系だった。とりわけクロエの祖父は高名だ。連合宇宙軍中将にして、退役後は連合政府の議員も務めたエドワーズ・エヴァンスは、いまだに軍の上層部に睨みを利かせているくらいだ。父もご多分にもれず軍属で、現在は情報部で中佐。

 そんな家で育ったからか、クロエは幼いころから割と何でもできる子供だった。

 元来負けず嫌いな性格でもあったのだが、運動も勉強も人並み以上にできた。小学校に入る前に始めたヴァイオリンはコンクールの常連だったし、スイミングスクールに通えば通い出して一週間でクラスを飛び級で上がった。母親は家事の苦手な人間だったので、祖母の死後、掃除、洗濯、料理など家事は彼女の仕事だった。

 社交的で、すぐに友達ができた。美人で、誰にでも分け隔てなく接するクロエのこと、クラスでグループができると、その中心には必ず彼女がいた。リーダーシップに溢れ、責任感と意志が強く、人当たりも良い柔らかな人柄は、必然的に誰からも愛された。彼女を相手にすれば、嫉妬することすらおこがましくなる。ハイスクールともなると、誰も、彼女に並ぼうなどとは思わなくなった。

 そのころからだろうか、彼女は祖父や父と同じように軍人になろうと決めた。

 別に祖父や父をことさら尊敬していたわけではない。祖父も父も、家に帰ってくるとごくごく普通の男であり、彼女が好きなのはそんな家族だったからだ。

 両親にはクロエ以外に子が出来ず、そのため男子の跡取りがいなかったから、というのも違う。現に、祖父も父もクロエが軍に入ることには反対した。

 それでも彼女が強硬に自分の意志を押し切ったのは、自分の人生に対する、ある種の確信があったからだ。

 このまま行けば、自分はごくごく幸せに暮らしていけるに違いない。学歴は申し分なく、やろうと思えば大抵のことはできるので就職しても不自由はしないだろう。そのうち父が、将来有望でハンサムなエリート軍人を紹介してくれ、しばらくしたら結婚という運びになるに違いない。しばらくは共働きだが、子供が出来たら主婦に専念することになる。自分が出産し、子供を育てることができるか、という点には若干不安が残るが、家事は得意だし、近所づきあいも抜かりはない。何よりあの母にも出来たことだ。何とかなるだろう。しばらくしたらもう一人二人作ってもいい。育児が落ち着いたら趣味に時間を使える。再びヴァイオリンを始めたり、カルチャースクールに通ったりもするのだろう。旅行に出かけるのも、それほど嫌いじゃない。夫が引退したら、地球に土地を買って、そこで農園でもやりながらのんびりと余生を送る。そして、夫や成長した子供たちに看取られながら、静かに息を引き取るのだ。

 悪くない人生だ。いや、これ以上はない、と言ってもいい。こんな風に生きられたら、どれほど幸せだろう。

 だが、それを想像した時から、クロエは自分の人生で、出会う人、起きる出来事、全てがひどくつまらないものに見え始めてしまった。

 特に断る理由もなかったから、何人か、同年代の男と付き合ってみたことはある。だが、どれも長続きしなかった。クロエは相手の底をすぐに見透かしてしまうから、男はそれに耐えられないのだ。結局、すぐに相手の方から別れ話を切り出されてしまう。

 女友達との世間話も、クロエには単純な定型文の応用にしか思えなかった。その気になれば、クロエは会話をリードし、会話の内容を誘導し、彼女たちを自分の思った通りの結論に導かせることが出来た。

 そんな先の見えた日々の繰り返しを生きることが、いつしか苦痛を伴うようになっていった。

 退屈だ、というわけではない。充実感がないわけでもない。ただ、何が起こっても、心の隅に「ああ、やっぱり」という思いが、澱のように沈んでいる。彼女にはそれが耐えがたかった。

 

 ハイスクールを卒業後、クロエは予定通り、軍学校に入った。何故軍だったのか、と言われると、彼女にも上手く説明することはできない。ただ、彼女は「理不尽」を欲した。自分の思うままにならなければならないほど良かった。そして、その思うままにならない現実を、自らの全身全霊を以て征服した時、彼女はこの上ない喜びを得た。

クロエは軍学校の操者専科に入る。GIGSに乗ることを目指すなら、とりあえずそれが最短コースだった。

操者の道を目指したのは、それが軍学校で、引いては軍において最も競争率が高い兵科だったからだ。

 

そんな彼女にとっては、〈AGS‐0〉はおあつらえ向きの機体だった。

GIGS開発の老舗ともいえるシキシマ重工が社運を賭けて作り上げた時代の最先端。型式番号に燦然と輝く〈0〉の一字は、「GIGSの歴史を刷新する」という傲慢とも言えるほどの強き意志である。既成概念もセオリーも吹いて飛ばす。紛うことなきモンスターマシン。

何よりもその怪物性を表現するのは、背部に展開する四本の尾である。構想自体は相当以前からあったが、実装されるのは史上初となる四尾式疑似重力発生ユニット。それぞれが独立して稼働する四本のテール・スラスターは、巡航時には束ねられ、従来ではなしえなかった高速域までの加速を可能とした。戦闘時には十字型に広がり、上下左右への自在な機動は、GIGSの理想とされる三次元戦闘を恐ろしいまでのハイレベルで実現させている。

史上最大の出力を賄うエンジンの大きさに比例して、機体も標準のGIGSより一回り大きい。それに伴い重量もガチガチの重装GIGS並になったが、段違いの高出力はそれでも操者に重さを感じさせることはない。

操者保護の観点でも装備は充実しており、高性能な衝撃緩衝機構は、通常人間には耐えられない超高機動運用中であっても操者の身を守り、操縦を妨げることはない。また、堅固な内部フレームや装甲板も、ちょっとやそっとの攻撃では勢いを削ぐことすらできないまでの防御力を与えていた。

ただ速いだけではない。現行機の性能を圧倒的に凌駕する「強い」機体。

主に曲線で構成されたマッシブなフォルムはともかくとして、六つの眼の輝く頭部デザインは、悪役然としすぎてクロエの好みではなかった。しかし、その「最強」に対する飽くなき渇望と、操縦桿を通じて伝わってくるGIGSの歴史を刷新しようという矜持が、クロエの心底に響いた。

ああ、この子は、戦うために生まれてきたのだ。

 

 トライアルなど、行う必要もないのではないか。〈ゼロ〉は完璧だ。相応の技量は要求されるが、ひとたび〈ゼロ〉に乗ったなら、どんな操者だってそう思うに違いない。ミリオン社の新作がどの程度のものかは知らないが、〈ゼロ〉以上の性能であるとは思えない。

 それとも自分は、この機体に入れ込みすぎているのだろうか。

 最新鋭機のテスト操者に選ばれたことを通達されたのは、年末も押し迫ってからだった。突然の知らせに戸惑いはしたが、選ばれたこと自体は光栄だった。軍学校を首席で卒業し、連合軍最精鋭GIGS部隊に所属してはいたものの、特別目立った実績もなく、訓練に明け暮れていたクロエにとって、願ってもない機会だった。

 だからこそ、担当することになった機体に愛着を持ってしまうのだろうか。

 

『少尉、そろそろ時間です』

 スピーカーから時間切れの宣告が聞こえてきた。声の主は随伴機の一方に乗っている、ワルター・ジョット軍曹。カールズバット基地のGIGS部隊所属で、実直そのものの中堅操者だ。

 彼の声が、一人の世界に浸っていたクロエを現実に引き戻していた。慌ててコンソールの時計を確認する。

ああ、楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。思わずこぼれた溜息を子供じみたものと戒めながら、クロエはシフターをクリックし、加速域を狭めると、機体を降下させ始める。

興奮から冷めてみれば、まだまだ機体性能に腕が追い付いていないことが身に沁みた。経験が不足しているのだ。同世代の間では敵なしの技量を持っているクロエだったが、数々の修羅場をくぐり抜けたベテランとの対戦では土を付けられることの方が多かった。

だが、この機体であれば、自分はさらに上のステージに行けるかもしれない。それこそ、完成された超一流の操者のみ辿り着ける『超絶技巧(ヴィルトゥオーソ)』の境地まで。

「ごめんね、次はもっと上手く動かしてあげるから」

 名残惜しげに、ぼそりと呟いた。

『何か、仰いました? 少尉』

「何でもありませんよ、軍曹」

 独り言を聞かれたことへの動揺を隠しながら、クロエは降下作業を続けていく。

『基地に帰還したら、ヘルスチェックと軽いミーティングの後、ミリオン社も合わせての合同会議を行う予定です。ま、今回はお互いの顔見せ程度だと思いますが』

「了解。それにしても色々と出し抜けで困るわね。あなたも、大変だったのでしょう? 軍曹」

『はあ、確かに、うちの基地でトライアルが行われるのは急な話でしたが、わたわたしているのは上だけです。私は操者ですから、乗れと言われた時にGIGSに乗ればいい。案外気楽なものですよ』

 スピーカーの向こうから、微笑が漏れるのが聞こえた。そんなものかもしれない。クロエは「そうね」と相手に一言返すと、あとは無言で、下降する際のあの内臓を掻きまわされるような不快感に耐えていた。

 耐えながら、頭に思い浮かぶことは、今回の任務を言い渡された時からの疑問だった。

何故、今、このタイミングでトライアルなのだろう。何故、自分が選ばれたのだろう。何故、ミリオン社の機体のテスト操者は、ミリオン社の人間でも軍の人間でもなく、航宙管理局の人間なのだろう。さも当然のように基地にいて、クロエを出迎えた「あの男」は、一体何を企んでいるのだろう……。

 クロエの思考がまとまりきらぬうちに、四本の尾を煌めかせた〈ゼロ〉は雲海に沈み、視界は再び、白い闇に覆われた。

 

 

         *        *

 

 

 会議などというものは、人間に睡眠を促すものと相場が決まっている。ことに徹夜明けで移動疲れも重なったなら、どんな人間だって睡魔に抗うことなどできはしない。

 空港からさらに車で二時間強、基地に到着して早々、会議室に通された時は哲夫もそう思っていたのだが、席につき、向かいに座っている女性を見た瞬間、眠気など吹っ飛んでしまった。いや、眠いことは眠いのだが、目が離れない。

「美人だねぇ、あの娘」

 当然のように哲夫の隣の席に座ったシモンもそう言う。確かに、まだ若く、陶器の人形のような整った顔立ちといい、真っ直ぐな眼差しに、凛とした雰囲気といい、男に思わず「美しい」と思わせる女性である。

「隣の人も綺麗だねぇ。でも二人とも険が強すぎるかな。この会議室の女性だったら、やっぱりアニーが一番だよ。ね、アニー」

 シモンの隣に座っているアナスタシアは、呆れ顔でそれを無視する。会議中だから静かにしろ、と暗に言っているのだが、シモンは気付く気配もない。

 

 会議は関係者の顔見せ、という感じだった。ミリオン社、シキシマ重工、そしてカールズバット基地のお偉いさん方が次々と紹介されていく。

 その中でも、もっとも眼を引いたのが、シキシマ重工の新型GIGSのテスト操者で、連合軍少尉、クロエ・エヴァンスと、そのGIGSの開発主任、フランチェスカ・ルジェッリだった。

 まだ二十歳そこそこの連合軍少尉と、三十にも届かぬ若さでシキシマ重工の開発主任。どちらもエリートコースを歩む才媛であり、同時に美貌も併せ持っている。その二人が並んでいる光景は、ここが地の果ての軍事基地であることを忘れさせるくらいのインパクトがある。

「ノグチ君はあれだろ、あっちの黒髪のほうが好みなんだろ?」

「いい加減にしないと、怒られますよ」

 流石にこれ以上付き合うわけにはいかないので。空気の読めないシモンをぴしゃりと突き放す。シモンは眼を細めて笑い、頬杖をついて議場を眺める。シモンがさりげなく伸ばした左手が、哲夫の前に置いてあったペットボトルに触れかけ、哲夫は無表情のまま、その手を叩いた。

 

 カールズバット基地の大会議室はすり鉢状になっており、舞台を中心に扇状に座席が配置されている。

 正面から向かって右のエリアに哲夫らミリオン社の関係者、左のエリアにシキシマ重工の関係者が、中央にはそれらに挟まれるように基地のGIGS部隊、整備担当者などが座る。

 壇上には基地の司令官であるトーマス・ロースト大佐を中心に、副司令官、軍本部から出向している査察官、連合議員が並んでいる。そして、その面子の中でも、一際異彩を放つ男……。

「……えー、それでは次に、今回の合同トライアル実行委員長である、兵器局特別顧問、クロード・エヴァンス中佐にお話しを賜りたいと思います」

 司会が厳かに宣言し、その男が立ち上がった。

「紹介にあずかりました、クロード・エヴァンスです」

 クロード・エヴァンス中佐が登壇した瞬間、哲夫は議場の空気が変わったような気がした。先ほどまでは、どちらかと言えば和やかで、シモンがくだらないことを喋っていても黙殺してくれるような雰囲気であったが、中佐が一段高い場所に上り喋り出すや、一転して議場全体の空気が引き締まった。

 がっしりとした体格の偉丈夫。厚い胸板と広い肩幅、その上には、意外なほどの童顔が乗っかっている。顔だけ見ると軍人には見えようもないその男だが、軍服をぴしりと着こなし、壇上に立っている姿はなんとも絵になる。

 聴衆の注目を心地よげに浴びながら、クロードは耳触りのよい深い声で、今回の企画の意図を滔々と話していた。

 思わず誰もが聞き入ってしまう中佐の見事な演説のさなか、哲夫は議場の中に一人、中佐に異質な視線を向けている人間がいることに気づいた。

(クロエ・エヴァンス……少尉)

 眉間にしわを寄せ、美しい顔が子供の泣き顔のようになっている。あれは、敵意……いや、嫌悪……か?

「ん? あれ? 『エヴァンス』ってもしかして……」

「ああ、親子だったのか。どうりで似ていると思った」

 さりげなく発した独り言を、シモンが引き継いだ。シモンの言うとおり、よく見ると顔のつくりが似ている。凛とした雰囲気もおそらく父親似だ。

「……エヴァンス親子、というか、一族は、軍でも有名な存在よ。クロエ少尉のお祖父さんは連合議会の理事でもあった人だし」

「エリートなんだ」

「ええ、でも……」

「でも?」

 シモンとアナスタシアが小声で続ける。

「どうも彼女は、エヴァンス家の中でも特別みたい」

「特別……ね。まあ、あの顔見ればどう特別かはだいたい想像つくけど」

 二人のひそひそ話を聞きながら、哲夫はクロエの顔を見つめていた。クロエの眼は、クロード・エヴァンス中佐から離れない。相変わらず嫌悪の表情を浮かべながら。しかしあれは、あの顔は……。

「……おもちゃを取り上げられた子供、みたいな……」

「お、そんな感じだね。ノグチ君、よく見てるなぁ。やっぱりああいうのが好きなのかい」

 シモンに茶化されても、反論する気も起きず、哲夫は今度は、演壇の上のクロード中佐を注視した。自信に溢れたその姿は、どこか、勝利者インタビューの時のジャン・バルトークに似ているような気がした。

 

「……えー、というわけで、最終日に選考機体同士による評価戦を行いまして、全行程を終了となります」

 クロード中佐の話が終わると、今度はスケジュールの説明だった。とはいえ、この辺りは事前に書類に目を通しているので確認程度のものである。期間は二週間。その間に両社の選抜した操者は評価機体に十分習熟し、最後には対決、ということになる。

「評価戦、と言っても、エキシビジョンマッチのようなものです。そこでの勝ち負けだけで選考するわけではありません。あくまで全行程を見ながら、総合的に選考しますので、そのつもりで」

 クロード中佐の部下と思われる眼鏡の女軍人が淡々と説明していく。

 このころになると、シモンは完全に会議に興味を失っていたようで、哲夫がふと横顔を覗き込んだ時にはすでに眠っていた。背もたれにもたれず、背筋を伸ばしたまま微動だにしない。遠目では眠っているようには見えないだろうが、少しつついても何の反応もしない上に、規則正しく静かな寝息を吐いている。

「器用な男でしょ」

 と、眠る男の向こうからアナスタシアが苦笑しながら言った。

「……以上で日程の説明を終わります。ここまでで何か質問のある方はいらっしゃいますか?」

 ああ、ようやく終わる。哲夫は周りに気づかれないように欠伸をし、首を回した。この会議が終わったら、今日はもう予定はない。早く宿舎に入って、夕食まで寝よう。

 会議室全体の空気が、会議の終了に向けて緩みかけた時、議場の真ん中から野太い声が響いた。

「質問があります!」

 

        *       *

 

 まるで小学校の学級会のように真っ直ぐ手を挙げたのは、中年の軍人だった。

 赤ら顔で口髭を生やし、額はやや広い。小柄ではあるががっしりとした体躯はいかにも軍人という感じだったが、丸い眼に妙な愛嬌があり、クロエが彼を見て連想したのはアライグマだった。

 男は席から立ち上がると、人を小馬鹿にしたようなうすら笑いを浮かべながら演壇を見下ろしていた。

「レスター・ディアス大尉であります。二、三聞きたいことがあるんですがね」

「何でしょうか、レスター大尉」

 マイクも使わないのに、レスター大尉の声はよく議場に響いた。しかしどこか、怒気が含まれているように、クロエには思われた。

「ミリオンでもシキシマでもどっちでもいいんですがね、テスト機を一機、俺に預けちゃくれませんか。七光りのボンボンやら余所者やらよりも、よっぽど上手く動かして見せますぜ」

 口の端を歪め、凄惨な笑みを浮かべながら、レスターは言い放った。クロエの心がざわつくのと同時に、緩みかけていた議場の雰囲気が途端に騒然となる。

「た、大尉! 言葉を慎みたまえ!」

 レスターの言葉を咄嗟に制そうとしたのは、基地の司令官、ロースト大佐だった。白く肥えた顔が真っ赤に染まり、苦虫を噛み潰したような顔でレスターを睨んでいる。

「始まる前! あれほどでしゃばるなと言っておいたというのに……」

「だって、大佐ァ、どう考えたっておかしいでしょうよ。こいつは軍の新型GIGS選考トライアルだぜ。まあ百歩譲って身内贔屓の操者が選ばれる分には納得も出来ようってもんですが、何で管理局の人間が軍の重要ごとに首を突っ込んでくるんです」

 レスターの眼が、ミリオン社のテスト操者として出向してきているという、航宙管理局の局員の方へ向く。まだ若いその男は、突然のことに困惑を隠し切れていない。もう会議が終わると思って気を抜いていたな。クロエは野口哲夫の間抜けな顔を一瞥すると、大した敵ではないと判断を下した。目下、最大の問題は、やはりこのレスターという男だ。……それにしても野口の隣のあの男、居眠りしていないか? こんな状況で……。

「他にも腑に落ちないことがいくつかあるんですがね、どうかお答え願えないもんでしょうか」

 レスターに何か言おうとした部下を制して、クロードが立ち上がった。

「ご指摘、有り難うございます。レスター大尉。お噂はかねがね伺っていますよ。八年前のアルクスニス紛争の際には大層ご活躍だったそうですね。近年のゲリラ掃討作戦でもGIGS操者として最前線に立たれていたとか」

「そこまで知っているなら話が早いや。俺を使いなよ中佐」

「それはできません」

「ならきちんと説明をするんだな」

 クロードは苦笑し、再び演壇に立った。レスターは相変わらず直立不動のまま、口元にうすら笑いを浮かべ、眼下のクロードを挑戦的な目つきで見つめている。

「……まず、今回のトライアルで、各社が事前に雇っていたテスト専門の操者を使わないのは、より実際的な性能が知りたかったからです。我々が実戦で使うのは、『テスト機』ではないし、実際に戦う兵士は『テスト操者』ではない」

「そんなことはパンフにも書いてあるだろう。俺の質問には答えていない」

 上官に向かってのものとは思えないほど傲岸に、レスターは言う。しかし不思議なことに、クロエはその不躾な態度に、溜飲を下げていた。

このトライアルを差配していたのが父であることに、クロエは悪感情を抱いていた。昔から何を企んでいるのかわからないのが、父、クロード・エヴァンスという男であり、もしクロエを〈ゼロ〉の操者に選んだのが、さっきのレスターの言葉通りクロードであるのなら、それは彼女には許し難いことであった。

「まあそう結論を急がないで。順を追って説明しますから」

 クロードは軍人らしからぬ慇懃さで、レスターの言葉を柳のように受け流す。

「アルクスニス紛争から八年が経ち、世界中に散らばっていた紛争の種は、確実に減少に向かいつつあります。これも、大尉ら前線の兵士諸君の尽力の賜物です。アルクスニス一派の残党勢力によるテロ行為も、ここ数年で激減しました。世界は、今までにない平和の時代を迎えているといっても決して過言ではない。しかし、テロリストを倒すことだけが軍人の仕事ではない。軍人の本分は、あくまでも民衆を守ることです」

 レスターは腕組みをしながら、黙ってクロードの話を聞いている。既に笑みはない。

「宇宙船が事故にあった際の人命救助、災害にあった植民市に対する支援活動、もちろん現在でもやっていることですが、紛争が減って行くにあたって、こういった仕事が増えていくことは明白です。しかしそうすると、かなりの部分航宙管理局の仕事とかぶることになりますよね」

 ね、と言ってクロードは野口哲夫に視線を向ける。野口は「はあ」と微妙な顔をしている。愛想笑いのつもりだろうが、頬の端が引きつっているだけで笑い顔になっていない。

「つまり、管理局と連合軍は、これからよりしっかりとした協力体制を取って行く必要がある、ということです。そのためにも、管理局の方に、我々の戦術、思想、機体の使い方、整備の仕方、いろいろなことを皮膚感覚で共有してもらうことは、決して不利益ではないと考えました。だから、一緒にトライアルに参加してもらい、一緒に性能を評価してもらう。そういったことを通して、実際的な使い勝手の良さを判断してく。単純にスペック的なものなら、各メーカーで十二分にテストしているでしょう。我々が求めているのは、そういったデータには出てこない、感覚的なものなのです」

「……操者にキャリアのあるベテランではなく若手をもってきた理由は?」

 やや憮然とした顔になったレスターに対して、微笑をたたえ、余裕を崩すことなくクロードは言う。

「それも似たような理由です。八年前の紛争をくぐり抜けたベテラン操者の功績は、私も多大に評価しています。しかし、操者全体の比率を見れば、キャリア五年未満の若手が増えているのも事実です。世代交代、というわけではありませんが、GIGS戦術もどんどん変化していくものですから、やはり、これから新型を使う機会の多い若手にチャンスをあげることにしました」

 レスターは腕組みをして、クロードの言葉を咀嚼するように聞いていたが、やがて顔を上げ、また例のうすら笑いを浮かべて言った。

「ま、とりあえずはそれでいいや」

「わかって頂けましたか」

「……何か微妙に納得いかねぇけど……もとから俺なんぞには、完全に納得させる気もないんだろ?」

 レスターの挑戦的な笑み。それをやんわりとかわすように、クロードは肩をすくめてみせる。ふん、と鼻を鳴らし、レスターはクロードに背を向けた。

「おい! 大尉! まだ会議は終わったわけではないぞ!」

 ヒステリックに叫ぶロースト大佐に煙たげに手を振りながら、レスターは議場の後扉へ向かって歩きだした。

「あー、あと一つだけ、大尉」

 そのレスターをクロードが呼び止める。レスターは後扉へ向かう階段の途中で振り返った。

「クロエ・エヴァンス少尉が選抜されたのは、私の与り知らぬところでですよ。彼女の所属している部隊の指揮官が推薦したんです。彼は私がこの企画を差配しているとは知らないはずです」

 どうだか、とつぶやいて、レスターは議場を後にした。

レスターが扉を開けるとき、ふと、クロエと眼があった。その眼は、先ほど彼がクロードに向けていた挑戦的な瞳ではなかった。それは、クロエがライバルにはなり得ないと野口哲夫に向けたものと同じ。「お前じゃ話にならねぇよ」そういう眼だ。

 屈辱、とは思わない。実際、ベテラン操者に比べれば自分は未熟だ。その自覚はある。

 だが、父の余裕綽綽の態度と、それに噛み付くレスターのやり取りを目の当たりにすると、何か、自分の意志を大きく越えたところで事態が動いているような気がした。

 議場は、レスターの退場で大きくざわめいていたが、クロエにはそれが酷く空々しく聞こえていた。

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